以下、KS さん、KI さん、KD さんに対する(今から数年前なので古い)コメントを書きますが、適宜、幾つかまとめていくこととします。
あらかじめ、ご了承願います。
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01-KS-131127
マネジメントですか。
中にはいたんじゃないですかねえ、本当に頭の切れる人。
ただ、皆同様、絶望的なまでの圧倒的な力量差を前に、なすすべもなく挫折して変節するのが通例だった(功利目的で踏み台にした人もいたでしょうけど)、と。
ごく限られた賢者の中でも。
それに、誰しも北条時宗のように、良き師を得られるとは限りませんからね。
従順だろうと、踊らされようと、エゴが薄く勤勉な人々までも、こっぴどく糾弾?するのは、いささか厳しいのでは・・・。
甘いですかね。
世の中が、ますます汚濁や矛盾に満ちてくると、心が清く聡明な人には、辛いものがあるのでしょう。
転向は自由ですが、何かと有利な強い側に立たないことが、批判が自我欲望の産物ではないことを、物語っています。
厳しい批判とは裏腹に、視線の根底に哀しさと優しさを感じます。
まあ、韓非を引く KS さんからすれば、これは甘過ぎる人間観察かもしれませんが。
さて、そっち側につくことすら許されなければ、マネジメントを学ぶ意味自体も危うくなる。
どうすれば、よいのでしょうか。
因みに、幸徳秋水さんの本は、読むだけでも大変。
古文、漢文、その他かなりの教養がないと、とてもじゃないが読み通せない。
僅か 100 年程度で、こんなにも文体が異なるとは驚きです。
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02-KS-131216
差別から自由になり、(あわよくば?)差別者にまでいい影響を及ぼす。
宗教(ご利益、つまり現世の欲望を目指しあるいは果たす、いわゆる念力を本質とする、引き寄せも含む宗教一切を除く)と同じですね。
み心の如く為(な)さしめ賜(たま)え
生かされたままで生きている
神様ありがとうございます
自然法爾
仏様ありがとうございます
ただ、それだけです。
それだけ。
神仏との取引もなければ、選民もない。
悪魔もない。
神様仏様だらけなのだから、感謝一念の生活と相成るのみ。
ゆえに、ひたすら天の蔵に宝を積むのが、宗教の本当の姿。
神仏の光を、善悪混交、否、汚濁にまみれたこの世に、ひたすらひたすら地道に降ろし続ける。
行いは、出来る限りの陰徳善行を貫く。
それで、行き着く先が漏尽通なら、信仰者としては望外の悦び。
立派になりたいものですね。
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追記: 2024/03/10 14:20
〜訂正内容〜
本文を加筆・訂正しました。