おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

178_原仏10ー8

第三章 最後の旅ー 「大パリニッバーナ経」の締めくくりです。

三 臨終

釈迦は苦しみながらも、なおも旅を続け、当時は大河であったヒラニヤヴァティー河を渡ろうとします。

尊師は若き人アーナンダに告げた。
「さあ、アーナンダよ。
ラニヤヴァティー河の彼岸にあるクシナーラーのマッラ族のウパヴァッタナに赴(おもむ)こう」と。
「かしこまりました。尊い方よ」と若き人アーナンダは尊師に答えた。
そこで尊師は多くの修行僧たちとともにヒラニヤヴァティー河の彼岸にあるクシナーラーのマッラ族のウパヴァッタナに赴いた。
そこに赴いて、アーナンダに告げて言った。 ー

この向かう先のマッラ族もヴァッジ族と同様に貴族の共和政治を行っていました。

「さあ、アーナンダよ。
わたしのために、二本並んだサーラ樹(沙羅双樹)の間に、頭を北に向けて床を用意してくれ。
アーナンダよ。
わたしは疲れた。
横になりたい」と。

「かしこまりました」と、尊師に答えて、アーナンダはサーラ双樹の間に、頭を北に向けて床を敷いた。

中村さんは、この床は、おそらく竹などや小さな木片で作ったベッドのようなものであろうとされています。そこで修行者は、そこで坐(ざ)したり、臥(ふ)したりするもので、ある時はベッドにもなり、またある時はその上で足を組んで座ることができます。

そこで尊師は右脇を下につけて、足の上に足を重ね、獅子座をしつらえて、正しく念(おも)い、正しくこころをとどめていた。

(以上、五・一)

獅子座は、左脇を上にして心臓を上にして圧迫をさせない楽な姿勢で、見事な寝姿だそうです。心臓は体の中心から見て左側のほうが大きいからなんでしょうね。インドの教養ある立派な人は、このような寝姿をするとされているそうです。

そして、いよいよ最期が近づくと、アーナンダが泣きます。釈迦は静かに泣くなと諭したそうです。

「やめよ、アーナンダよ。
悲しむなかれ、歎くなかれ。
アーナンダよ。
わたしはかつてこのように説いたではないか、 ー すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。」(注1)

心中でも無茶なことをしない限り、必ず愛する者との別れはやってくる。どんなに愛していても、いとおしくても、仕方がないのだ。どうしようもないのだ。

各自の与えられた定命は別々だ。どうしたって、別れは避けられないものなのだ。(注2)

神様の命、み心以外は、すべて万物流転。すべて、この世で時を経て消えてゆく姿なのだ。定めなのだ。諸行無常である、と。(注3)

「アーナンダよ。
長い間、お前は慈愛ある、ためをはかる、安楽な、純一なる、無量の、身とことばとこころの行為によって、私に仕えてくれた。
アーナンダよ、お前は善いことをしてくれた。」

しかし、釈迦がこんな瀕死の状態にもかかわらず、議論をけしかける、とんでもない入門志願者がいたのです。スパッダというバラモンの修行遍歴者です。(注4)

何でも120才の長老で、人々が苦しみ、大地が怒り狂う恐ろしい夢を見たとかで、夢から目覚めると、お釈迦さまが今夜半に入滅されるという話を耳にしたとか。

アーナンダは、当然断ります。

当たり前でしょう。そんなこと。いくら人々のために、命を捧げ尽くす偉い人だからと言って、死ぬ間際に負荷をかけて、死を早める真似をする愚か者がどこにいますか。

どんなに、自分の中での苦しみの疑問の決着をつけたくても、釈迦が亡くなり教えを聞く機会を逃しても、涙を飲んで我慢するのが、人の道のはずです。

尊敬して止まない人ならば、なぜ自分の欲を退け、崇める人の体をいたわらないのか。会うだけで、顔を見るだけで、十分ではないか。

そんな、聞き分けのない長老って、何なんですか。それが長老ですか。私にはまったく理解できません。

しかし。アーナンダさんも偉いから、静かに落ち着いて対応したんでしょうね。すごく、優しい人だったらしいから。

アーナンダは、釈迦の容態をかんがみて、断ります。で、スパッダがまた引き下がらない。詰め寄る。三度押し問答が繰り返されたそうです。

そこで、瀕死の重病の宗教家である釈迦は、会いましょう、と中に入れたそうです。

そして、自らの生涯を語りはじめました。

「スパッダよ。
わたしは二十九歳で、何かしらの善を求めて出家した。
スパッダよ。
わたしは、出家してから五十余年となった。」

以前書きましたが、釈迦の出家当時は、六師などで思想的な混乱がありました。

中村さんは、釈迦は本当の善とはどういうものなのかと思い、出家したかのように書いていますが、私には意味がよくわかりません。

続きです。

「(自分は)正理と法の領域のみを歩んで来た。
これ以外には〈道の人〉なるものは存在しない。」

正理は正しい道理、正しい筋道で、法は、ダルマで、人の依るべき決まり、筋道だそうです。中村さんは、釈迦がこれらを求めて、その道理に従った生活をしてきた、としています。(注5)

道の人は、漢訳仏典で沙門(しゃもん)で、道を求める、実践する人という意味とされます。

道を求めるとは、勝手に解釈させてもらえば、人としてのあるべき生き方を求める、ということでしょうね。

中村さんは、それまでにいろいろな宗教があり、様々な儀式をしていたが、そのような形式的なことにはこだわらず、人間の本当の道を追求することが、釈迦の一生の努めであり、課題であり、形而上学的なわずらわしい議論はしないで、本当の道を求めた、その感懐がズバッと出ているとしていますが、私にはよく意味がわかりません。

要は、釈迦はその生き方によって、人のために45年間、人としてのあるべき生き方を、教え続けて、その人生を捧げ尽くしたことによって、法を示した、ということではないでしょうか。

それから、釈迦はそこにいた修行者達にも声をかけました。

「さあ、修行僧たちよ。
お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい』と。」

これが、最後の言葉とされます。

このあと、釈迦は安らかに息を引き取りました。中村さんは、臨終は、彼を慕う弟子達に囲まれた、愛情のこもったしめやかな暖かいものであった、とされています。

ここには、釈迦の最後の旅が、ごく普通の人々と同じように、老いて、死に至る形で淡々としていることが、記されている。

中村さんは、平凡な一人の老人の、平和で静かな安らかな死の様子が、逆に今の私達の心を感動させてくれるのはなぜでしょうか。それは我々もこのように親しい人々に囲まれて、静かに人生を終えられたらという、一つの解答があるとそう考えるのは、私一人だけではないと思います、とされています。

次回から、第四章 仏弟子の告白・尼僧の告白ー「テーラガーター」「テーリーガーター」になります。

~~~~~

(注1)歎~たん、なげ~①歌声を長くのばす。
(用例)一唱三歎。
②感心する。ほめたたえる。
(用例)称歎。
③なげく。
ここでは、③の意。
(参考)嘆がかきかえ字。

(注2)定命~じょうみょう~仏教語で、持って生まれた寿命。

(注3)諸行無常~しょぎょうむじょう~仏教語で、万物はつねに移り変わり生滅してとどまることのないこと。仏教の根本思想。

(注4)この場面については、中村さんの本だけではなく、他の本も参照して書きました。

120才というのは、ヨガや呼吸法や瞑想の達人ならば、あり得る年齢なのかもしれませんが、釈迦の最後の弟子にしてもらったような人が、いまだ、わからない真理を釈迦に訪ねにくるような人が、それも状況をわきまえない、自分の欲を優先するような人が、果たして、そんな達人の境地にあったのでしょうか?

疑り深い私は、釈迦の偉さを強調するための逸話なのではないか、とさえ考えましたよ。

多分、事実なんでしょうけど。

(注5)筋道~すじみち~①物事の道理。条理。
(用例)筋道を通す。
②物事を行うときの手続き。順序。
(用例)一定の筋道を踏む。

道理~どうり~物事の正しい筋道。正しい論理。条理。わけ。
(用例)ものの道理。道理を説く。負ける道理がない。

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追記: 2020/11/24 06:05 〜訂正内容〜文中の誤記を数ヶ所訂正しました。

177_雑感

釈尊の生涯 を、

序章 原始仏典へのいとぐち

第一章 誕生と求道ー「スッタニパータ」(1)

第二章 悪魔の誘惑ー「サンユッタ・ニカーヤ」(1)

と、見てきて、今は、

第三章 最後の旅ー 「大パリニッバーナ経」

この大詰めの前ですが、勝手ながら、また、息抜きをさせて頂きます。

少し前に、男女関係のことを書籍とネットでそこそこ調べた時の雑感も交えて書いてみたいと思います。

最近見つけたサイトですが、note というところにあった、美人の生きる道、のカンナさんという人が書いていたことには、実体験も交えてあり、ある程度の説得力があった。

ご本人のお顔も小さな横顔だけですが、確かに美人そうです。

彼女は、美人や彼女の兄弟のイケメンの心の闇や寂寥感といった孤独にきちんと触れていて、普通の男女関連のサイトとは一味も二味も違うな、と感じたからです。

普通のサイトは、どちらかというと、ガールズちゃんねるのように、ミーハー系(ごめんなさい)で、イケメンなら、ただ、嬉しい、ドキドキ、とキャーキャー騒ぐ(ごめんなさい)か、その延長のように感じるものが多かったからです。

私のような因縁因果肯定派から言わせてもらうと、イケメンならくっついてからが勝負なんです。

お付き合いしてから、結婚してから、セックスしてからが、です。

本番はそこから。

ここから修行がはじまる。

嬉しいことばかりにして、楽しいことばかりにして、お姫様扱いして、では、そうは問屋が卸さない。

相手の気にいらないところ、嫌なところ、が見えてから、それでもその人の人間性(神様の愛をどれだけあらわせているか)を見いだし、すり合わせ、場合によっては育てていく。

その覚悟がないと、信仰も何もなければ、本当に過去世からの因縁に振り回され、おそらく、(よほど過去世で徳を積んでいない限りは)苦労することが、多いと思うんですよ。

そりゃあ、イケメンや美人なら、癒し効果があるのは確かでしょう(私には縁がないのでわかりませんが)。私達は真善美に悖らない神様を本体に頂く者だし、本来、美しいものが好ましいし、元々はみんな誰しも美しかったのだから。

外見は、あくまでも、過去世からの因縁が何かしらの形で反映された、一つのあらわれに過ぎないものである、との考えには、まだまだ、いたっていませんからね。

人類皆兄弟などといってみても、この現界、あらわれの世界だけを見ていては、到底、理解はできない。

釈迦が、相手が人間である以上、一切の差別をしなかったのはなぜか?

神様の分霊の受ける器としては、皆平等だからですよ、おそらく。

相手の本体が神様の分霊、すなわち、神様であること、そして、あらわれの世界である現界、この世があまたの過去世の因縁を反映させたものに過ぎず、神様のみ心以外は、すべて万物流転、消えてゆく姿としてのものであることをわかっていたからではないでしょうか?

いいものも、悪いものも、みんな現界で、時を経て消えてゆく。

だから、いずれ消えて無くなるものに、執着を持つといやが上にも、苦しまざるを得なくなる。

ただ、玄奘三蔵さんのことを調べた時も感じましたが、本当に神の道を求める人のあり方としては、まさに超人ですね、彼らは。

玄奘三蔵さんは、その生涯を仏教、ひいては、経典翻訳を通して人のために捧げ尽くした。

お釈迦さんは、悟りを得てから亡くなるまで、45年間も、人のために捧げ尽くした。

その生き方を、ほんのわずかでも、億分の一でも、兆分の一でも、生きているうちに、できることならば、活かせるように、心がけたいと願います。

おこがましいですが、無限億万年の最底辺の信仰者の端くれにもいたらない者としての、感想です。

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追記: 2020/11/24 05:32 〜訂正内容〜全体にわたって、細かい語句や書き方の訂正を数ヶ所しました。

176_原仏10ー7

175_原仏10ー6 の続きです。

釈迦が、この世は美しいものだし、人間の命は甘美なものだ、とした後の続きになります。

「さあ、修行僧たちよ。わたしは今お前たちに告げよう、 ー もろもろの事象は過ぎ去るものである(諸行無常)。
怠けることなく修行を完成なさい。
久しからずして修行完成者(=ゴータマ・ブッダ)は亡くなるだろう。
これから三ヶ月過ぎた後に、修行完成者は亡くなるだろう」と。

そして、彼は次のような感懐を洩らします。

「わが齢は熟した。
わが余命はいくばくもない。
汝(なんじ)らを捨てて、わたしは行くであろう。
わたしは自己に帰依することをなしとげた。
汝ら修行僧たちは、怠ることなく、よく気をつけて、よく戒めをたもて。
その思いをよく定め統一して、おのが心をしっかりとまもれかし。
この教説と戒律とにつとめはげむ人は、生れを繰りかえす輪廻をすてて(迷いの生存をすてて)、苦しみも終滅するであろう」と。

中村さんによると、これは別れの言葉とされます。

釈迦の心に感じて思うこと(感懐)のなかで、肉体人間としての現実を見つめ、弱さを認めているもので、自らを偉ぶらず、老人になったことをはっきり認めたものだ、それだけに胸を打つ、とされています。

この終わりの、輪廻転生から卒業すること、悟りを得て、解脱することが最終目標だと取れますね。

逆に言うと、肉体人間として、この世に生を受けるということは、やはり、苦しみだといっているようにも取れます。

従って、まだまだ、五感にまつわる、肉体にまつわるところの、各種の欲望に未練があったり、とらわれていては、すなわち、これらをむさぼりたくて仕方ないようでは、まだまだ、といったところでしょうか。

この終わりの部分からすると、肉体人間としての生まれ変わりを上(あ)がりになることが、苦しみに終止符を打つ、と読み替えることができますから。

次です。

病を押して、釈迦は再び故郷に向かって旅立ちます。そして、いくつかの町や村を経て、ハーヴァーの町に着きました。

ここで鍛冶屋(かじや)の息子チェンダの出してくれた食べ物で、また病気に、重い病気にかかります。激痛に耐えながら、最後の旅が始まるという伝説が経典にあります。

 ー 鍛冶工であるチェンダのささげた食物を食(め)して、しっかりと気をつけている人は、ついに死に至る激しい病に罹(かか)られた。
菌(きのこ)を食べられたので、師に激しい病が起こった。
下痢をしながらも尊師は言われた。
「クシナーラーの都市に行こう」と。

(四・二〇)

クシナーラーは、釈迦が亡くなった場所です。

釈迦はこの苦しみの後、激痛に悩まされながらも、禅定に入って苦しみに耐え、しきりに水が飲みたいと言ったことが、経典に出ています。

このような苦しみには遭いますが、釈迦はチェンダを恨まず、むしろ、気を配り心配しています。

「チェンダは〈自分が供養した食物で、釈尊は中毒に当たられた。すまなかった。〉と思うかもしれないが、しかしそうではない。かれが供養してくれた食物は、最も功徳のあるものであった」と。

中村さんは、釈迦がどこまでもチェンダのことを思いやり、彼の好意に感謝していたとしています。

いずれ遠くない将来、自分が亡くなることになった時に、チェンダが周辺をはじめ、あらゆる人から責め立てられることを危惧して、思いやり、先手を打ってかばっておいた、ということでしょうね。

自分が年老いたのも、病気になったのも、今回、食あたりにあったのも、すべて自然の成り行き、定めなのだ。決して、チェンダを責めてはならない、と。

なお、中村さんは、釈迦がバラモン教カースト制度にこだわらないことについても、ここでは触れています。

中村さんは、カースト身分制度によると、鍛冶工のような職業は一番下とされると言われていて、シュードラとされると書いています。

カースト身分制度にこだわらず、もてなしもありがたく受けるし、教えも説く、それが人間としての釈迦の態度、あり方である、と。

ハーヴァーからクシナーラーへの旅は、苦しく大変なものであったに違いない、と中村さんは述べています。

釈迦は、旅の途中、何度も休みます。

その描写が以下です。

尊師は路(みち)から退いて、一本の樹の根もとに近づかれた。
近づいてから若き人アーナンダに言った。
「さあ、アーナンダよ。お前はわたしのために外衣を四つ折りにして敷いてくれ。わたしは疲れた。わたしは坐りたい」
「かしこまりました」と、アーナンダは尊師に答えて、外衣を四重にして敷いた。
尊師は設けられた座に坐った。坐ってから、尊師は、若き人アーナンダに言った。
「さあ、アーナンダよ。わたしに水をもって来てくれ。わたしは、のどが渇いている。わたしは飲みたいのだ。」

(四・二一 ー 二二)

苦しい時には、素直に苦しいと言っている。肉体人間としては、ごく普通の人と何ら変わるところがない。人間的な暖かい彼のぬくもりが伝わって来るようだ、素晴らしい情景だ、といった評価を中村さんはしています。

なお、中村さんは、その時、異常な霊験があらわれた、ともされているのですが、申し訳ありませんが、調べていないので、割愛させて頂きます。

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追記: 2020/11/21 21:05 〜訂正内容〜

以下のものを追記します。

鍛冶~かじ~金属を熱し、打ち鍛えて種々の機械・器具を作ること。また、その人。

鍛冶屋~①鍛冶を職業とする家。また、その人。
②一端がL字状に曲がり、釘(くぎ)を挟(はさ)む割れ目のついた鉄製の大工道具。釘を抜くのに用いる。
ここでは、①の意味。

禅定~ぜんじょう~①心のはたらきを静めて、精神を集中すること。また、その心の状態。瞑想。
②霊山に登って修行すること。
ここでは、①の意。

外衣~字引載っておらず。

175_原仏10ー6

中村さんは、釈迦がヴェーサーリーを去るにあたって、我々にとって胸に響く感懐を残した、この世を去り、皆と別れるとなると、今さらながらにこの世の美しさに打たれて、恩愛の情に引かれている、としています。(注1)

アーナンダよ。
ヴェーサーリーは楽しい。
ウデーナ霊樹の地は楽しい。
ゴータマカ霊樹の地は楽しい。
七つのマンゴーの霊樹の地は楽しい。
バフプッタの霊樹の地は楽しい。
サーランダダ霊樹の地は楽しい。
チャーパーラ霊樹の地は楽しい。

(三・二)

インドの土地はだいたい荒れていても、そこに大きな樹が茂り、葉が繁茂すると、その下は涼しくて気持ちがよくて、美しいそうです。(注2)

また、釈迦は、「この世界は美しいものだし、人間の命は甘美なものだ」ともしています。

中村さんによると、甘美は訳しにくいそうですが、原語はマドゥラで、甘くて味わいがよい意味だそうです。味わえば味わうほど深みがある意だとされています。

さしずめ、噛(か)めば噛むほど味が出るスルメとでも、言えましょうか。ただし、塩味ではなくて、ほのかな甘さを漂わせる妙なる味わいの人間の。(注3)

なお、中村さんは、原始仏典では、この世は苦であると説かれていることと、こうした甘美の表現が矛盾するかもしれないことについて、その整合性を以下のようにつけています。

またですが、これも大体にまとめます。

以下です。

釈迦は、最初は人生が思うようにならないことを痛感して、道を求めた。その時点では、一切皆苦、すべては苦であると。

しかし、道を求めて修行を続けた過去を、今この齢である終末になって改めて振り返ってみると、人間の命は尊く味わいのあるものだ。

今、この人生の終末近くで感じたことに深い意味がある、と。

また、勝手に解釈させてもらいますと。

神様のあらわしたものは、すべて妙なるもので、神秘に満ちていて美しい(猛獣や毒蛇みたいな生き物もいるけれど。彼らにもやはりそれなりの意味があるのでしょう)。

大自然も、あまたの生物、植物も動物もすべてのものが美しい。

もちろん、神様の分霊を頂いて生きている人間は、霊妙きわまる摩訶不思議なる存在だ。

人生が思うようにならないのは、元々があがないのための修行だから。

完全な神体の世界、神様の世界から、波動でいうと粗い不完全なこの肉体世界、この世にまで霊界、幽界と通って降りてきて、しかも自分勝手な行為をするんです。

だから、神様の道から外れた分は軌道修正しなければならなくなる。

大元の神性に加えて、神様の世界をこの三次元の物質世界にあらわすことを、地球さんという惑星開発の形をとって行うために、自己保存や生殖といったやや排他的な本能を付与された(巷でDNA(遺伝子)を残す云々として皆さん話をしているのは、大体これじゃないですか)。

そのために、どうしても発展の段階として、自分本意な自分勝手な想念と行為で、真善美に悖る業想念を積んでしまい、霊魂魄(れいこんぱく)に汚れをつけてしまう。

これは、霊魂魄、神様の分霊、神様としては、本来あってはならないものだから、原則として、隔世を経て、順次清算して消し去らなければならなくなる。

消し去られる定めにあるんです。

これが、現世で、病気、争い、貧乏、苦労として、病、争、貧、苦のあがないとしてあらわれてくる。

だから、この世は、原則として楽しみに来ている訳ではない。

嬉しいことばかり、楽しいことばかりにならないほうが、ほとんどのはずなんです。

だから、一切皆苦だ、と。

ただ、やはり、釈迦のように達観した目でこの世を見ると、改めて神様の懐(ふところ)の深さ、偉大さ、作られたものの美しさ、はかなさ、などを感じないではいられない。

修行だとしても、このような素晴らしい環境を用意して下さっている、と。

そういうことじゃないですかね。

実際、信仰者の端くれにもなれない、まったく問題にならないほど無限億万年の最下層の私でさえ、黄金に生え輝く何物にも例えようがないほど美しい夕陽、明けの明星の空、もちろん、自然は厳しいものがたくさんあるけれど、やはり、素晴らしいし、美しいと思います。

感嘆しますものね。

~~~~~

(注1)感懐~かんかい~心に感じ思うこと。
(用例)感懐を述べる。

恩愛~おんあい~①いつくしみ。めぐみ。情け。
②親子・夫婦の深い情愛。
ここでは、①の意。

(注2)繁茂~はんも~草木が生い茂ること。

(注3)妙~たえ~不思議なまでにすぐれているさま。霊妙なさま。

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追記: 2020/11/21 13:03 〜訂正内容〜最下部で、一部不適切な例えがあったので訂正しました。

174_原仏10ー5

釈迦は、ヴェーサーリーにしばらくとどまり、雨期に入ります。

そこで、釈迦は病気にかかります。回復はしましたが、年齢は80才です。彼は、寿命のことを意識したのでしょう。

ところで。

当時の平均寿命がわからないので、何とも言えませんが、80才というのは当時としては長生きだったのではないでしょうか?

浄土宗系で言えば、法然は80才、親鸞は90才ですよね。

それに、釈迦ほどの人なら、神通力を備えているので、自らの寿命のこと、そしてこの世を去るまでの経緯はわかっていたのではないですかね。

ただ、それらは、周囲には決して言わなかっただけで。

それはともかく。

中村さんは、回復したとはいえ、80才という年齢で、釈迦が病気にかかったことで、死の覚悟を固めたと断じています。

そして、これから釈迦が様々に述べることを、感慨をもって受け止められたようです。

これは、私の勝手な解釈も含めて考えるのですが。

釈迦は、宗教家、人生の道を求める求道者の先達としてのあり方を示しておきたかったのではないですかね。

もちろん、それまでの生きざまで、弟子達や帰依者達に、十分には伝わって来ているはずですが、それでも、なお、言い残しておこう、と。

まず、自分の教えは、いや、求めてきた法は、あらゆる人に明らかであり、あらゆる人を照らすものであること、そして、唯物論とは決定的に異なるということを。

以下です。

「アーナンダよ。修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるか?
わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。
完(まった)き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳(にぎりこぶし)は、存在しない。」

内外の隔てなしに、とは。

私達、肉体人間が、皆、神様の光の一筋、一筋の分かれの霊光、神様の分霊を本体とする神の子であるから、過去世からの因縁によって、いかに、性別、性格、外見、身分などの置かれた境遇が異なろうとも、決して差別はしない、という意味に取れます。

そして、悟りを得た自分ではあるが、出し惜しみや秘伝のような真似は、決してしない。これらは、これすなわち、差別と同じだからです。

唯物論での、肉体人間=自己とする立場から、他人を出し抜き、少しでも自分だけが優位な立場に立つような、そんな真似はしない。

いかなる理由があっても。(注1)

そんな真似はしないし、そもそも自分の教えは、そうした出し抜きや隠しだてをするようなものとは違うのだ。

あらゆる肉体人間すべての人々に、等しく通じるところの、人としてのあり方を説いて来たのだ、と。

そして、ある程度、道を求めてきた修行者の心構えについて、そのあり方を示しています。

「わたくしは修行僧のなかまを導くであろうとか、あるいは修行僧のなかまはわたくしに頼っているとこのように思う者こそ、修行僧のつどいに関して何ごとかを語るであろう。
しかし向上につとめた人はわたくしは修行僧のなかまを導くであろうとか、あるいは修行僧のなかまはわたくしを頼っているとか思うことがない。
向上につとめた人は修行僧のつどいに関して何を語るであろうか。」

つまり、真の求道者たる者は、自分こそが修行の道から見て、下位の者を導けるとか、頼られるほどの偉い人間だと、思い上がることなどない、ということでしょう。

自分がある程度道をきわめつつあったと思っていても、あくまでも、自らを見つめ直しながらの精進に次ぐ精進しかないので、そうした、俗世間的な見栄などとは無縁なものなのだ、ということでしょう。

この世が、五感にまつわる誘惑の多いこの肉体世界が、真善美に悖る業想念に満ち満ちていて、ちょっとでも油断をすると、迷いやすい。

増長もするかもしれない。

だから、常に反省に次ぐ反省で自戒しながらやっていく必要があるから、気をつけましょう、と。

宗教の道は、人や仲間の数を頼んで、外圧をかけたり、どうこうするものではない、あくまでも、自分が神様のみ心に照らしてどうであるか、ふさわしいあり方をしているかを、常に自問自答しつつ、精進していく道なのだ、と。

さらに、こうも述べています。

「アーナンダよ。わたくしはもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。
わが齢は八十となった。
譬(たと)えば古ぼけた車が革紐(かわひも)の助けによってやっと動いて行くように、恐らくわたくしの身体も革紐の助けによってもっているのだ。」

(以上、二・二五)

中村さんは、釈尊の感慨が伝わって来るような気がします、と述べられています。

これも、また、勝手な解釈になりますが。

人々も、修行者も、その気根のいかんによって、悟りにたどり着けるかどうかは異なってくる。(注2)

各自のあまたの(=数多くの)過去世からの積み重ねの、精進の賜物、いわば、集大成であるところが大きいからだ。

しかし、今、この世に存在する肉体人間として神様の分霊の器としては同じだ。いかに過去世の因縁により性別などの現在の境遇が異なろうとも、道を求めることは、この世に生を受けた以上、誰にでもできる。

自分は悟りに達したけれども、あくまでも皆さんと同じ肉体人間なんだ。老いもするし、それもこうして肌で感じる。超人的な存在ではないのだ。

私はあくまでも肉体人間という、皆さんと同じ立場にいる。だから、道を求めていきましょう、と。

そのあと、釈迦はさらに教えを説きます。自己に頼れという教えです。

「この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。」

しかし・・・。

私は頼ると普通に書きますが、さっきは「頼る」で今度は「たよる」ですか。こんな風に、同じ表現でも漢字混じりか、ひらがなか、本当に本での記載が首尾一貫していないんです。

以前お断りで書きましたけど、決して私が皆さんに意地悪をして、書き分けて、煩(わずら)わしい印象を与えるつもりではないので、この点は悪しからずご了承下さい。

すみません。話がそれました。

また、この自己に頼れ、に関しては、次のものもあります。

「アーナンダよ、今でも、またわたしの死後にでも、自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとしないでいる人々がいるならば、かれらはわが修行僧として最高の境地にあるであろう。
 ー 誰でも学ぼうと望む人々は。」

また、愚痴ですが。

さっきは、わたくし、今度はわたし、です。本当にこんな感じなんです、漢字混じりだけではなく、ひらがなだけでも。何でなのかわかりませんが。

すみません、戻ります。

中村さんは、自己に頼る=法(ダルマ)に頼るとか、百万人といえども我往(ゆ)かんとか、いろいろと書かれていますが、申し訳ありませんが、ここは私の独断と偏見で、書かせて頂きます。

上記に書いたことと重なりますが、自己に頼る=法に頼るとは、あくまでも、自分が神様のみ心に照らしてどうであるか、ふさわしいあり方をしているかを、常に自問自答しつつ、精進していく道なのだ、と解釈します。

なお、島とするの各表現は、インド固有の気象事情にもとづいたものです。

インドには、雨期明けに日本とは桁違いの大洪水になることがあり、大海原の中にいるようになって辺(あた)り一面水浸しになるそうです。

そんな時、頼りになるのは水面から出ている部分しかなくなります。これを島と呼んでいるのです。漢訳仏典では、洲(す)あるいは島と訳されています。

なお、中村さんによると、法を明らかにすることが釈迦の根本的な立場であることから、昔(いつ頃ですかね?)は仏教と言わずに、仏(釈迦のことでしょう)が明らかにする法という意味で、仏法と言っていたそうです。

「・・・修行僧たちよ。これらの法を、わたしは知って説いたが、お前たちは、それを良くたもって、実践し、実修し、盛んにしなさい。それは、清浄な行いが長くつづき、久しく存続するように、ということをめざすのであって、そのことは、多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々を憐(あわ)れむために、神々と人々の利益・幸せになるためである」と。

(三・五〇)

人間として法を実践することは、すべての人々の利益と幸福につながるとしているのでしょう。

この言葉からすると、釈迦は自力的な精神が強かった、と中村さんは分析しています。

自分は指導はしたけれども、道を求めるのはあくまでも各々がすることだ。私(釈迦)は機縁(奇縁?)は与えて、道しるべにはなっても、行いは自分でするのだよ、と。

そのやり方は、自己に頼る=法に頼る、というやり方で、と。

そうすれば、自己の進む道にも確信が出てくることにもなる旨を、中村さんはお書きになっています。

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(注1)万が一、出し惜しみをすべきものがあるとすれば、唯物論的に悪用が可能なもの、すなわち、自己の五感にまつわる勝手な欲望充足のために乱用できるもの、となるでしょうね。

もっとも、そもそも、釈迦の言うような、人として求めていく道に、このようなものがあるのかどうかはわかりませんが。

(注2)気根~きこん~①物事をやりとげる気力。根気。
②仏教語で、仏の教えにしたがい修行しうる衆生の能力・資質。

ここでは、②の意。

衆生~しゅじょう~仏教語で、いっさいの生き物。特に人間。

(注3)機縁~きえん~仏教語で、仏の教えを受けることのできる縁。
②何かが起こるきっかけ。

(参考)奇縁~きえん~思いもよらない不思議なめぐり合わせ。不思議な因縁。

(用例)合縁奇縁・合縁機縁~あいえんきえん~男女・夫婦・友人など、人と人との交わりで、たがいの気心が合うのも合わないのも、すべて不思議な縁によるということ。

つまり。

あまたの過去世からの因縁は、私達一般人にはわからないし、目にも見えないから、不思議であるとされる訳でしょうね。

173_原仏10ー4

パータリプトラですが、中村さんの推定によると、以下のようになっています。

マガダ王朝が、いまだインド全体を支配しないうちは、山脈に囲まれた火山跡のような難攻不落な城塞であった王舎城のような場所はそれなりに適していた。

が、マガダ王朝の支配がインド全体に及ぶようになれば、もう要塞にこもる必要はなくなるので、水陸ともに交通の便利な場所に移った方が都合が良い。

そこで、パータリプトラに都を移した、と分析されています。

ところで、中村さんは、このパータリプトラに関して、インドの歴史の残し方について経典を絡めて触れていますが、私見ですが、ちょっとゴタゴタとした問題を含むと思うので、ここでは深入りしません。すみませんが、ご了承願います。

そして、ここから渡し場をどこからか、修行者としてガンジス河を渡り、途中いくつかの村を経て、商業都市ヴェーサーリーに逗留しました。(注1)

ヴェーサーリーは、かつて釈迦が何度も訪れ、逗留したこともある土地とのことです。

ここは、バラモン教ヒンドゥー教の典籍には、ほとんど出てこないことから、カースト制度はなかったであろう、とされています。(注2)

また、ここは、仏教が興って広がるためには特別な意味があった大都会だと中村さんは述べられています。(注3)

共和制が敷かれ、人種も色の青い人(色の黒い人のこと)、色の白い人、色の黄色い人、色の赤い人(赤は日に焼けたという意味)といった人々がいて、皆それに応じた家に住み、それぞれに立てている旗も四つの色で分かれていたそうです。

商業が栄えるためには、等価交換ができず、物流がせき止められてしまうようなカースト制度はよくないので、共和制が敷かれていたのは好都合でもあったようです。

人々は平等であることが、商業を栄えさせる。その点、商業には民主化を促す側面があるとされています。

従って、(平等主義で民主的な)仏教が歓迎されたとされます。

ここで、釈迦と弟子は、かねてから帰依していた遊女アンバパーリーに歓待されました。食事に招待されたようです。(注4)

彼女の林で過ごし、訪ねてきた彼女を法話を持って教え諭して、励まし喜ばせたそうです。

中村さんは、ここで遊女が登場することが重要だとしています。

教えを聞きたい人には、皆受け入れて教えを説くという釈迦の姿勢がはっきり出ているとしています。

中村さんは、これはバラモン教では許されないので、仏教の大事な特徴点であるとしています。

これは、あれですね。

肉体人間は、神様の分霊を本体とする神の子である、と同じ考え方だと捉えることができますね。

この世で、過去世からの、いかなる因縁により、身分や性別や外見や性質などが異なろうとも、本質が神の子なのである。

従って、その点においては皆平等であり、その本体が神様の光の分かれ分かれの、兄弟姉妹なのであるから、教え、ましてや神様に通じる教えを乞いに来たら、絶対に差別はしない、ということですね。

これと同義ですね。

なお、遊女アンバパーリーが、林を所有していたこと、釈迦と弟子を歓待する、すなわち、お坊さんをもてなすことができたことから、当時は貨幣経済も発達して、彼女の社会的地位も高かったであろう、と推察されています。

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(注1)逗留~とうりゅう~旅先などでしばらくとどまること。滞在。
(用例)逗留先。長逗留(ながとうりゅう)。

(注2)典籍~てんせき~書籍。書物。本。

(注3)興る~おこる~①弱い力で進んでいたことが力を得て目立つようになる。盛んになる。奮い立つ。
②新しく生じる。新たに始まる。
ここでは、②の意。

(注4)帰依~きえ~神仏を信じてその教えに従うこと。
(用例)仏道に帰依する。

(追記)遊女については、168_原仏9ー8 の(注1)で触れましたが、念のために引用します。

見て頂く手間を省くために再度載せます。

遊女~ゆうじょ~①中世、宴席で歌舞・音楽を演じたり、身を売ったりした女。遊び女。
②江戸時代、遊郭で身を売っていた女。女郎。

なお、身を売るとは、自分を求めてくる相手の男性に、なにがしかの対価と引き換えに、セックスをさせる、セックスされることを許す、という意味です。

現代風に、はっきり言い切ると、こうなるはずです。

遊女は、中世や江戸時代はおろか、少なくとも、2500年以上前からいたということですね。

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追記: 2020/11/19 12:35 〜訂正内容〜注の番号1が抜けていたので、訂正しました。
最下部の(*)を(追記)と改めました。

172_原仏10ー3

170_原仏10ー2 からの続きです。

王舎城を出発した釈迦は、最初にナーランダーに立ち寄りました。そこでは、マンゴーの林の中で過ごし、修行者に法話をしました。

ナーランダーには、仏教寺院が5世紀頃からと非常に早くつくられ、やがて学問・研究の中心として栄えました。玄奘三蔵なども長くとどまり、その時代には、アジア諸国から1万人以上の留学生がいて、これが8世紀まで栄えた、一種の国際的な大学のような地域であったようです。

このナーランダーで研究された仏教哲学は、中国を経て、法相宗(ほうそうしゅう)として、京都の清水寺、奈良の薬師寺興福寺法隆寺などに伝えられました。

インド発の仏教は、こうして世界に広まっていきました。しかし、次第に、ヒンドゥー世界に近づいて吸収されて、12世紀のイスラム信仰によって、その姿を消していったとのことです。

釈迦はその後、パータリプトラの都に向かいました。当時は、マガダ国王のアジャータサットゥが、対ヴァッジ族のための城壁を造らせていました。当時は小さな港町でしたが、後にアショーカ王の頃には、大商業都市兼大政治都市にもなります。