A.第 04 章 ー 04 シッダールタ太子の問題意識 ( 611_ひしみー033 ~ 622_ひしみー044 )について
ひろさんは、現代の苛烈な競争社会の解決策として、仏教に解答を見出だしたいようだ。
だから、そのために話を食物連鎖からはじめて、弱肉強食と食物連鎖は違う、それを勝手に如実知見に持っていって、縁起という相互依存関係の認識が悟りであるとして、シッダールタ太子(=お釈迦さんのこと)の食物連鎖をおぞましく感じたことの、とりあえずの解決策にしてしまいたいらしい。
ひろさんの本には書いていないが、あのお釈迦さんがおぞましいと感じた食物連鎖の話(←一般的には弱肉強食とされる)が、いわゆる樹下観耕(じゅかかんこう)と呼ばれるものである。
今回は、以上について考えたい。
樹下観耕と四門出遊は、(生・)老・病・死とともにお釈迦さんの出家の動機づけにあげたい項目らしい。
ひろさんの理屈はこうだと思う(私の独断と偏見による意訳などあり)。
虫を小鳥が食べ、猛禽類が小鳥を食べる。
こうした補食関係の連鎖は、同種間での潰し合いではないから、弱肉強食ではない。
あくまでも、自然現象としての摩訶不思議な食物連鎖である。鉄則のように、自然界に存在しているものである。
裏を返せば、同種間の潰し合い≠弱肉強食なのだから、人間界における、知力・体力・血筋などで強い者が弱い者を強いたげているかのような競争社会のあり方は、弱肉強食ではない。
あくまでも人間という同種間の潰し合い=競争という、食物連鎖のような摩訶不思議なものである。
従って、弱肉強食の理屈をもって、競争社会の勝者と敗者のあらわれを、正当化することは間違っている。
これは、同種間の食い合いであるから、弱肉強食とは違う、摩訶不思議な自然界の現象のような別の捉え方をすることで、考え直すべきである。
弱肉強食のタガを外し、違ったアプローチができるはずだ・・・と言いたいものと思われる。
ここに仏教を持ち込み何とか少しでも救済する余地をつくろう、と。
しかし。
ひろさんは、食物連鎖に人為的な価値判断による手を加えて、弱者に相当する存在を助けようとすると、却(かえ)って、食物連鎖の全体系を壊しかねない(みんなポシャってしまう)ことをあげ、食物連鎖には手を加えるべきではないかのような話を書いている。
みんなポシャらずに、食物連鎖の全体系が維持されることは、共生の原理だから、認めるべきものなのだ、と。
だから、同種間の食い合いの結果容認は認められない・・・のような、論点ずらしというか、中途半端な話に見えるんですよ。
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①追記: 2022/01/19 12:01
②追記: 2022/01/19 12:05
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、日付と本文を加筆・訂正しました。