08 天魔よ、汝は破れたり
・天魔の正体を見抜いた沙門ガウタマ
前回( 682_ひしみー103 )の続きです。
前回、仏教に関して次のように書いた。
ひろさんによると、仏教は、第 7 章( 07 禅定と苦行、そして中道 )の テクニックだけの禅定ではダメ( 648_ひしみー069 )において、禅定は戒律と智慧によって補完されなければならないものとされている。
つまり、仏教とは、戒律と禅定と智慧の三位一体ではじめて、意味を持つ教えであり、決して苦行にこだわり過ぎるものではない、ということだろう。
しかし。
これは、以前から常々疑問に思っていたことなので、この際なので、ついでに書いてしまおう。
中村さんのような大学者さんも、その弟子筋に当たるひろさんも、悟りを開いた訳ではないですよね。
悟りを開くためには、最低でも上記の三学をきちんと修め、それなりの境地に達していなければならないからです。
その境地は、あくまでも感覚的にわかるものであって、悟りを開くことができない部外者は、真にこの境地は理解できないのではないですか?
では、悟りを開いた人は、どのようにしてわかるのか?
一番確実なのは、お釈迦さんか、阿羅漢として輩出された当時のお弟子さんが今生きていて、判定をしてもらうことです。
しかし、これは叶いません。
しかも、今現在、悟りを開いたような人が、果たしてこの地球上にいるのか?
ほとんどいないのではないか?
いたとしても、社会とのかかわりを極力断ち切って、ひそかに暮らしている仙人のような人しかいないのではないか?
つまり、何が言いたいかというと。
中村さんのような大学者さんにしろ、ひろさんのような多才なお弟子さんにしろ、悟りを感覚的にはわからずに、文献やインドを尋ねたようなの固有の経験などを頼りに、悟りを開いた人はこうしたものだ、悟りを開く必須の要件はこうしたものだ、とお話をされているのではありませんか?
かく言う、こうした大先生方とまったく比較にもならない、吹けば飛ぶようなノミさん以下のズブの素人の私も、五井先生の書籍を頼りにして、わかる範囲でズブの素人なりに書いてきたに過ぎません。
つまり、悟りを開いた状態とは、数値化できないもの、筆記試験のような判定ができないようなものだ、と思われるのです。
仮に、お釈迦さんや悟りを開いた阿羅漢になったお弟子さん達が現代のこの世に生きていたとしても、悟りの状態は筆舌には尽くせないものなのかもしれない。
682_ひしみー103 で書いたように、ひろさんの三学の関係をあらわす書き方がくねくねして、スッキリしないように感じられたのも、やはり、ご自身で感得されていないから、「これだ」というハッキリした書き方になっていないのではないですか?
中村さんは、仏教は実践だ、のようにお書きになっていたことがありますが、これを個人的に解釈させてもらうと、悟りを開いた訳ではないが、人間として良いと思われる生き方を、お釈迦さんの教えや生き方、そして、悟りを開かれたお弟子さんの生き方、そして、後世になって創作(口伝も理屈の上では創作に含まれると解釈する)された仏教の経典を参考にしながら生きていく、ということになると思われます。
このように考えてくると、仏教の教えの実践には、難行道が現代ではほぼ実行不可能であることからして、どうしても、悟りの境地と実行可能な実践とのそれなりの乖離が生じるのは、やむを得ないものだと考えられるのです。(*)
だから、仏教の学びには、どうしてももどかしいものを感じることがあるんですよ。
とはいえ、これは何も仏教だけに限らず、宗教全般に関する問題だとは思いますけどね。
今回は勝手ながら、個人的な仏教に関するもどかしさを書かせて頂きました。
以上は、あくまでも、ズブの素人の身勝手な独断と偏見です。
お許し下さい。
(追伸)ここでは、仏教について書いたが、仏教以外で観念的に考えるならば、肉体を持って生きながらも、神様の想いと行いそのままに、人のためにもなり、自分のためにもなり、みんなのためにもなる、すべての人に愛を施し、調和と幸福をもたらすような、あらゆる行いをすることができる人が、仏教で悟りを開いた人に匹敵すると言えるだろう。
しかも、その一挙手一投足は、神様のみ心のままに無為自然になされるようなものになっているはずである。
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(*)易行道にしても、妙好人の源左さんや才市さんや宇右衛門さんのような境地に達するのは容易ではない。おそらく今の唯物論にどっぷりと漬かっている現代人は困難をきわめる可能性が高い。
とにかく、少しでも彼らに近づけるように、少しでも努力していくしかない。
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①追記: 2022/08/08 06:05
②追記: 2022/08/08 23:23
③追記: 2022/08/09 04:33
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。