前回 ( 265_原仏17ー4 - おぶなより ) の続きです。
Ⅱ 人生の指針 の
第二部 後世における発展 の
第六章 アショーカ王のことば ー 「岩石詔勅」の
二 アショーカ王のことば です。
なお、便宜上、本でなされている内容及び解説を(A) として、私の文を (B) と記します(段落分けなどの改変あり)。また、内容は本の小見出しに従って、見ていく形にします。
ー 法による勝利 ー
(A) (一部、改変・省略・訂正あり。以下、すべて同様)そこ(アショーカ王がカリンガ国を征服したことにより結果として多数の人間を殺傷、隷属させるなどして不幸をもたらしてしまったことを深く悔いたこと)から彼は仏教の信仰に入っていきました。
(B) なし。
続きです。
そこで、
たとい他人がわれに害を加えることがあろうとも、
神々に愛せられたる王にとって忍ぶべきものと考えられるもので
忍び得るものは、
すべてこれを忍ぶべきである。
(A) 忍ぶということを、この帝王は実践しました。
(B) なし。というか、これだけでは漠然としすぎて内容がサッパリわかりません。
続きです。
故に
神々に愛せられたる王の領土の中に存する林住種族すら、
この王はこれを愛撫し反省せしめる。
しかもかれがみずから愧(は)じ、
さらに刑殺せられないようにするために、
たとい神々に愛せられたる王の悔恨をきたそうとも、
なおこの王の有する権力について彼らに知らせる。
何となれば神々に愛せられたる王は、
一切の生きとし生けるものに対して、
障害をなさず、克己(こっき)あり、
心が平静で柔和なることを願うからである。
(A) 林住民族は、特殊な少数民族です。だから、彼らに配慮するという訳です。
少数民族の中には、色々と紛争を起こしたり、反抗したり、攻めてきたり、と平和を乱す者がいますが、彼らについても出来る限りは罰することのないようにしたい、というのです。
ここに、人間の持つべき基本的な徳としての「障害をなさず」「克己あり(自分を自ら制する)」「心が平静(カッとしない)で柔和なること」をあげています。
これは個人の生活においても尊ぶべきことですが、それを統治(政治)の場面でも実現させたい、というのがアショーカ王の悲願でした。
(B) なし。人格者として対峙するのも結構ですが、祈りがないと、いずれは対処に限界が出ます。
限界が来ないに越したことはありませんけどね。
そう感じますね。
続きです。
さて神々に愛せられたる王が思うに、
法による勝利なるものこそ
最上の勝利であると考えられる。
そうしてこの勝利は、
ここ、
すなわち神々に愛せられたる王の領土においても、
また六百ヨージャナに至るまでのすべての辺境の人々の間においても
ー そこにはアンティヨーガという名のヨーナ人の王がいる。
さらにそのアンティヨーガ王を越えたところにトウラマヤ王とアンテーキナ王とマカー王とアリキャシュダラ王という四人の王がいる。
南方にはチョーダ人たちとパンディヤ人たちとがいて、タンバパンニ人に至るまで、そのように法による勝利を得ている。
(A) ヨージャナは、古代インドの里程で、軍隊の 1 日の行程です。現在の十数キロにあたります。
また、色々と王の名前が出ていますが、アンティヨーガをギリシャ名でいうと、アンティオコス、トウラマヤはプトレマイオス、アリキャシュダラはアレキサンドロスです。
タンバパンニ人は、今日のスリランカに住んでいた人達のことです。
法による勝利なるものこそ最上の勝利とは、武力による勝利ではなく、人間の本当の道筋を実現すること、それが法による勝利であり、これが最も大切だと(アショーカ)王は考えました。
(B) なし。法による勝利は、神様の愛を遍万させることと比べてどのような位置付けになるんですかね。
続きです。
ここアショーカ王の領土においても、
ヨーナ人、カンボージャ人の間においても、
ナーバカ人、ナーババンティ人の間においても、
ボージャ人、ピティニキヤ人の間においても、
アンドラ人、パーリンダ人の間においても、
至るところ、神々に愛せられたる王アショーカの法の教誡に従いつつある。
さらに、
神々に愛せられたる王アショーカの使節の未だ赴かないところにあっても、
人々は、神々に愛せられたる王の法の実行と規定と法の教えを聞いて法に随順しつつあり、
また将来にも法に随順するであろう。
(A) カンボージャ人は、パキスタンからアフガニスタンに住んでいた人達、アンドラ人は南インドの中央に住んでいた人達をそれぞれ指しています。
頻繁に出ている法は、インドにいうダルマです。仏法という時の法で、人間の守るべきところの道筋、理法です。これは、道徳とも訳せますし、宗教をも意味し得るのです。
インド並びにその周辺諸国では、西洋のリリジョンに相当する言葉がありません。そのため西洋文明を採り入れた時には、宗教をダルマと表現します。
例えば、キリスト教をクリスティ・ダルマと呼んでいるように、です。
これはいかなる場所でも、いかなる人でも、守るべきところの道筋です。特殊な宗教に偏(かたよ)って、その宗教の人以外においては、信じられないようなことを強制するものであってはならないことは当然として、本当の人間の理(ことわり)(理法)は、遍(あまね)きものであるのです。
従って、民族の垣根を超えてギリシャ人の間でさえも実現すべきものである、と彼(アショーカ王)は考えていたのです。
(B) なし。というか、神様の愛しかないんじゃないですか。
続きです。
このようなことによって得られた勝利は、全面的な勝利である。
そうして全面的な勝利は喜びの感情をひき起こす。
いまや法による勝利において喜びが得られたのである。
しかしその喜びも実は軽いものにすぎない。
彼岸に関することこそ大いなる果報をもたらすものである、
と神々に愛せられたる王は考える。
(A) 正しい行いを実現することにより、必ず良い結果が得られる。それは現世に実現されることもあれば、さらに目に見えないところに働きを及ぼすこともある。それを彼(アショーカ王)は、彼岸に関する大いなる勝利と呼んでいるのです。
(B) なし。というか、敗北、正しい結果が得られなかったら、どうしていくのでしょうか。
中村さんは、一言も触れられていませんけど。
続きです。
そうしてこの法の詔勅は、
このような目的のために、
すなわち、
願わくはわれの諸皇子や諸皇孫が新たな勝利を得なければならないと考えることのないように、
と願って、
またたとい勝利が自然に得られるとしても忍容と刑罰の軽いことを喜ぶように、と願って、
さらに法による勝利なるもののみが真の勝利であると考えるように、
と願って、刻せられたのである。
(A) すなわち、後の帝王達が、戦争をして領土を獲得しようとなどと思わないように、そして、ひとりでに他の国がなついてくるのが望ましいが、その場合でも、支配者が苦難に堪え忍び、刑罰を軽くするように、と願ったのです。
仏教の広がったところには、刑罰を軽くする傾向が見られます。
自分が岩石に刻ませるこの文字は、この精神が後々まで伝えられて実現されるように願っている、というのです。
(B) なし。というか、岩盤に刻んで遺(のこ)す。
形あるものとして残したい気持ちもやまやまでしょうが、お釈迦さんのような素晴らしい行いによって、人々の間にその存在を残す、という昇華の道もあったかもしれませんね。
続きです。
この法による勝利は、
この世に関する果報をもたらし、
またかなたの世に関する果報をもたらすのである。
ひとの愛し楽しむことは、
法に対する愛楽であれかし。
それは実にこの世に関する果報をもたらし、
またかの世に関する果報をもたらすものであるからである。
(以上、岩石詔勅 第 十三 章)
(A) 非常に宗教的な真情がここに表明されています。こうした崇高な真情から具体的に人々を慈しむ、人々のみならず、生きとし生けるものに愛情を及ぼす、という政策が実行されるようになりました。
(B) なし。
その愛情や慈しみの精神から、人々のための病院その他と続いて行きますが、ここで区切ります。
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・隷属~れいぞく~他の支配下にあって相手の意のままになること。従属。
(用例)大国に隷属する。
・実効~じっこう~実際の効力。効き目。
(用例)実効をあげる。
・帝王~ていおう~①君主国の元首。皇帝。
②(比喩的に)ある部分や世界で、絶対的な力をもって支配するもの。
(用例)音楽界の帝王。
・帝王学~ていおうがく~君主など、人の上に立つ者が身につけるべき教養・見識・タイトなどの修養。
・帝王神権説~ていおうしんけんせつ~帝王の権力は国民によるのではなく神から与えられたものであるという学説。王権神授説。
・帝王切開~ていおうせっかい~自然な出産が困難なとき、妊婦の腹壁および子宮壁を切開して胎児を取り出す手術。
・林住~字引載っておらず。
・愛撫~あいぶ~なでさすってかわいがること。また、なでさするようにしてかわいがること。
(用例)やさしく愛撫する。
・克己~こっき~自分の欲望や怠け心に打ち勝つこと。
(用例)克己心が強い。克己復礼(=自制して礼儀を守ること)。
・柔和~にゅうわ~性質や表情がやさしくおだやかなこと。また、そのさま。
(用例)柔和な顔つき。
・悲願~ひがん~①ぜひとも成し遂げたいと思っている願い。悲壮な願い。
(用例)悲願を達成する。
②(仏教語)仏が衆生を救おうとして立てた誓願。慈悲の本願。
(用例)弥陀の悲願。
ここでは、①の意。
・彼岸~ひがん~①(仏教語)(彼(か)の岸の意)煩悩を超越した悟りの境地。涅槃。←→此岸(しがん)。
②春分・秋分の日を中日(ちゅうにち)とする前後七日間。
(用例)暑さ寒さも彼岸まで。
③彼岸会(ひがんえ)の略。
ここでは、①の意。
・感化~かんか~相手に影響を与え、考えや行いを変えさせること。
(用例)友人に感化される。
・感化院~かんかいん~教護院(きょうごいん)(現在は児童自立支援施設)の旧称。
・里程~りてい~道のり。里数。
・教誡~きょうかい~教戒のこと。
・教戒~きょうかい~教え戒めること。
・随順~ずいじゅん~相手の言うことに逆らわずに従うこと。
(用例)命令に随順する。
・普く・遍く~あまねく~及ばぬところなく。広い範囲に。くまなく。
(用例)あまねく知れ渡る。
・自然法~しぜんほう~①(哲学語)自然界を支配するとみられる人為的でない法則。
②人間の本性に基づいて時代の新旧・場所(国)の違いを問わずに存立する普遍的な法。←→実定法。
ここでは、②の意。
・忍容~字引載っておらず。
・果報~①(仏教語)前世での行いによって受ける現世での報い。
②幸せ。幸運。
(用例)果報者。
ここでは、①と②、ともに使われている。
・愛楽~字引載っておらず。
・有れかし~あれかし~願望する事柄の成就を望む気持ちを表す。あってほしいものだ。
(用例)かくあれかしと祈る。
(語源)文語ヲ変動詞「あり」の命令形「あれ」に、念を押し意味を強める終助詞「かし」のついたもの。
・真情~しんじょう~①真心。いつわりのない心。
(用例)真情を吐露する。
②実際の状態。実情。
(用例)真情を知る。
ここでは、①の意。
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①追記: 2021/02/07 05:50
②追記: 2024/04/21 15:15
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。