おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

272_原仏18ー2

前回 ( 271_原仏18ー1 - おぶなより ) の続きです。

Ⅱ 人生の指針 の
第二部 後世における発展 の
第七章 ギリシャ思想との対決 ー 「ミリンダ王の問い」 です。

なお、便宜上、本でなされている内容及び解説を (A) として、私の文を (B) と記します。内容は本の小見出しに従って、見ていく形にします。

一 「ミリンダ王の問い」の成立とその意義

ミリンダ王と仏教 ー

(B) 前回、アショーカ王没後、インド全体が分裂して、ギリシャの王達が入り込んできたことを書いています。

(A) (一部、改変・省略・訂正あり。以下、すべて同様)これら多くのギリシャ人の王達の中で最も有名だったのが、メナンドロス(パーリ語ミリンダ)です。

大体、紀元前 160 年から 140 年頃に、バクトリアからカブールの地方を統治していたと考えられています。彼はそこからインドに侵入しました。

彼は最も有力な王で、アフガニスタンから中部インドまでをも支配しました。従って、彼の作った貨幣が今日まで多く残っています。

中には、はるか海を越え、イギリスのウェールズ地方で見つかったものまであります。貨幣には彼の肖像が刻印され、ギリシャ文字で彼の名前が記されています。

時期によって多少異なりますが、彼の肖像は、なかなか精悍(せいかん)な、英知に輝く人物であったと思われます(と中村さんは書いています)。

また、貨幣にはギリシャの神々が載っていることもあります。なので、彼らはインドやアフガニスタンにいながらも、公にはギリシャの昔ながらの民族的な神々を奉じていたように見えます。

しかし、どうも実質的な心の中では、仏教を信じていたようなのです。

というのも、近年、ミリンダ王が奉納した旨を刻んだ舎利器(遺骨を納める器)が発見されています。また、彼が亡くなった時に、インドの地方の 8 つの都市が、彼の徳を慕って、その遺骨をそれぞれに分けて、彼の遺骨を祀り記念碑を立てています。これは、釈迦の涅槃の伝説に倣ったものであると考えられるのです。

彼はパキスタン北部のシャーカラを首都としてインドを統治しました。その勢力はガンジス川流域にまで及びました。

(B) なし。

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①追記: 2021/02/14 06:25
②追記: 2021/02/16 00:10
③追記: 2024/04/21 18:00
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。