おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

605_ひしみー027

03 伝説が語る「真実」

・政治家か/宗教者か ー 人生の岐路

前回( 604_ひしみー026 )、お釈迦さんのお父様である浄飯王が生まれた太子であるわが子の将来を、占相婆羅門達(複数らしい)に占わせて、偉大なる帝王となるか、偉大なる聖者になるかの、 2 つに 1 つになる結果となったことを書いた。

ひろさんによると、偉大なる帝王=転輪廻聖王(*1)か、偉大なる聖者=仏陀、となるとしていて、これは要するに、政治家か宗教家か、の 2 つの道が開かれていたとしている。

そして、お釈迦さんは、シッダールタ太子として釈迦国に政治家の家系に生まれたのであり、後に仏陀となった結果を先取りすれば、宗教者となる運命にあったのだから、このような占いの結果は、当たり前だとしている。

さらに、ひろさんは、アシタ仙人の予言(神々が将来の聖者となるお釈迦さんの誕生を知って喜び踊る話)よりも、こちらの占いの予言の方が好きであるとのこと。

というのも、アシタ仙人のお話は、単に結果を先取りして予言の形式にしただけだが(辛辣!)、政治家か、それとも宗教者かの問いは、お釈迦さんが歩んだ人生の中で、常に問われ続けた内心の迷いを象徴的に描いているからだ、という。

お釈迦さんは、幼少期に、青春期に、そして、壮年期に至っても、常に迷い、悩み続けたに違いない。

政治家か宗教者か、迷いに迷い、悩み抜いた末に、自らの道を見出だした。

ひろさんは、そのお釈迦さんの迷いと悩みが、占相婆羅門の予言に投影されているからだと、こちらのお話をお好みとお考えのようだ。(*2)

このように考えるひろさんの理由づけについては、次回以降に出ているので、申し訳ないが、今回はここまでとする。

ご了承頂きたい。

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(*1)転輪聖王~てんりんじょうおう~転輪王ともいい、古代インド人が考える理想の帝王で、正義を持って世界を治める王のことであり、地上をダルマ(法)によって統治し、王に求められる全ての条件を備える者である。

なお、転輪聖王について、より詳しくお知りになりたい方は、お手数ですが、( 103_変 更 )と( 550_仏言葉ー082 ー 世俗の生き方つにいて ) を参照して下さい。

(*2)投影~とうえい~①物の上に1姿・影を映すこと。また、その姿・影。
②(転じて)ある物事の影響が他の事物にあらわれること。
(用例)母親の考えが子の言動に投影される。
③(数学で)立体に平行光線を当ててできる形を想定するなどして、その形を平面上に描きだすこと。また、その図形。
ここでは、②の意。