32. 慈悲の心を育てる
昼も夜も害を与えない
(慈しみ)の心でいる比丘は、
いつも覚醒して常に冴(さ)えている。
(三〇〇) (第21章 さまざまなこと より)
以下、スリランカ仏教界の長老のアルボムッレ・スマナサーラさんを、S さんとします。ご了承下さい。文章も個人的な判断で、改変・省略・意訳などしますが、ご了承下さい。
S さんは次のように言う。
動物を見ても、植物を見ても、どんな生命を見ても、自分の心を広げてから、見てご覧なさい、と。
それぞれが、等しく同じ生命で、大海のようにつながっているという感覚が生まれますよ、と。
そして、自分は、海水の一滴のような存在で、特別な存在ではないとわかってくる、と。
こうした感情が生まれることで、自分という我が消えてゆく、と。
さらに、対人では、人様の幸せを願うことが、自らの心を喜ばせることで、こうして相手たる人様の心も喜ぶ、と。
人様の心が喜べば、同じ波動が自らに返ってきて、ともに喜び合える。
それが慈悲の働きだ、と。
この、それぞれの生命が、大海のようにつながっているというのは、動物も植物もその他のものも、すべて神様のお働きによるあらわれである、神様の命を吹き込まれて生きているんだ、ということですね。
中でも、肉体人間は、その本質を神様の分けられたお命としているから、他の生命にはない、知恵と創造力を授かり、万物の霊長となっている。
お互いが、本質において神様の命を分けられた者であれば、互いに、愛し合い、慈しみ合い、尊重し合い、協力し合っていくのは、当然だ、ということになりますね。
ただし、現実世界(と認識されている)この世では、各々に過去世からたくさんの因縁、中でも業想念が蓄積されているために、そんなに簡単に理想通りにはいかないものになっていますけど。
あらゆるものに対する慈しみは、霊性が開発されれば、当然にそなわるものの一つと言えますね。
いわば、神様讃歌の一環だから。
そのように思います。
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①追記: 2021/04/29 04:52
②追記: 2024/04/27 21:12
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。