おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

001_はじめに

ブログ。

インターネットの日記ですか。

他人様(ひとさま)への出せずのコメント(注釈、解説、意見、論評、批評。ここでは、後三者の意味)など、とりあえず、書いてみますか。

縁があれば、元ネタの方がこれを見て下さるだろうし、でなければ、宛先わからずの文になります。

あとは、成り行き任せ、と、その他諸諸(もろもろ)ということで。

また、思うところがあり、霊性の開発(れいせいのかいはつ)(*1)に関して、信仰者の端くれの乏しい知識ながら、出来得(う)る限り触れていこうと思っています。

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なお・・・。

実はこれを書き始めたのは、一年以上、ものによってはそれより前なので、時期的に内容にズレが生じる部分が幾(いく)つか出てしまいました。

しかも、この直後には、KS さん、KI さん、KD さんといった方方の、それぞれのブログに対するコメントを挟(はさ)んでいます。

しかも、これらは数年前のものが対象なので(当時ブログを始めようとして挫折(ざせつ)しています。この時のものを、そのまま流用しました)、余計にチグハグとなっているかもしれません。

これも偏(ひとえ)に、私の個人的な怠慢と能力不足のためで、もし読まれる方あれば、申し訳なく思っております。

すみません。

本来なら、正確を期して、これに合わせて訂正すべき部分も、何ヵ所かあります。

しかし、これもちょっと個人的な都合で申し訳ないのですが、そのままとさせて頂きます。

あらかじめ、ご了承願います。

また・・・。

もしかしたら、読み難(にく)いかな?と思う漢字に、お節介過ぎるほど、クドクドと振り仮名をつけてあります。

私は、元々、勉強と読書が苦手(というか嫌い)で、中でも古典が大の苦手だったので、大学に入ってから、初めて接した社会科学を始めとする書籍には、難しい漢字やヨコ文字がたくさん出てきて、本当に往生(おうじょう。ここでは処置に困るの意)しました。

特に漢字は、入試にあまり縁のない?ものがほとんどだったからです。

仕方がないので、漢字辞典を片っ端から調べて、その甲斐(かい)もあってか、漢字を覚え、多少の読み書きもできるようにはなりました。

本来なら、文章の読み取り作業をするにあたっては、わからない語句は、国語辞典や漢字辞典を傍(かたわ)らに置いて、随時引く習慣をつけるのが、理想だと思います。(*2)

ただ、残念なことに、私自身の非力さから、読みやすく魅力的な文章を、書くことができません。

そのために、ただでさえ読んでもらいづらいのに、読み難い(と勝手に危惧するところの)漢字をキッカケに、すぐに離れて(投げて)しまわれても困るなあ、と考えて、このような形をとりました。

文章の字面(じづら)の見た目が煩瑣(はんさ)で、お見苦しい点も多々あるかとは思いますが、この点も、あらかじめご了承下さりますよう、お願い申し上げます。

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(*1)霊性の開発とは、私達の本質が神様仏様、いわば、神仏(しんぶつ)の子であることを、心身共に十二分に感得(かんとく)するための、修行を指します。

なので、人間は肉体そのものであるいった唯物論の立場ではなく、唯心論(*1ー1)の立場からの考え方に基づいています。

私達は、この世(現世、現界とも言います)の肉体人間として、今こうしてあらわれて生きてはいますが、その本体は神様の分霊(わけみたま)、霊魂魄(れいこんぱく)、霊なる人間こそが本質である、との、ものの見方です。

一般的には、私達にとっては、人間は肉体だけであり、心はそれに付随するものといった認識が普通だ、と思います。

このような、ありとあらゆるものすべては、物質でしかないとするいわゆる唯物論のものの見方で人間を捉える、いわば、人間はすなわち、肉体人間である、との肉体人間観を徐徐(じょじょ)に(*1ー2)改めていくこと・・・。

つまり、私達は肉体をまとってはいるけれど、その本体は神様の分霊、いわば、神仏の子供なのである、更に言えば、神仏そのものなのである、と心身ともに十二分に感得していくための、普段の生活態度や祈りをはじめとする、たゆまない地道な作業が、霊性の開発となります。

ただ、後に折に触れて書いていくことになりますが、私達の大半(おそらく、ほとんどすべて)は、動物のようにこの世にあらわれている肉体人間が、すなわち、人間であり、これこそが人間の本質そのものである、との肉体人間観を脱してはいません。

私達は、神様の分霊としては無限ながら、肉体人間としては、その有限な命を生きていくために、自己保存の本能を付与されました。

そのために、本来なら神様の分霊としては、相応(ふさわ)しくない、真善美に悖る(もとる。道理に背く、反するの意)想念と行為をするようになってしまい、数限りない輪廻転生(りんねてんせい。いわゆる、生まれ変わりのこと)を経て、おそらくかなりの人が自らの神性を忘れ果てる仕儀(しぎ)と相成ってしまいました。

この、忘れ果てている神性を取り戻し、肉体人間として生きてはいても、その本体は神様の分霊であり、今、この肉体人間として生きているのは、神様の命を生きていることであると、心身共に十二分に感得すること・・・。

そして、これに相応しいようになる、神様に相応しい想念と行為ができる、いわば、神催(もよお)しに、当意即妙(とういそくみょう)に動けるようになることを目指していく。

これが、霊性の開発です。

これが、完成すれば、おそらく、輪廻転生の上(あ)がり、いわゆる、悟りを得た、解脱(げだつ)となります。

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(*1ー1)ご参考までに、唯物論と唯心論の意味を、手元の辞書で引くと以下のようになっています。

唯物論~この宇宙に存する万有の源である本質は、物質であるとする説。
従って、精神的な現象をも物質の作用.又はその副次的なものと考える態度。

・唯心論~世界の本体は精神的なものであるとし、これによって全てを説明しようとする説。
物質は、精神的を離れては存在せず、物質は精神の所産、又はそれを表現する形式に過ぎないとする観念論。

・観念論~実在の世界は、われわれがそれを認識することによって、はじめて実在となるという説。
実在論と対比される考え方。

実在論~存在または実在が認識を可能にすると理解する説。
観念や思惟(しい)を超えた実在を認め、認識はこのような実在と何らかの意味で一致するか、あるいは実在を捉えることによって成立するものであるとする説。

(*1ー2)徐徐には、漢字変換などでは、徐々に、とされるので、これが正しいと思っていました。

しかし、手元の幾つかの辞書を見ると、そのどれもが、徐徐に、となっていました。

個人的には、徐々にの方が、外観もゴチャゴチャしなくてスッキリしているし、他の漢字との混同もなく、いいように思うのですが。

とにかく、辞書では、徐徐に、となっている。

言葉の意味は、ゆっくりと変化する様、と、少しずつ、の二つです。

なお、現在は思うところがあり、勝手ながらこうした表記は、次回以降は「徐々に」のようにしていくことにします。

ご了承願います。

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(*2)辞書を引く作業では、一般的で形式的な意味や建前が示されることが多いと思います。

この嫌い(=傾向のことです)は、否めません。

言葉は悪いですが、ある意味たらい回し的で、相互補完または相互依存になりがちではあります。

ですが、あくまで基礎知識としての下地(したじ)を作るためには、役立つことには何ら変わりがありません。

文章の内容を肉付けして、話を膨らませていくときの、足場を固める地味な作業とはなりますが、習慣化してしまえば、さほど苦痛は感じなくなってくるはずです。

語意(語義)調べを、すぐにインターネットで済ませるのは、手軽で簡単かもしれませんが、手作業もまた違った趣(おもむき)と発見があるかもしれませんので、お気が向かれた方は、是非、お試し頂ければ幸いです。

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(追記1)
これも、後に触れますが、私はこのブログを書くにあたっては、努(つと)めて平易で、わかりやすい文章を書くよう心がけています。

文章書きやブログ書きの初心者でもありますし。

霊性の開発を一人でも二人でも、なろうことなら、一人でも多くの方に知って頂きたいからです。

また、漢字の読み取りとブログや書籍の読解で、散々、四苦八苦させられた自らの経験を踏まえ、浅学非才(せんがくひさい)な私にもわかりやすく書けば、何方(どなた)にも軽々と読んで頂けるはずだ、と考えたからでもあります。

そして、その読解では、深く鋭く読みごたえのある内容ながらも、その難解さ故に、読書(ネットの文章では読解)で理解に苦しんだ経験を何度もしています。

彼らのような力のある人達ならば、内容が高度で充実しているから、勿体(もったい)つけたり、カッコをつけるのも、あるいは許されるのかもしれません。

しかし、私は、そんな高度なものや重厚なものは書けませんので、努めて平易を旨(むね)とするのが妥当だ、と考えました(他にも理由がありますが、省略します。また、機会がある時とさせて下さい)。

といった次第です。

では、始めますので、宜しくお願い致します。

今は・・・。

あれよあれよという間に、僅(わず)か一年余で、また更に、こんな時代状況になってしまった。

これから、祈りをお願いするのだが、ちょっと遅きに失したかな・・・。

やはり、肉体人間観が抜けないから、自己保存の本能が脅(おびや)かされると、いとも容易(たやす)く操作される(私も同じです)。

残念だが、不動の心を得ず、悟りを得ていない私達は、この肉体人間の弱味を突かれると、本当に脆(もろ)い。

一次情報を絶対に知る由(よし)もないので、不安に駆られ、いいように振り回される。

欲で釣り、刑罰で脅す、究極のやり方なのか・・・。

本当は、教えてほしいんだなあ、一体、どんな権利があって、力のある人達があんな好き勝手ができるのか、を。

一体、どんな因縁因果から、私達がこんな目に遭い、こんな境遇におかれねばならないのか、を。

間違いなく、納得のできる、輪廻転生を通した、双方の因縁因果の全貌とその説明、を。

すべてを知ってしまったら、修行にならないから、教えて下さらないのかもしれないが・・・。

しかし、あまりにも、ご無体な場合が多過ぎるようで・・・。

近代から現代にかけても、阿鼻叫喚(あびきょうかん)(*3)の出来事が何度もあった。

まあ、仕方ないんですかね、どんなに愚痴っても。

そもそも、次元上昇?に過去 6 回までも、失敗しているようだし。

厳しいのが、当たり前か・・・。

もはや、できることも、やるべきことも、祈りのみ・・・。

今更、ジタバタしても、はじまらないのかもしれない。

とにかく、私達の本体は、霊魂魄なのだ、私達はその本質において霊なる人間なのだ、神様そのものなのだ、その命は永遠なのだ、と信じて・・・。

従って、霊性の開発を始めるには、遅過ぎることはない、と信じて、時期にかかわらず、始めることにします。

何卒(なにとぞ)、宜しくお願い申し上げます。

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(*3)仏教で言うところの、阿鼻地獄に落ちた者が、絶え間ない苦しみを受けて、泣き叫ぶ様。
酷(ひど)く、惨(むご)たらしい状態のたとえ。
本来は、阿鼻地獄と叫喚地獄の意。

なお、阿鼻地獄とは、極悪罪を犯した者が、剣樹・刀山・かく湯(=釜の中の湯)などの苦しみを受ける、八大地獄の中でも最も苦しいという地獄。無間(むけん)地獄。

そして、叫喚地獄とは、八大地獄の一つ。
亡者が熱湯や業火に苦しんで喚(わめ)き叫ぶ所。叫喚。

更に、八大地獄とは、激しい熱気で苦しめられる地獄の総称。
・等活(とうかつ)
・黒縄(こくじょう)
・衆合(しゅうごう)
・叫喚
・大叫喚
・焦熱(しょうねつ)
・大焦熱
・無間
の八つの地獄。
八熱(はちねつ)地獄。

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(追記2)
肉体人間は神様の分霊が本体なので、霊魂魄、動物なら魂魄(こんぱく)までなので、このように分けて記しています。

言い換えると、動物の本質(本体)が魂魄で、肉体人間はこれに神様の分けられたお命を直接霊として頂いているので、肉体人間の本質(本体)は、霊魂魄(れいこんぱく)=分霊(わけみたま)となります。

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①追記: 2024/03/10 13:46
②追記: 2024/03/10 13:55
③追記: 2024/03/10 14:11
④追記: 2024/03/20 12:15
⑤追記: 2024/03/28 18:15
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。