おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

200_原仏12ー13

Ⅱ 人生の指針
第一部 人生の指針
一 真理について
二 慈悲について
三 解脱について
四 幸福について

の、三 解脱について からになります。

なんだか、このブログが、ケチつけ道中みたいになって来ているような気がするので、たまには本を忠実に見てから、勝手な解釈や文句を(あれば)つけていこうと思います。

究極の境地

人々との対立を離れることによって、こちらの心も安まる。

この安まった境地、鎮(しず)まった境地、悩みのない境地、それをインド一般の言葉では「解脱(げだつ)」といい、さらによく知られている「ニルヴァーナ」(涅槃。ねはん)という言葉で表現することもあります。

この究極の目標としての境地、これがスッタニパータの中の色々なところで論議されています。

お釈迦さんが当時の道を求める人々の質問を受けて答えていますが、その答えは決して一様ではありません。

というのは、質問を向ける人々の気持ちや精神的素質、あるいは教養というものが色々と違い、それに応じて説明するので、その教えも数多いのです。

その若干を検討してみようと思います。

以下において、質問者の学生というのは修行者を意味しています(なお、筆者は、以下を除き、ヘーマカさんのように表記する。なお、段落分けなどの改変あり)。

学生ヘーマカの質問

ヘーマカさんが尋ねた。
「かつてゴータマ(ブッダ)の教えよりも以前に昔の人々が「以前はこうだった」「未来はこうなるであろう」といって私(わたくし)に説き明かしたことは、すべて伝え聞くに過ぎません。

それはすべて思索の紛糾を増すのみ。
私は彼らの説を喜びませんでした。
聖者さま。
あなたは妄執を滅ぼし尽くす法を私にお説き下さい。
それを知って、よく気をつけて行い、世間の執著(しゅうじゃく)を乗り超えましょう。」

(ブッダが答えた)「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。

このことをよく知って、よく気をつけ、現世においてまったく煩(わずら)いを離れた人々は、常に安らぎに帰している。世間の執著を乗り超えているのである」と。

(一〇八四 ー 一〇八七)

(本の解説はこれだけ→)我々は、とかく外的なものに対する欲望や貪(むさぼ)りに支配されがちですが、それを超えるのが不滅の理想の境地なのです。

これは、あれですね。

肉体にまつわる五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)に関する欲望を離れることを言っていますね。

例えば、美しい女性(あるいは男性)を見たい、いい音楽を聴きたい、いい臭いを嗅ぎたい、旨いものを食べたい、美しい女性(あるいは男性)に触れたい、のような。

五感に感じる快感に執着しないことを言っています。

実際、これは、お釈迦さんやそのお弟子さん達で悟りを開いた人々のように、厳しい戒律を守り、修行に励まないと、到底無理です。

このような自力にしろ、浄土門のような他力にしろ、かなりの修練を積まないと、とても無理ですよ。

仏教には、当然、戒律(僧の守るべき規律。宗教上の掟(おきて) )があります。

ひろさちやさんの本にもありましたが、現代人には、あんな厳しい戒律は、実践することも守ることも、到底不可能だと思います。

例えば、五戒。
出家・在家を問わず戒の基本です。

①不殺生戒(ふせっしょうかい)
②不妄語戒(ふもうごかい)
③不偸盗戒(ふちゅうとうかい)
④不邪淫戒(ふじゃいんかい)
⑤不飲酒戒(ふおんじゅかい)

①は、人間だけではなく、あらゆる動物や昆虫までをも含む、生きものを痛めつけてはならぬ、殺してはならぬ、ということ。

当然、肉食はダメということになる。

自分で直接手をを下さなくても、食肉用に殺された動物や魚を食べることは、間接的ではあるが、同等と見なされるからだ。

②は、ウソをついてはいけないこと。

③は、人様のものを盗んではいけないこと。

④は、みだらな男女間のセックス(性交)はダメだ、というもの。
ただし、愛情の昇華としてのセックスならばいいらしい(これも結婚に結びつくことを前提に原則は一人だと思いますけどね)。

しかも、愛情重視、相手を極限するといっても、出家者には、セックスは一切認められない。

出家者がこの禁を破れば、教団追放だそうだ。

したがって、在家でも、快楽重視、享楽重視、寂しさ充足、行き当たりばったりナンパなどはもっての他になる。

今の仏教を知らない人達が聞いたら、おそらく驚愕する内容だろう。

私は以前、ある本でお稚児さんの話を読んで大ショックを受け、しばらく気持ちが落ち着かないことがあった。

僧侶を志した人々でさえ、あれです。

散々やり尽くした人やある程度経験した人ならともかく、まったく性交経験のない人は、宗教的によほどの素質に優れていた(過去世からの積み重ねた修行があった)か、かなり性欲の衝動に悩まされ、煩悶したのではないか、と思われる。

⑤は酒を飲んではいけないというもの。

以上の5つは、現代人には、守ることは不可能でしょう。無理に守ろうとすれば、守れないだけではなく、既存の社会の仕組みが壊れてしまうから(例えば飲食産業が成り立たなくなってしまうなど)。

なので。

五感にまつわる欲望を無くす、離れることが、いかに困難であるか、は戒律からしても、想像に難(かた)くない。

長くなりましたので、トーデイヤさんとピンギヤさんは次回以降にします(だいたい、ヘーマカさんと似ているんですけどね)。

ご了承願います。

~~~~~

・紛糾~ふんきゅう~物事がもつれ乱れること。もめること。

・妄執~もうしゅう~仏教語~心の迷いからおこる執念。ある物事に執着すること。妄念。

・快美~字引載っておらず。

・昇華~しょうか~①個体が液体になることなく直接気体になること。または、その逆の変化。
②社会的に承認されない欲求や衝動が、芸術や宗教など社会的に価値のある活動に変容すること。
ここでは、②の意。

・驚愕~きょうがく~非常に驚くこと。既出(既述)しています。

・煩悶~はんもん~心の中でもだえ苦しむこと。思いわずらうこと。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

①追記: 2020/12/09 22:39
②追記: 2020/12/10 06:53
③追記: 2024/04/15 01:51
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。