おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

702_ひしみー123

09 梵天による懇請

・大宇宙の真理は言語化できない

前回( 701_ひしみー122 )の続きです。

前回は身も蓋もないかなり辛辣なことを書いてしまった。

以下は、個人的な雑談になるので、一般的な仏教にしか興味がない方は、飛ばして下さい。

前回書いた辛辣な内容については、今まででも、この問題は、( 683_ひしみー104 )をはじめとしていくつか触れてきた。

もっと言い換えさせてもらうと(独断と偏見になるがご容赦下さい)、小乗仏教は、限られたエリートだけが実行できる厳しい修行を伴った悟りへの道である。

しかも、戒学・定学・慧学の 3 つを揃って修めることが必須だ。

つまり、小乗仏教は、それなりに形式を踏み、範囲は限定されているけれども、これだけでも修めるのは大変な教えということになるんですよ。

ひろさんをはじめとして、大乗仏教を奉じる人達にしてみれば、こうした閉じた体系、しかも形式に縛られやすく、認可制のようになっている小乗仏教では、到底、一般化はできないし、仏教そのものが学べない、お釈迦さんの教えを広めることはできないと考えたのではないですか。

だから、お釈迦さんがこの世を去られてから、500 年以上経って、瞑想による経文の獲得という形で、もっと一般化に踏み込んだ、深い教えとされる大乗仏教が起こってきた。

だから、大乗非仏説があるのではないですか。

資料の継承の可能性(実質は口伝の可能性)の是非や、瞑想による経文の獲得の真義の是非となると、これはもう万人にとっての証明が困難だとしか思えません。

なぜならば、現在の科学の段階では、唯物論者を完璧に説き伏せることが不可能だからです。

状況証拠のように周辺から攻めて、お釈迦さんの教えのように言うことはできても、唯物論者を含めた誰をも納得させる科学の段階には至っていないと思えるんですよ、現代の科学水準では。

もっと量子力学などが進歩しないと、万人を納得させる証明ができないように思えるんですよ。

従って、現段階では、大乗仏教は、いまだに信じるか、信じないか、という信心の段階にあると思うんです。

だから、人によって、大乗非仏説も肯定と否定に分かれ、ましてや、唯物論者は信じない人がいるということになるのではないですか。

小乗仏教を修めることは、複雑多様化した現代社会にはそぐわないし、無理がある。

かといって、現代の科学水準で完璧な証明ができない大乗仏教が、教えを広める可能性が広がるからといって、小乗仏教を一足飛びに飛び越えて、これ(小乗仏教)を軽んじてよいものとは思えません。

やはり、文献的に、その人その人なりの過去世のあり方に合わせて、お釈迦さんの遺された生き方や教えや小乗仏教大乗仏教の経文や教えから、参考にできる部分を取捨選択しながら、仏教を学んでいくより他はないと思うんです。

現段階では。

宇宙と一体化したい、真理に溶け込みたい、といっても、おそらく過去世にそれなりの研鑽を積んだ実績のある人でないと、その望みを叶えることはできない。

従って、各自の過去世の生き方(研鑽の度合い)に応じて、仏教の教えを様々な形で吸収していくしかないのが、現状のように思います。

以上が前回書いた内容です。

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①追記: 2022/11/05 00:31
②追記: 2022/11/05 03:15
③追記: 2023/05/14 22:59
 〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、表題と本文を加筆・訂正しました。

③について
09 梵天による懇請
の内容が始まる、
694_ひしみー115
から
714_ひしみー135
までの 21 個分の表題を
すべて間違えていたこと
に気づきましたので、
これらを訂正しました。
これに伴って本文中も
訂正すべき部分を訂正
することにしました。

この章の正しい表題は
09 梵天による懇請
でなければならないところを、ずっと
09 梵天の懇請
のままにしていました。
大変失礼致しました。
申し訳ございません。
お詫びとともに訂正させて頂きます。