おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

684_ひしみー105

08 天魔よ、汝は破れたり

・天魔の正体を見抜いた沙門ガウタマ

前回( 683_ひしみー104 )の続きです。

前回に続いてまた脱線となる。

お許し頂きたい。

前回、仏教を学ぶ、あるいは、人生の生き方の指針とする場合のもどかしさについて書いた。

また、こうしたことは、仏教以外の宗教でも、仏教で悟りを開いた境地に匹敵する境涯に達することができない問題であるかのように書いた。

実は、こうした境涯未達(?)による、悟りの至る理解の表現の難しさについては、五井先生の著書、「空即是色」(白光出版)に書いてある。

ただ、五井先生の教えが、一般的にはなっていないと思えたことと、他宗から反感を買う可能性があるとも考えて省略していた。

そこで、ごく普通に、宗教に興味を抱く場合の素朴な疑問の形で、前回のように書いた次第である。

でも。

「お前は何をもったいつけているんだ」と不快に思われる方もおられると困る(=業想念を抱かせることになるから)ので、ごく簡潔に書いておくことにする。

要は、物事を真に感得できた人が書いた表現と、そうでない人が書いた表現とは、わかりやすさに差が出てくる、ということ。

悟りを開いていない人が書いたものは、どんなに学問をきわめようとも、研究にいそしもうとも、それなりの境地に達していないために、外から迫る(?)というか、間接的なとらえかたをしているようで、つかみにくいというか、わかりにくいのです。

概略はそういうこと。

まあ、私の理解力が一般的な人に比べてかなり劣るであろうことは、あらかじめ割り引いておくにしても。

それにしても。

五井先生の
「空即是色」(白光出版) の
八 はじめから悟っている自分 の
無限億万年の昔から悟っている仏

法華経(ほけきょう)の如来寿量品(にょらいじゅりょうぼん)のことを解説してある部分がある。

私は、これを読むまでは、このことはサッパリわからなかった。

一般的な仏教の法華経を解説してある本を何冊か読んだのだが、何だか煮え切らないというか、モヤモヤしているというか、わからなかったのである。

この五井先生の解説も、何回か読み返して、ようやくそういうものか、とわかるようになってきた。

そういう問題です。

勝手ながら、詳しい解説は省略させて頂きます。

ご了承願います。

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追記: 2022/08/10 18:20
〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。