第 2 章 人間関係に気疲れする
25.内面がすべて
粗暴・残酷であって、陰口を言い、友を裏切り、無慈悲で、きわめて傲慢であり、もの惜しみするたちで、何人にも与えない人々。
ーこれが、なまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。
(スッタニパータ より)
この経文については、今枝さんの該当する訳文を見つけることができなかったので、中村さんの訳を用いた(改変あり)(*1)。
佐々木さんによると、この経文は仏教以外の菜食主義の宗教が、当時のインドの僧侶が肉や魚を食べていたことをなまぐさだと非難したことに対しての、お釈迦さんの答えだとされている。
なまぐさというのは、肉食などの形式などではなく、その行いをしている人の内面を見よ、こうした諸々の行いがなまぐさなのだ、という意味らしい。
ただ、この経文の少し前( 2 つ前)に、以下のような経文がある(改変あり)。
生き物を殺すこと、打ち、切断し、縛ること、盗むこと、嘘をつくこと、詐欺、騙すこと、邪曲を学習する(*2)こと、他人の妻に接近すること、
ーこれが、なまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。
この経文は、どう理解したらいいのかな?
これについても、念のために触れて欲しかったですね。
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(*1)ブッダの言葉 スッタニパータ 中村元訳 岩波文庫(青) 参照。
(*2)邪曲を学習することとは、無意義な、あるいは有害な書物に通達すること。
通達?
なんだこれ?
現代語なら、通達とは、行政官庁がその所掌事務について、所管の機関や職員に文書で通知することで、「通知する」「知らせる」という意味になる。
仏教語の場合には、通達(つうだつ)であり、仏教に深く達している悟りを意味するはずだ。
どっちでもないよ、これ。
単に読むという意味ではないのか?
なお、ここに述べられている、各種の悪徳(?)は、まだ五戒が成立していない段階に、思いつくままに、あげられたものだそうだ。
つまり、この経文が書かれた時点では、まだ、五戒がまとめあげられていなかった、成立していなかった、ということ。
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追記: 2021/09/11 21:07 〜訂正内容〜
表題を訂正しました。