おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

388_法悟28-11-1

第 2 週 人生苦と向き合う

4 人の話に振り回されない

アトゥラよ、これは昔からのことだ。
今日だけのことではない。
人は黙っている者を非難し、
多くを語る者も非難する。
節度をもって語る者さえ非難する。
この世において、
非難されずにいた者は、
どこにもいない。

(二二七) (第17章 怒り より)

また、適当にいきます。

人は、他人からあれこれ言われたことをとても気にするものだ。時には落ち込んだり、時には舞い上がったり、とひどい目に遭うのである。怒っても、舞い上がっても、損をする。こうしたことは親子の間でも見られる。

このように見てくると、言葉というものは、放たれた矢のようなものだとわかるのだ。自分が中心になり、上下左右、四方八方から、言葉という矢で限りなく撃たれているのだ。それらをすべてまともに受けていたら、もう生きてはいられない(?)。

ならば、どうすればいいのか。その対策は、どこから矢が飛んできてもケガをしないように、鎧(よろい)をかぶればいいのだ。

では、ここに言う鎧とは何か。実は、矢に撃たれないための簡単な鎧があるのである。

人間はいい加減なもので、ただ無責任に話をしているだけなのだ(?)。他人の言うことなど、気にする必要はない。誰しもが、物事を万事知り尽くした上で話をしていることなどはないのである。

これは、親についても言える。わが子を、かわいい、愛している、とか言っている割には、話す時には無責任に話しているのだ(?)。

わが子本人の気持ちなど全然理解していない(ひどい)。

よって、人の気持ちをよく理解して、客観的に物事を判断して、これが正しい言葉である、道であると理解した上で話す人など、世の中にはいないのだ(ひどい)。

人は自らの主観で、好き勝手に、また、その妄想で話しているものなのだ(ひどい)。

そんな言葉などを気にする必要があろうか(ひどい)。

この偈(げ。詩文。この経文のこと)は、ブッダ(お釈迦さんのこと)、アトゥラという人に語った言葉である。

こんなことは昔から往々にしてあったことで、こちらが黙っていると、「なんでお前は黙っているんだ」「何とか言え!」と非難される。

そこで、「ああ、そうですか」と言い、こちらが話出すと、今度は、「話過ぎだ。もう言わなくてもいい」と、またもや、非難される。

「ああ、そうか。では適当に・・・」とすれば、これまた非難される。ー

黙っていても、多くを語っても非難される。ほどほどにしても、また然(しか)りなのだ。これは、要するに、「非難されない人間など、この世にはいない」ということなのだ。

私( S さんのこと)自身も、当然のように非難される。

大体、人間などというものは、無責任に何かを話しているだけなのだ(ひどい)。他人を非難して、侮辱(ぶじょく)して、人権を侵害しながら話をしている。これが人間のやり方なのである(ひどい)。

従って、この偈の意味するところは、すなわち、これらのことを単純にまとめれば、「バカは相手にするなよ」ということなのである(ひどい)。

そもそも、非難をする人の話などというものは、真面目に研究を重ねて、調べて、客観的に判断して話しているものではない。ただ、何かを話しているだけなのだ(ひどい)。

話さずにはいられない病気にかかっているのである。だから、これらは気にする必要はない。

「この世の中で非難されない人間などいない」と理解をすれば、どこから言葉の矢を放たれても平気になる。自分を守ることができるのだ。

これこそが、心の平安を守るための、鎧なのである。

他人からの言葉の矢をまともに受けると、その言葉にまとわりついている感情までもが、こちら側の心に入ってしまう。

だから、怒りで非難されたりすれば、私達は、落ち込むか、腹を立てるか、のどちらかになる。いずれにしても、怒りに対する反応を示してしまうのだ。

これらとは反対に、「貴女(あなた)はとてもお美しいですね」と相手が欲(下心か?)で誉めてきたりすると、こちらも気分よく、「貴方(あなた)もいい人ですね」と、欲の反応(?)を返してしまう(そうですかね?人にもよりますが、一般的に女性は警戒心が強いのが基本ではありませんか?)。

相手の感情を受け入れてしまうと、人の煩悩までこちら側(自分)の心の中で、再現されてしまうのである。常に、他人の感情に影響を受けていたら、心を平安に保つことはできない。私達は、常に心の平安を保たなければならないのだ。

非難は非難でも、理性のある人、智慧のある人、人格的に優れた人に非難されるのであれば、それはありがたいものとなる(?)。ものすごく、バカにされても、それはとてもありがたい(?)。それを真面目に聞いても、決して惨(みじ)めにはならない(?)。

物事をしっかりと判断して、自分のことをとても心配して言ってくれる場合には、それは非難ではなく、有意義なアドバイスなのだ。

何かをしようとする時に、経験豊富な熟練者がいて、「こうしてみなさい」と言われたら、その人の話はよく聞くことだ。世間によく見られるように、やったこともない人、知りもしない人が、物事に横から口を挟(はさ)むと、必ず失敗するものだ。

だから、無知な人(?)の話を聞く必要はない。ただし、賢者の言葉だけは、きちんと聞かなければならない。何の文句も言わずに聞くしかないのである(?)。

ブッダは一切を知る、完全無欠の方なのだから。

とのこと。

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・あなたについて

二人称の人代名詞。同等以下の相手を指し示す語。軽い敬語として同等以下の相手に使うほか、妻が夫を親しんで言う場合や、名前や身分などのわからない相手に使う傾向が強い。また、公用文で「貴下・貴殿」に代わる言葉として使う。

表記は、かな書きが一般的たが、手紙などでは漢字書きも好まれる。「貴方」は男女ともに、「貴男」は男性に、「貴女」は女性に使う。漢字で書く場合、表記に支えられて、相応の敬意がこもるが、上位者には避けたい。

本来、対等または目上の相手への敬語として使っていたが、現在ではよそよそしい語感が嫌われ、対等の相手には避けられる傾向がある。