675_ひしみー096
08 天魔よ、汝は破れたり
・経典はガウタマの迷いを語っている
前回( 674_ひしみー095 )の続きです。
苦行がダメだと決めつけた理由は何か( 652_ひしみー073、653_ひしみー074 )、と、悪魔とは何かについてのうち、前者について、前回において関係することを独断と偏見で書いた。
今回も独断と偏見なので、一般的な仏教にしか興味のない方は飛ばして下さい。
この後にも、お釈迦さんは悪魔との問答を重ねながら、苦行を捨てて中道を歩んでいくことに絶対の信頼を置かずに迷いながら、わが道となる中道を進んでいく訳ですね。
とは言うものの。
やっぱり、フニャフニャしてつかみどころがないんだなあ。
苦行だけでは絶対に悟れない(?)から、苦行を放棄したと直に言ってくれた方がはるかにわかりやすい。
前回も今回も悟れないと便宜的に悟りを引き合いに出したが、これはひろさんのご本にはあまり大々的に書かれていない。
だから、なおのことわかりにくい。
とにかく。
苦行だけでは絶対悟れないこと、禅定がテクニックだけではダメであること、そうして、戒学と定学を守り修めれば、悟りの智慧が得られるかのごとくに読み取れなくもない。
しかし、苦行がダメだというハッキリとした理由は何なの?
ダメだとだけは書かれている。
しかし、実際にきわめなければ、ダメかどうかはわからないはずじゃないですか。
お釈迦さんの口から、お釈迦さんご自身のお言葉ではっきりと苦行では悟れない理由を言ってもらわない限り、わからないとしか言いようがないですよ。
前々回引用したお釈迦さんの迷い中(?)の以下の部分、
二 さて尊師が独り静かに座して瞑想しておられた時に、次のように思われた。
「私は、もはや、苦行から解放された。
私が、あのためにならない苦行から解放されたのは、善いことだ。
私が安住し、心を落ち着けて、悟りを達成したのは、善いことだ」
じゃあ、この「ためにならない」と断定した根拠は何か?と聞きたいんですよ。
それを具体的にわかりやすく述べてほしい。
中村さんのご本(原始仏典)に出ていたが、ブッダとなった人物は何もお釈迦さんばかりではなく、他宗にもいたとされていた。
その中には、ことによると苦行で悟りを得た人もいたかもしれない(真偽はわからない)。
だから。
「ためにならない」とおっしゃっていることだけはわかる。
じゃあ、あなた(お釈迦さん)がこのように断定する根拠は何なの?ってことです。
根拠は一切触れないで、ダメだとだけはわかる???
納得できないなあ。
直感的にわかった?
ある程度、修行を修めてきたり、悟りを得られれば、後づけでそう言うことはできるだろう。
しかし、そうでもない、例えば仏教初心者には、これでは苦行はダメだとする説明になっていないのではありませんか?
だから、はるか後世の私達には、あくまでも推測するしか、手立てがない。
ハッキリ言ってわからない。
だから、お釈迦さんの直のお言葉を遺しておいてほしかったんですよねえ。
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追記: 2022/06/09 06:36 〜訂正内容〜
本文を訂正しました。