Ⅱ 人生の指針 第一部 人生の指針
第一章 ブッダのことば ー スッタニパータ (2)
の次、
第二章 真理のことば ー ダンマパダ
の次、
第三章 生きる心がまえ ー サンユッタ・ニカーヤ (2)
の次、
第四章 人間関係シンガーラへの教え
の
一 個別的な人間関係 からになります。
ここでも、中村さんのつけた小見出しに沿って、見ていく形にしたいと思います。
なお、便宜上、本でなされている内容及び解説を、(A) と記します。また、私の文を (B) と記します。あらかじめ、ご了承頂きますよう、お願い申し上げます(段落分けなどの改変あり)。
一 個別的な人間関係
ー 「シンガーラへの教え」とその内容 ー
(A) (一部、改変・省略・訂正あり。以下、すべて同様)色々な人間関係について、どのように行動すべきであるか、を説いている経典を味わってみたいと思います。その経典の名は、シンガーラへの教えといいます。
原始仏教においては、世俗倫理に関して色々説かれていますが、様々な教えがある時期に体系化されました。
その最も完結したものが、シンガーラへの教えです。これは釈尊がシンガーラというある資産家の子供に、人間としての道を教えた、その内容を述べたものです。
これはパーリ語の原始仏教聖典(ディーガ・ニカーヤ第三一経)の中に伝えられています。また、それに相当する漢訳の経典が四つ、漢文の大蔵経に伝えられていますが、その文句は多少違っています。ことに漢文の経典には、中国人の倫理思想を反映していると思われるところもあります。
パーリ語の原典の方は、南アジアの仏教では在俗信者のための戒律として非常に重んぜられたのです。お坊さんのためには、戒律の規定を細かに述べた書物が色々ありますが、これは、世俗の生活をしている人のための行為規定、戒めを述べています。
これについて南方仏教の大学者、ブッダゴーサ(マガダ国ブッダガヤー付近の人。四三〇年頃スリランカに渡り、ここに伝えられていた仏典を研究、全三蔵のほとんどにパーリ語の注釈書を作った。清浄道論という著がある)は、このように言っています。
「およそ家長(家の人)がなさねばならぬ行為であって、しかもこの経典のうちに説かれていないものは、何もない。この経典は家長の戒律と言われる。それ故にこの経典を聞いて、教えられたとおりに実行するならば、繁栄のみが期待せられ、衰滅はありえない。」
現在の南方仏教(スリランカ、ビルマ、タイ、カンボジア、ラオスなど)においても、世俗の人達のために、実生活の指針を述べたものとして非常に重んぜられています。
(B) なし。
次です。
ー 六つの方角への礼拝 ー
(A) この仏典の最初の部分は次のように説かれています。
(B) なし。
続きです。
このようにわたくしは聞いた。
ある時世尊(お釈迦さん)は王舎城のカランダカ竹林に住んでおられた。
その時資産者の子シンガーラは
早く起床し王舎城を出て、
(郊外に至り、沐浴(もくよく)して)
衣を浄め、髪を浄めて、合掌し、
東方・南方・西方・北方・下方・上方の
各方角を礼拝した。
(一)
(A) 資産者は、一定の財産・地位を親から世襲的に受けていて、社会的にも重んぜられている人のことです。
漢訳の仏典では、居士と訳します。よく戒名に居士という言葉を用いますが、これは社会的に信用のある資産者のことです。
その資産者の子シンガーラは、東西南北と上方・下方の六方を礼拝しました。それでこの経典の漢訳は「六方礼経(ろっぽうらいきょう)」(六つの方角を礼拝することに関しての教え)と標題をつけられています。
(B) なし。
続きです。
その時世尊は早朝に内衣をつけ、
鉢と衣を取り、
行乞のため王舎城に入られた。
そこで世尊は、
資産者の子シンガーラが早く起床し、
王舎城を出て、(郊外に至り、沐浴して)
衣を浄め、髪を浄めて、合掌し、
東方・南方・西方・北方・下方・上方の
それぞれの方角を礼拝しているのを見られた。
そうして資産者の子シンガーラを見て、このように問われた。
(二)
(A) 沐浴して衣を浄めるという行為は、日本人には意外に響くかもしれませんが、インド人は沐浴する時には決して全裸にはならず、腰から下には必ず衣をまとい、ジャブンと飛び込むのです。
お風呂を使わず、大抵、沐浴です。
衣は濡れますが、その濡れた衣を取り去って濡れていない衣と取り替えます。空気が乾燥しているので、濡れた衣でも絞っておけば二十分位で乾いてしまいます。
私(←中村さんのこと。なお、この本が出版されたのは、今から約 33 年前)は先年、海辺の大都市マドラスで見たことがありますが、三人のバラモンが、上半身裸で、火事の時に使うようなホースで水をパーッとかけられていました。
バラモンたちは、とても気持ち良さそうにしています。それで、体を浄め、衣を浄めるという訳です。
また、それぞれの方角を礼拝するのは、インドでは古くから行われていた習俗で、古典にも出ています。
(B) なし。
続きです。
「資産者の子よ。
汝が早く起床し、王舎城を出て、
(郊外に至り、沐浴して)衣を浄め、
髪を浄めて、合掌し、
東方・南方・西方・北方・下方・上方の
それぞれの方角を礼拝するのは何故であるか?」
「尊者(お釈迦さん)よ、父が亡くなる時にわたくしに遺言しました、
ー 「親愛なる者よ、お前はもろもろの方角を拝すべきである」と。
こういう訳で、
わたくしは父の遺言を尊(たっと)び、
敬い、重んじ、奉じて、
早く起床して、王舎城を出て、
(郊外に至り、沐浴して)
衣を浄め、髪を浄めて、合掌し、
東方・南方・西方・北方・下方・上方の
それぞれの方角を礼拝するのです」
「資産者の子よ。
立派な人の律においては、
六つの方角をこのような仕方で礼拝してはならない」
(そこでシンガーラは乞うた)
「それでは立派な人の律においては、
どのような仕方で六つの方角を礼拝すべきであるか、
その決まりをわたくしによくお教え下さいませ」
「では、資産者の子よ。
聞け。
よく注意せよ。
わたくしは話してあげよう。」
(中略)
「資産者の子よ、
立派な弟子は六つの方角をどのように護(まも)るのであるか?
六つの方角とは次のものであると知るべきである。
東方は父母であると知るべきである。
南方はもろもろの師であると知るべきである。
西方は妻子であると知るべきである。
北方は友人・朋輩であると知るべきである。
下方は奴僕(ぬぼく)・傭人(ようにん)であると知るべきである。
上方は修行者・バラモンたちであると知るべきである。」
(二七)
(A) そして、ここであげた六つの方角の一つ一つについて釈尊の教えが次に出ています。
(B) 途中になりますが、長くなりましたので、ここで区切らせて頂きます。
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・沐浴~もくよく~髪や体を洗い清めること。湯浴み。
・湯浴み~ゆあみ~ふろに入ること。入浴。
・おわかりのこととは思いますが(一応、初めてこの文を見ることになった人のために一々括弧書きで注釈を入れてきたけれど)、
世尊(釈迦の尊称)も、
釈尊(釈迦の尊称)も、
仏陀(ぶっだ。煩悩を超越し真理を悟った者。釈迦を指すことが多い)も、
尊者(①上流の人。身分の高い人。②目上の人。③知徳の備わった人・僧。ここでは、③の意。)も、
他で出てきた尊師(字引載っておらず。オウム真理教事件のためと思われる)も、
すべてお釈迦さんのことを意味します。
ああ、めんどくさい、わずらわしい。
私のような人間には、同じ人物をなぜこんなに書き分けるのか、非常に理解に苦しむよ。
書くのもめんどくさいし。
せめて、2 個ぐらいにしてくれ。
浄土門の妙好人の宇右衛門さんに関して書いたけど、大事なのは人間としての想いと行いだ。
形式のすべてが無意味だとは言わない。
しかし、教えを普及させる、心の糧として学ぶなら、これは明らかな無駄な名称の言い分けをしているとしか思えない。
いくらお釈迦さんが尊敬すべき人物だとはいえ、こんなにいくつもいくつも名前が違ったんじゃ面倒くさくて仕方がないし、意味がわからない。
ペダンチック(衒学的)で気取っているのなら、是非ともやめてほしいと思う。
宗教の一素人の感想です。
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・衰滅~すいめつ~おとろえほろびること。
・居士~こじ~仏教語~①僧でない人で仏教を信仰する男子の称号。
②男子が死亡したのち、戒名につける称号。←→大姉(だいし)(女子の場合)
・戒名~かいみょう~①受戒した信者に与えられる名。法名。
②僧侶が死者につける名。法名。←→俗名
ここでは、②の意。
・習俗~しゅうぞく~一定の社会や地域のならわし。習慣や風俗。
(用例)古い習俗。
・朋輩~ほうばい~身分・年齢の同じくらいの友。なかま。同輩。
・奴僕~ぬぼく~召し使いの男。下男。やっこ。
・傭人~字引載っておらず。
(参考)傭~①やとう。
②やとわれた人。
③あたい。賃金。
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①追記: 2021/01/19 12:33
②追記: 2021/01/24 04:15
③追記: 2024/04/20 13:20
④追記: 2024/04/20 13:25
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。