おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

698_ひしみー119

09 梵天による懇請

・釈迦は真理を楽しんでいた

前回( 697_ひしみー118 )の続きです。

今回は、一般的な仏教からは外れた話になると思うので、一般的な仏教以外に興味のない方は飛ばして下さい(内容がぶっ飛びになる可能性があるので)。

今回と次回に分けて書くが、正確さにも欠ける(本がしまい込んで見つからない)ことだし、雑談とする。

前回、ひろさんは、お釈迦さんが真理を悟った状態を、自らが真理の中に溶け込んでいる、真理と一体化した状態であるかのようにお書きになっていた。

今回は、真理について雑談を書く。

字引を見ると。

・真理~しんり~①正しい道理。
(用例)不変の真理。
②(哲学用語)いかなる場合にも通用する妥当な知識や認識。

とある。

ひろさんの本にも、ひろさんのお師匠さんの中村さんの本にもあったが、お釈迦さん在世当時のインドでは、悟りを求めて修行する人には、それなりの敬意が払われ、食物をはじめとしたものが供物として捧げられることがあったようだ。

では、その悟りとは何なのか。

「 人間とは何か 」なのか?

「 大地は、自然は、地球とは何か 」なのか?

さらには、「 宇宙とは何か 」なのか?

とにかく、自分が生きていて、五感をはじめとして認識できる、ありとあらゆるもの成り立ちや存在意義を知りたいということなのか?

では、なぜそんなことを知りたいと思うのか?

ただ、適当に生きて、食べるものが確保できて、寝る場所が確保できて、場合によっては性欲が満たされれば、それだけでもよさそうに思えるのに。

なぜ、五感で認識できる、ありとあらゆるものの成り立ちと存在意義を知りたいと思うのか?

知らない、すなわち、わからないと不安に苛(さいな)まれて仕方がないから?

わからないと、知りたいという、内からこみ上げてくる自然な衝動に突き動かされるから?

おそらく、これは後者だろう。

やはり、神様がそうしたものを探求させるべく、運命づけられているような霊魂魄があって、場合によっては魂の分割や合体その他も経ながら、そのような過去世の因縁を重ねて、真理が知りたいという人(肉体人間)になるのだろう。

だから、お釈迦さんは、やはり、スタートラインは普通の人と変わらないにしても、神様からそれなりの期待を持たれた魂(霊魂魄)だったのだろう。

この点は、ひろさんがお釈迦さんだけを、宇宙から派遣された、唯一無二の大乗仏教の立場の宇宙仏としていた見方とは異なる。

つまり、お釈迦さんは、それなりに特別の存在だが、お釈迦さんただ 1 人を、唯一無二の別格扱いはしない、ということ。

もっと言えば、一般的に解釈される天上天下唯我独尊としての頂点としての絶対的な宗教人としてのお釈迦さんはいない。

あくまでも、宇宙に唯一無二の個性を持たされた人間の一人として、偉大な人であっただけ。

そのように思います。

次回は、真理に溶け込むことの意味に関して書く。

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①追記: 2022/10/08 06:09
②追記: 2022/10/08 12:15
③追記: 2023/05/14 22:30
 〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、表題と本文を加筆・訂正しました。
③について
09 梵天による懇請
の内容が始まる、
694_ひしみー115
から
714_ひしみー135
までの 21 個分の表題を
すべて間違えていたこと
に気づきましたので、
これらを訂正しました。
これに伴って本文中も
訂正すべき部分を訂正
することにしました。
この章の正しい表題は
09 梵天による懇請
でなければならないところを、ずっと
09 梵天の懇請
のままにしていました。
大変失礼致しました。
申し訳ございません。
お詫びとともに訂正させて頂きます。