おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

655_ひしみー076

07 禅定と苦行、そして中道

今まで、この第 7 章( 07 禅定と苦行、そして中道 )の大半となる、
( 646_ひしみー067 ~ 654_ひしみー075 )
の内容を見てきた。
具体的には、ひろさんが以下のように見出しをつけた部分についてになる。

・アーラーダ仙から禅定を学ぶ
・ウドラカ仙に師事した沙門ガウタマ
・テクニックだけでの禅定ではだめ
・苦行を始めた沙門ガウタマ
・沙門ガウタマはなぜ苦行をしたのか?
・真実の仏教者に苦行は不要 

ひろさんの言わんとすることや、理屈づけがどうにも腑に落ちなくてモヤモヤしているだけでなく、これら見出しに従って画一的に内容を分けると、きわめて話がしにくい。

なので、これらの見出し全般にかかわる形で、以下にとりあえずの話をしたい。

ご了承頂きたい。

私なりのかなりの意訳や改変やまとめ直しもするが、すべてご了承頂きたい。

まずは、シッダールタ太子(お釈迦さん)が出家をするのがこと(=一応、お釈迦さんの悟りを開くまでの道筋としておく)の始まり。

ひろさんは、その伏線として、

A.前々々章( 04 シッダールタ太子の問題意識 )( 611_ひしみー033 ~ 622_ひしみー044 )

ひろさんは、現代の苛烈な競争社会の解決策として、仏教に解答を見出だしたいようだ。

だから、そのために話を食物連鎖からはじめて、弱肉強食と食物連鎖は違う、それを勝手に如実知見に持っていって、縁起という相互依存関係の認識が悟りであるとして、シッダールタ太子(=お釈迦さんのこと)の食物連鎖をおぞましく感じたことの、とりあえずの解決策にしてしまいたいらしい。

ひろさんの本には書いていないが、あのお釈迦さんがおぞましいと感じた食物連鎖の話(←一般的には弱肉強食とされる)が、いわゆる樹下観耕(じゅかかんこう)と呼ばれるものである。

B.前々章( 05 人間の内側にある老・病・死 )( 623_ひしみー045 ~ 628_ひしみー050 )

ひろさんは、先の A と併せて、もう 1 つ出家にまつわる伝説も絡(から)めておきたいらしい。

まあ、一般的にはこれがお釈迦さんの出家として、持ち出されやすい話なのかもしれない。

それが四門出遊である。

四門出遊に絡(から)めて、老・病・死の問題に、自ら(=お釈迦さんのこと)に解答を求めての出家して沙門ガウタマになるということにしたいようだ。

C.前章( 06 「出世間(しゅっせけん)」をした沙門(しゃもん)ガウタマ )( 646_ひしみー067 ~ 645_ひしみー066 )

出家したシッダールタ太子は、沙門ガウタマとなり、城の外に出るのだが、自らの王家の跡取りとしての地位も、生活も、家族も捨て去って、蒸発してホームレスとなった。

ただし、漠然とした問題意識を持つホームレスとしての蒸発だった。

当時のインドの随一の大国マガダ国のビンビサーラ王のホームレスから大国への仕官という信じられないような好条件の話を、お釈迦さんはあっさりと断る。

理由として述べられたのは、自分が出家したのは欲望を叶えるためではない、ということと、出離は安穏である、という 2 つのことであった。

一言で言わせてもらうなら、要は、対内的にも、対外的にも、この世を生きていく上で、とらわれを生じるあらゆるものから距離を置くことによって、心の平穏である悟りの境地を目指したいと暗に示している答えだったと言えるだろう。

A から C にかけて書いてあることを大まかにまとめると、以上のようになると思う。

で、次回から、A、B、C と順次、あるいは絡めて、改めて大まかに見ていくことにしたい。

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①追記: 2022/01/17 20:23
②追記: 2022/01/17 20:30
③追記: 2022/01/18 23:55
④追記: 2022/05/28 23:57
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。