おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

705_ひしみー126

09 梵天による懇請

梵天勧請

前回( 704_ひしみー125 )の続きです。

以下は、あくまでも個人的な独断と偏見による話となるので、一般的な仏教にしか関心かない方は、飛ばして下さい。

次項の( ・悟った聖者は速やかに入滅する )にもかかわる話となる。

直近の話ともかぶる部分もあるが、あらかじめご了承頂きたい。

中村元さんの「原始仏典」(ちくま学芸文庫)の時も、

今扱っている

ひろさちやさんの「釈迦」(春秋社)でも

ともに感じたのだが、お釈迦さんが悟った後に、それなりに教えを広めようとした動機の説明がどうにも弱いように感じて仕方がない。

以下、いくつかにわけて書きます。

1.宇宙を創造された梵天という神様について

ひろさんによると、梵天という神様は以下のように紹介されている。

梵天とは、インド神話に登場するブラフマー神であり、宇宙の創造神である、と。

これは普通に考えて全知全能で完全円満な神様のことを言っているのではないですか?

そんな神様だったら、なぜ、お釈迦さんに対して、世の中が滅びることを防ぎ、浄化をすることを頼むのでしょうか?

そんな地球上に生まれた、たった 1 人の人間に頼ったりせずに、ご自身ですべてやってのけることくらいできるはずなのではないですか?

宇宙の創造神であるということは、間違いなく全知全能で完全円満な神様のはずですよ。

そんな凄い神様が、なぜお釈迦さんというたった 1 人の人間に頼るのか?

これが仏教に関して、ズブのド素人の私の素朴な疑問でした。

神様の世界と、この世とが、有り様が著しく違う、すなわち、物質の本質を構成すると思われる波動や粒のレベルが違い過ぎるからだとしても、それをも越えて、この世の浄化と救いができるのが、梵天様という宇宙を造られるほどの全知全能で完全円満な神様なのではないのですか?

それをなぜ、お釈迦さんという 1 人の人間に頼るのか。

どうしても納得できないし、疑問を感じざるを得ません。

私が個人的に考えたのは、こうです。

全知全能で完全円満な神様ならば、お釈迦さんという 1 人の人間の力を借りずとも、この世の浄化も、救うこともできる。

つまり、本来ならこの世に生まれ落ちた人間に頼らなくても、自らの力だけで世の中の浄化もできるし、滅ぼさないようにもできる。

それでも、あえて、この世という物質世界に人を、なかんずく、お釈迦さんという特別な人を降ろし(=誕生させて)、いばらの道にはなる可能性は高くなるけれども、お釈迦さんと人間達にこの世を浄化させ、救うことにしようと考えた。

まずは、このように思いましたね。

今一つは、前回引用した中村さんのところで書いたように、梵天様という神様は、全知全能で完全円満ではなく、この世に関することは、あくまでもこの世に生まれ落ちた者にしかできないから、優秀な適任者を選び、この者に役目を担わせる。

その適任者が、お釈迦さんだということになる。

梵天様は宇宙を創造するくらいの凄い神様ではあるけれど、この世に直接手を下すことはできず、この世に生まれ落ちた者を通して、これを支援する形で、この世の浄化と救いを委託する。

こうした、 2 つのいずれかならば、わかるんです。

そうでないから、私にはどうも一般的な仏教の梵天様の懇請の話が納得できなくてしょうがない。

2.そもそも私達は、そしてそれを取り巻く世界は、そして宇宙はなぜ存在しているのか?

上記の 1. のように考えてくると、どうしてもここまで遡らざるを得ません。

とりあえず、今回はここまでとします。

ご了承願います。

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①追記: 2023/05/15 22:45
 〜訂正内容〜

表題を加筆・訂正しました。

③について
09 梵天による懇請
の内容が始まる、
694_ひしみー115
から
714_ひしみー135
までの 21 個分の表題を
すべて間違えていたこと
に気づきましたので、
これらを訂正しました。
これに伴って本文中も
訂正すべき部分を訂正
することにしました。

この章の正しい表題は
09 梵天による懇請
でなければならないところを、ずっと
09 梵天の懇請
のままにしていました。
大変失礼致しました。
申し訳ございません。
お詫びとともに訂正させて頂きます。