おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

701_ひしみー122

09 梵天による懇請

・大宇宙の真理は言語化できない

前回( 700_ひしみー121 )の続きです。

前回のひろさんのお書きになっていた、大宇宙の真理と合体することについて書く。

ひろさんは、お釈迦さんがお弟子さんを作って教えを説いた、真理である法を説いたことを小乗仏教とする。

しかし、この小乗仏教の真理だけでは、お釈迦さんの無言語状態で悟った本当の宇宙の真理とは言えない。

そのお釈迦さんの悟った無言語状態の真理こそが、お釈迦さんの本当の教えであり、大宇宙の真理であり、大乗仏教の真理である。

そして、私(ひろさんのこと)を含め、大乗仏教を奉じる者は、この大宇宙の真理に飛び込みたい、大宇宙のダルマと合体したいとしている。

なるほど、小乗仏教とそれから派生応用されたかのような(?)大乗仏教を、真理の深さから分けたがる気持ちはわからなくもない。

しかし、前々回( 699_ひしみー120 )の五井先生と植芝先生の話からわかるように、自らが宇宙であると言えるのは、それなりの分野において特別の指導者となることのできる、それこそ、正真正銘のエリートだけだ。

それまでの、それなりの過去世の大変な積み重ねがなければ、いくら自分がこうした地位につきたくとも、つけないもののはずだ。

自分が宇宙だといい、それなりの神通力をあらわした人でないと、到底宇宙の真理なんかわかりっこないとしか思えないのである。

今生が輪廻転生の仕上げのような指導者でなければ、自分が宇宙=真理だ、などとは到底言うことはできない。

植芝先生のお弟子さんが分派して、それなりの人が出ても植芝先生を越えられなかったのは、こうした意味があると考えられるのだ。

大乗仏教の真理に飛び込みたい、合体したい、という意気込みはいいが、こうした特別な人として生まれてきた人でない限り、合体するのは不可能だと思うのである。

だから、こうしたレベルに追いつけない者としては、やはり、大宇宙の真理を部分的に理解し、感得することしかできないと考えられる。

小乗仏教を下に見ているようだが、その小乗仏教さえも、阿羅漢になるのは難行苦行であり、悟りを開くのは、容易ではない。

何が言いたいかと言うと。

現代の一般的な私達としては、やはり、各々の過去世の因縁(修行の積み重ね)に応じて、文献的に理解をしていくしかなさそうだ、と思うのである。

つまり、特別な人でないと、大宇宙との合体は無理で、やはり、各々の過去世の実績に応じて、それなりの理解をしていくしかないのではないか、ということです。

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①追記: 2023/05/14 22:49
 〜訂正内容〜
表題を加筆・訂正しました。
①について
09 梵天による懇請
の内容が始まる、
694_ひしみー115
から
714_ひしみー135
までの 21 個分の表題を
すべて間違えていたこと
に気づきましたので、
これらを訂正しました。
これに伴って本文中も
訂正すべき部分を訂正
することにしました。
この章の正しい表題は
09 梵天による懇請
でなければならないところを、ずっと
09 梵天の懇請
のままにしていました。
大変失礼致しました。
申し訳ございません。
お詫びとともに訂正させて頂きます。