2021-09-01から1ヶ月間の記事一覧
第 6 章 心が晴れるためには100.一人で涅槃へ音声に驚かない獅子のように、 網にとらえられない風のように、 水に汚(けが)されない蓮(はす)のように、 犀(サイ)の角のようにただ独り歩め。(スッタニパータ)佐々木さんは、この獅子をライオンと訳しているが、…
第 6 章 心が晴れるためには99.交友関係の難しさ今の人々は 自分の利益のために交わりを結び、 また他人に奉仕する。 今日、 利益を目指さない友は、 得難い。 自分の利益のみを知る人間は、 汚ならしい。 犀(サイ)の角(つの)のようにただ独り歩め。(スッタ…
第 6 章 心が晴れるためには98.「自分のもの」は変化してしまうここにあげられている経文については、佐々木さんの書いた該当箇所に相当する文章が見当たらず、近いと思われる該当箇所の文章も、実質的な内容は似通っていても表現の仕方がかなり違う。具体的…
第 6 章 心が晴れるためには97.愛欲は身を滅ぼす果実が熟したならば、 尖端は甘美であるが、 喜んで味わってみると辛い。 愛欲は愚かなる者をどもを焼き尽くす。 ーたいまつを離さない人の手を、 たいまつが焼くように。(ウダーナヴァルカ)売れた果実の味に…
第 6 章 心が晴れるためには96.悩みも喜びもいらない悩みの生じた者には、 喜びが起こる。 喜びの生じた者には、 悩みが起こる。 修行僧は、 喜ぶこともなく、 悩むこともない。 友よ。 このように知れ。(サンユッタ・ニカーヤ)佐々木さんによると、これは、…
第 6 章 心が晴れるためには95.遮断によって涅槃へ悟りに至る実践は修養の他に、 感官を制御することの他に、 一切を捨て去ることの他に、 生ける者どもの平安を、 われは認めない。(サンユッタ・ニカーヤ)佐々木さんによると、感官とは、 目、 耳、 鼻、 舌…
第 6 章 心が晴れるためには94.業は消費される世間には種々なる苦しみがあるが、 それらは生存の素因にもとづいて生起する。 実に愚者は知らないで生存の素因をつくり、 繰り返し苦しみを受ける。 それ故に、知り明らめて、 苦しみの生ずる原因を観察し、 再…
第 6 章 心が晴れるためには93.悪を断ち切る煩悩の汚れはすでに尽き、 高慢を断ち、 あらゆる貪りの路を超え、 自ら制し、 安らぎに帰し、 心が安立しているならば、 彼は正しく世の中を遍歴するであろう。(スッタニパータ)佐々木さんによると、これはお釈迦…
第 6 章 心が晴れるためには92.得るのではなく捨てる好ましいものも、 好ましくないものも、 ともに捨てて、 何ものにも執著せず、 諸々の束縛から離脱しているならば、 彼は正しく世の中を遍歴するであろう。(スッタニパータ)佐々木さんは、これを、それぞ…
第 6 章 心が晴れるためには91.正しい教えはわけへだてなくまた全世界に対して 無量の慈しみの意(こころ)を起こすべし。 上に、下に、また横に、 障害なく(*1)怨みなく 敵意なき(慈しみを行うべし)。(スッタニパータ) (第一 蛇の章 八、慈しみ より)だいぶ…
第 6 章 心が晴れるためには90.自分を救う眼に見えるものも、見えないものも 遠くのものも、近くのものも すでに生まれたものも、これから生まれるものも 生きとし生けるものをことごとく幸せにせよ(スッタニパータ)今枝さんの注釈によると、 この経文が含ま…
第 6 章 心が晴れるためには89.「塊」としての煩悩(欲情の)一本の樹ではなく、林を刈れ。 危険は(欲情の)林から生じる。 (欲情の)林と下草とを刈り (欲情の)林を離れた人となれ、出家修行者よ。(ダンマパダ) (二八三) (第20章 道 より)佐々木さんによると、 …
第 6 章 心が晴れるためには88.感情よりも英知実践すれば、叡智が生まれ 実践しなければ、叡智は消える。 (苦しみの)生起と消滅の 二つの過程を知り 叡智が生まれるように 自らを修養せよ。(ダンマパダ) (二八二) (第20章 道 より)佐々木さんは、上記の今枝…
第 6 章 心が晴れるためには87.自業自得の摂理鉱石が(自分から生まれた)ダイヤに破砕されるように(*) 無知な人は、自分が行い 自分が産んだ悪により 打ち砕かれる。(ダンマパダ) (一六一) (第12章 自己 より)佐々木さんによると、仏教で悪というのは、自分…
第 6 章 心が晴れるためには86.涅槃に達すると怒りは湧(わ)かないヒビ割れた鐘の音のような 荒々しい言葉を口にしなければ あなたは怒ることがなく 安らぎに達する。(ダンマパダ) (一三四) (第10章 暴力 より)上記は今枝さんの訳だが、 「このヒビ割れた鐘の…
第 6 章 心が晴れるためには85.何にも動じないことが幸せ今回から、第 6 章に入る(経文の改変あり)。正しい叡智によって解放された 安らかな人 彼は、心静かにして 言葉も、行いも静かである。(ダンマパダ) (九六) (第 7 章 まことの人 より)佐々木さんによ…
第 5 章 やりたいことが見つからない84.現代にも受け継がれる教えすべて悪(あ)しきことを為(な)さず、 善いことを行い、 自分の心を浄めること、 ーこれが仏の教えである。(ウダーナヴァルガ)佐々木さんは、この経文の仏をブッダと訳している。中村さんの注…
第 5 章 やりたいことが見つからない83.正しさは裏切らない世俗的であっても、 優れた正しい見解を持っているならば、 その人は千の生涯を経ても、 地獄に墜ちることがない。(ウダーナヴァルガ)佐々木さんは、千の生涯を、千回生まれ変わっても、と訳してい…
第 5 章 やりたいことが見つからない82.惹かれてはいけないもの下劣な仕方に馴染むな。 怠けて人々とともにふわふわと暮らすな。 邪(よこしま)な見解を抱くな。 世俗のわずらいを増やすな。(ウダーナヴァルガ)今回は、初期の仏教経典ではあるが、 ダンマパダ…
第 5 章 やりたいことが見つからない81.苦しみの原因を知る前回( 548_仏言葉ー081 ー 愛欲と執着 )扱った経文の出ている箇所の全体像を以下に記します。サンユッタ・ニカーヤ Ⅱ 第Ⅳ篇 第三章 (さらに五つの経) (改変あり) 第一節 多数の人々一 私はこのように…
第 5 章 やりたいことが見つからない81.苦しみの原因を知る苦しみと、 その原因とを見た人は、 どうして愛欲に傾くであろうか。 束縛は、 世の中に対する執著であると知って、 人は、 それを制し導くことを学べ。(サンユッタ・ニカーヤ)佐々木さんは、この経…
第 5 章 やりたいことが見つからない80.賢者は多くを話さない欠けている足りないものは音を立てるが、 満ち足りたものはまったく静かである。 愚者は半ば水を盛った水瓶のようであり、 賢者は水やの満ちた湖のようである。(スッタニパータ)佐々木さんによる…
第 5 章 やりたいことが見つからない79.人生の目的私(わたくし)には信念があり、 努力があり、 また智慧がある。 このように専心している私に、 汝はどうして生命を保つことを 尋ねるのか?私はこのように安住し、 最大の苦痛を受けているのであるから、 わ…
第 5 章 やりたいことが見つからない78.やさしい言葉で耐え忍ぶこと、 言葉のやさしいこと、 諸々の(道の人)に会うこと、 適当な時に理法についての教えを聞くこと、 ーこれがこよなき幸せである。(スッタニパータ)佐々木さんによると、耐え忍び、やさしい言…
第 5 章 やりたいことが見つからない77.学びと謙虚さ深い学識あり、 技術を身につけ、 身を慎むことをよく学び、 言葉が見事であること ーこれがこよなき幸せである。(スッタニパータ)佐々木さんによると、上記の経文(改変あり)は、仏教をはじめとした多くの…
第 5 章 やりたいことが見つからない76.努力は将来の助けになる成果を望む人は、 人間に相応した重荷を背負い、 喜びを生ずる境地と 称賛を博する楽しみを修める。(スッタニパータ)佐々木さんによると、この経文は、お釈迦さんが、この世で何らかの成果が欲…
第 5 章 やりたいことが見つからない75.すべてのものに礼拝われら、 ここに集まった諸々の生き物は、 地上のものでも、 空中のものでも、 神々と人間とのつかえる このように完成した 目覚めた人ブッダを礼拝しよう。 幸せであれ。(スッタニパータ)佐々木さ…
第 5 章 やりたいことが見つからない74.余裕ある心を持つあらゆる執着の対象を知りつくし そのいずれにも執着せず 貪りと欲望を離れた聖者は、 その対象を追い求めない。 彼はすでに彼岸に達した者だからである。(スッタニパータ)佐々木さんによると、この経…
第 5 章 やりたいことが見つからない73.何事にも左右されない貪ることなく、 詐(いつわ)ることなく、 渇望することなく、 (見せかけで)覆うことなく、 濁りと迷妄とを除き去り、 全世界において妄執のないものとなって、 犀(サイ)の角のようにただ独り歩め。…
第 5 章 やりたいことが見つからない72.向上のためにすてるものわが筏(いかだ)は、 すでに組まれて、 よく作られていたが、 激流を克服して、 すでに渡り終わり、 彼岸に到達している。 もはや筏の必要はない。 神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降…