10 初めて法輪を転ず
・人生の羅針盤としての戒
前回 ( 733_ひしみー154 ) の続きです。
五戒の「1.不殺生戒」の続きです。
では、前回書いたことを踏まえた上で、生き物を殺すこと、中でも、「なぜ人を殺してはならないのか」を考えてみたいと思います。
前回述べたことは、あらゆる世界は、神様によって造られたものである、神様が造物主である、創造主である、と考える立場から、あらゆる生物(植物その他も含まれるが、ここでは、昆虫や動物や、肉体人間に限って話をする)は、神様あってのものである、神様の命の息吹きを吹き込まれていて、生かされているからこそ、生きていける、ということを前提にした話な訳です。
そこで、肉体人間、いわゆる、世間一般的に万物の霊長とされる肉体人間が、なぜ、同種の他の肉体人間を殺してはならないのか、を考えます。
まず、動物以下の生物と肉体人間には決定的な違いがあります。
これをまず、踏まえておく必要があります。
それは、私達この世にあらわれている、肉体人間の本質(本体)は、神様の分けられたお命である、霊魂魄(れいこんぱく)、すなわち、神様の分霊(わけみたま)である、ということです。 動物のラインやお猿さんの本質(本体)が、魂魄(こんぱく)であるのに対して、私達肉体人間の本質は、この動物の魂魄に加えて神様の分けられたお命という霊を直接に与えられ、霊魂魄(れいこんぱく)となっているのが、決定的な違いとなります。 神様が造物主・創造主である以上、あらゆる生物は、神様に生かされている、その生殺与奪の権限は、突き詰めて考えるとすべての命の大元となっている、大霊である宇宙神のような大神様にしかない、動物と人間でも殺し合ってはならない(食物連鎖などの動物の殺し合いについては後述する)のは当然となるし、ましてや、動物の上に立つ万物の霊長であり、神様の分けられたお命を直接頂いている肉体人間同士は、殺し合ってはならないのは当然だ、と考えられます。 肉体人間と動物間のような、異種生物間でも殺し合ってはならないのに、ましてや、肉体人間が他の肉体人間を殺す、ましてや、肉体人間同士が殺し合いをすることなど許されないことになるであろう、重い理由は、果たしてどこにあるのか?これは、神様それ自体が、真善美に悖らない、愛そのものの存在であるからだと考えられます。
ゆえに、神体に、想いである幽体をまとい、さらには肉体をまとい、この物質世界のこの世を生きていく都合上、わが身(とその近しい者を守る)自己保存の本能が与えられていても、本来の肉体人間のあるべき姿というのは、真善美と愛に悖らない、神様のお姿を映したものでなければならない訳です。
そんなあるべき姿を、この世にあらわしていかなければならないはずの肉体人間が、他の肉体人間を殺す、さらには、肉体人間同士で殺し合うことなど、あってはならないことになるからです。
真善美と愛に悖らない神様が殺し合う、あるいは、他の神様の分けられたお命を宿す同胞に当たる者を殺す。
そんなことが許されるはずもないし、あってはならない、とするのが順当な論理的な帰結として考えられます。
このように考えてくると、殺人は、そもそもその行為それ自体が、絶対にしてはならないことになるんですね。
しかし、私達が、想いをまとって、さらには、肉体をまとって、この世に天下ってしまうと、自己保存の本能(神体という細かく微妙な波動の存在から肉体という粗い波動の存在になったこともあり)、本来の神様にはなかった、真善美に悖る、様々な想い(と行い)を抱いてしまうために、この世で清算すべき真善美に悖る、過去世で積み重ねた悪い因縁を持った、たくさんの肉体人間がこの世に生まれて、この世で逃れることのできない病争貧苦などが、たくさん、たくさん、あらわれてくる訳です。
話がそれました。
私達肉体人間の本質(本体)は、神様の分霊である。
であるならば、主体として、神様の分霊を頂く他人を絶対に殺してはならないし、客体として、神様の分霊を頂いている人間として、同じく神様の分霊を頂いている他の肉体人間に殺されることなどは絶対にあってはならない。
これが、人を殺してはならない根本的な理由と考えられます。
過去世の悪い因縁により、この世にどんなに争いが起き、殺人事件が起きたりしても、こうして、本来的には殺人そのものが、絶対悪としてあってはならないものとなる。
つまり、本来は、宇宙神か、その生殺与奪の権限を任された上位の神様(肉体人間の場合は守護神様)にしか生殺与奪の権限はない、さらには、たとえ、神様の子供として肉体を持ち、業の深い肉体人間としてこの世に天下っていたとしても、神様の子供同士の間で、殺しや殺し合いがあってはならないのが、殺人が認められない根元的な理由となります。
本質だけを見てごく簡単に言うと、真善美と愛を体現する神様が、相争い、ましてや、殺し合うなんて、あるはずがないでしょうが、ということです。
だから私は、古来からある神話でもなんでも、これは神様の話などではなく、業想念にまみれた肉体人間同士の話に過ぎないのではないかな、と思えるような話が好きになれないんですよ。
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①追記: 2023/12/08 06:10
②追記: 2023/12/08 06:20
③追記: 2023/12/08 07:05
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。