おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

714_ひしみー135

09 梵天による懇請

・伝道を決意した釈迦

前回( 713_ひしみー134 )の続きです。

今までの話をごく簡単にいうと、梵天様によるお釈迦さんへの伝道の懇請については、

仏教の通説と思われる考え方では、
度重なる梵天様の説得にほだされて(?)これを受けたと考えたり、

あるいは、
ひろさんのように、
苦行 → 利己的 → 伝道しない
中道 → 利他的 → 伝道する
という考え方も、

動機づけが弱くて納得できない。

そもそも、すでに書いたように、お釈迦さん在世当時のインドの常識の悟りを開いたら涅槃(ニルヴァーナ)に入る=死ぬ、という考え方自体に疑問が残るのである。

ひろさんは、お釈迦さんの悟った無言語状態の真理こそが、お釈迦さんの本当の教えであり、大宇宙の真理であり、大乗仏教の真理であるとして、ひろさんを含め、大乗仏教を奉じる者は、この大宇宙の真理に飛び込みたい、大宇宙のダルマと合体したいとしていた。

大まかにいうと、大乗仏教は、小乗仏教が自らの悟りを開くことを主題とするのとは異なり、利他の思いから悟りを開いた後に、慈悲の心を持って、一般の人々を救うことを題目としているはずだ。

しかし、この大乗仏教の慈悲が生じるそもそもの理由が明らかにされていないように思えるのである。

以下は、かなり乱暴な話になるが、お許し頂きたい。

小乗仏教は、少数精鋭のエリートのみに道が開かれた難行苦行の行き方だ。

だから、大乗仏教では、いわばこの閉じた体系を嫌い、教えを少しでも広めたいがゆえに、慈悲を持ち出したように思えるのだ。

大乗仏教の考え方を私なりに勝手にねじ曲げて解釈させてもらうならば、たくさんの人々、もっと言えば、あまねくすべての人々を救いたいがゆえに、便宜的に慈悲という概念をつくりだしたのではないか、持ち出したのではないか、と思えてしまうのである。

だから、私は、以前に慈悲の概念が唐突に持ち出されたのではないかのように書いた。

もちろん、人間としては、苦しんでいる、悩んでいる他者を見れば、これを救いたい、という感情がわいてくるのはごく自然なことだろう。

大乗仏教で持ち出される慈悲は、このような感じに見えるのだ。

極端に言えば、慈悲はこうして何となく抱く感情、という感じに見えてしまうのだ。

こうしたとらえ方だと、お釈迦さん在世当時のインドの常識の悟りを開いたら涅槃(ニルヴーナ)に入るという考え方を否定する、脱却する理由づけが弱いように思えてしまうのである。

だから、人間を、肉体人間を神様の分けられたお命を頂いて本質としている存在だととらえないと整合性がとりにくいと思えてしまうのだ。

神様の分けられたお命である分霊(わけみたま)は、神性であり、仏性と言ってもいい。

そして、神様(み仏)は、そもそも、真善美に悖らない愛そのものの存在である。

であるからには、悩んでいる他者や、苦しんでいる他者は、すべて神様(み仏)の子供としての兄弟姉妹である同胞に他ならないのであるから、救いに立つために、伝道を決意するのは当然という帰結になる。

これならば、梵天様が必死に説得に向かわなくても、お釈迦さんは自ずと教えを説き広めることになったはずだ。

このとらえ方に従えば、悟りを開いたから涅槃(ニルヴーナ)に入る、自分だけが悟ったから、他の者はどんなに悩もうと、苦しもうと、関知しないという帰結にはならない。

同じく、このようにとらえた場合には、お釈迦さんが自らが悟りを開くまでに苦労したこと、自分のように悟りを開く素養に恵まれた者でさえも、 6 年というそれなりの時間を要したからといって、一般の人々が自分の素養にはほど遠いからといって、伝道をあきらめるとは思えないのだ。

大げさに言えば、たとえ万難を排してでも、中途で挫折することになったとしても、お釈迦さんは伝道に向かうはずだ、と思うのである。

だから、私にはひろさんも含めて、仏教の一般的な考え方が納得できないのである。

異論を述べてしまったが、

・伝道を決意した釈迦

は、ここまでとしたい。

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①追記: 2023/05/06 14:30
②追記: 2023/05/15 23:31
 〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、表題と本文を加筆・訂正しました。

②について
09 梵天による懇請
の内容が始まる、
694_ひしみー115
から
714_ひしみー135
までの 21 個分の表題を
すべて間違えていたこと
に気づきましたので、
これらを訂正しました。
これに伴って本文中も
訂正すべき部分を訂正
することにしました。

この章の正しい表題は
09 梵天による懇請
でなければならないところを、ずっと
09 梵天の懇請
のままにしていました。
大変失礼致しました。
申し訳ございません。
お詫びとともに訂正させて頂きます。