おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

671_ひしみー092

07 禅定と苦行、そして中道

・五人は去って行った

多少、内容が前後するが、ご了承頂きたい。

まず、ウルヴィルヴァーについては、以下の過去の記事に書いてある通り。

引用はじめ ーーーーーーーーーー

649_ひしみー070

07 禅定と苦行、そして中道

・苦行を始めた沙門ガウタマ

アーラーダ仙、ウドラカ仙の下を難しいとされていた禅定の技術をいとも簡単に会得して、次々に去って行った沙門ガウタマ(お釈迦さん)。

彼は次に苦行をやることになる。

彼は後にブッダガヤーとよばれる、王舎城から 80 km ほど南のウルヴィルヴァーの地で苦行をする(*)。

古代インド人は、苦行をすると、その行者に熱的物質(タパス)が蓄積され、神秘的な超能力が得られると信じていたそうだ。

ひろさんは、この節では、現代のインドの苦行者の話を持ってきて、特にこれといったことはお書きになっていない。

お釈迦さんが、何を求めて苦行したかの話は、次節以降にずっとつながるので、とりあえず、この節はこれだけにする(内容が分かれて書かれているので悪しからず。ただ、個人的に言わせてもらえば、それでもモヤモヤして今一つよくわからない)。

ともかく、古代からインドは、苦行の聖地と呼ばれ、苦行者がたくさんいることだけで結ばれている。

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(*)お釈迦さんが修行した場所について、いろいろな説明があるのだが、かなり煩瑣なので割愛してこのようにする。ブッダガヤーとされたのは、お釈迦さんが悟りを開いた場所、すなわち、ブッダのガヤーと呼ばれるようになったことに由来するようだ。

引用終わり ーーーーーーーーーー

こうして、アーラーダ仙とウドラカ仙への師事を経て、禅定を完璧なものに仕上げた後に、このウルヴィルヴァーで修行をはじめたお釈迦さんは、5 人の修行仲間ができた。

そして、前回( 670_ひしみー091 )(改変あり)の以下の中道を求めて、苦行をやめることを仲間に伝えた。

引用はじめ ーーーーーーーーーー

3.中道の意味

個人的には、いろいろ疑問があるのだが、とりあえず、ここは、ひろさんのお考えを紹介するにとどめる(短縮化などの改変あり)。

中道とは、互いに矛盾・対立する二つの極端な立場(仏教語で二辺)のいずれからも離れて自由な立場で生きることである。

苦行は自由ではない。当時の苦行は修行者の標準だったから、苦行をする者は、そのルールに則る必要が出てくる。これから離れることが中道。

他方、苦行の放棄だけでも、中道にはならない。苦行を放棄して快楽に耽るような極端さからも離れなければならない。

それが、不苦不楽の道となる。

沙門ガウタマ(お釈迦さん)はその中道を行く決意をしたとされる。

引用終わり ーーーーーーーーーー

5 人の仲間は、当然、お釈迦さんを引きとめる。苦行の先にこそ、悟りという成果があり、苦行こそが唯一の悟りへの道だ、と考えていたからだろう。

ひろさんによると、中道は、お釈迦さんが独自に新しく考え出したところの、宗教史上、空前の独自の修行法だそうで、ゆえに、仲間の理解が得られないのは当然であり、お釈迦さんご自身でさえ、不安を抱いていたのではないか、と推察されている。

しかし、決めちゃったんだから仕方ないですよね。お釈迦さんご自身がどのような意図で中道を行くことを決意したのかはわからないけど。

とにかく、少なくとも苦行はだめだと見切りはつけてしまったのだから。

それは、以前触れたように、ひろさんがおっしゃっる「苦行の麻薬性」がその理由なのかもしれないし、別の理由があったのかもしれない。

ともかく、そうした経緯で、お釈迦さんは仲間と別れることになった。

「ガウタマよ、君は堕落した。
われわれはそんな人間とともに修行することはできない。
君は君の道を行くがよい。
われわれは君とは別の道を行く」(改変あり)

そう言い残して、5 人の仲間は去り、お釈迦さんは、ただひとり、尼連禅河の湖畔に残された。(*)

以上で、第 7 章( 07 禅定と苦行、そして中道 )を終わります。

次回から、第 8 章( 08 天魔よ、汝は破れたり )になります。

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(*)尼連禅河~にれんぜんが~インドのビハール州を流れるガンジス河の一支流、パルガ河の古称。その河畔で仏陀(お釈迦さん)が大悟したと伝えられる。(**)

(**)大悟~たいご~①物事をはっきりと理解すること。
②仏教語~悟りを開くこと。煩悩が解けて真理を悟ること。
ここでは、②の意。

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追記: 2022/06/11 02:20
〜訂正内容〜

本文を訂正しました。