おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

700_ひしみー121

09 梵天による懇請

・大宇宙の真理は言語化できない

前回( 699_ひしみー120 )の続きです。

ここにひろさんが書かれていることを、逐条解釈的に検討して書いてもいいのだが、長くなるため、勝手ながら、ひろさんの言わんとすることを、改竄も含めて、縮小しながらまとめた上で、検討していくことにしたい。

以下、ひろさんの言わんとすることをまとめたい。

真理を悟ることと、これを言語化して自分以外の他人に伝えるのは別次元のことだ。

お釈迦さんが悟った真理を完全に言語化して他人に伝えることは絶対に不可能なのだ。

これは、お釈迦さんの能力の問題ではなく、人間の操る言語の限界だからだ。

とにかく、人間の操る言語は、万能ではないので、お釈迦さんが悟った宇宙の真理(ダルマ)を言語化することはできないし、私達のような一般的な人間にはわかるはずもないのである。

お釈迦様が悟った内容を(完璧に)理解することのできる者は、お釈迦さんと同一水準の悟りを得た人しかいないからである。

だから、お釈迦さんは、宇宙の真理を悟っても、その言語化はしなかった。

宇宙は、時間的にも空間的にも、無限である。

ということは、その真理を解き明かすには無限の時間が必要だということになってしまう。

ゆえに、宇宙の真理を言語化して、解き明かすことは不可能だから、お釈迦さんは、これ(宇宙の真理)を「自受法楽」していたのである( 697_ひしみー118 )。

それは、すなわち、無言語状態にあったということにもなるのだ。

それでも、お釈迦さんは、梵天という神様の懇願もあって、法を世の人々に伝えることになる。

いわゆる、仏教の伝道のはじまりがこれで、お釈迦さんは、お弟子さんを作って、教えを説いた。

これが、初期仏教となる小乗仏教と呼ばれるものである。

だが、お釈迦さん亡き後に、500 年ほどして、インドに新たな仏教、すなわち、大乗仏教が誕生する。

大乗仏教は、その成立根拠を「お釈迦さんの無言語状態」に置くものだ。

しかし、いくらお釈迦さんが、お弟子さん達に、真理を説いても、言語化されたものは、上記のような理由により、宇宙の真理のほんのわずかな部分に過ぎない。

小乗仏教は、それをお釈迦さんのすべてだと教えているが、誤解もはなはだしい。

(以下は、ほぼ、ひろさんの原文のまま)

(ひろさんを含めた)われら大乗仏教の徒(弟子)は、お釈迦さんの悟った宇宙の真理(ダルマ)そのもののうちに飛び込みたい。

宇宙のダルマと合体したいのだ。

大乗仏教はそう考える。

そう考えて、小乗仏教をいささか馬鹿にするのである。

以上が、ひろさんのお書きになっていることのまとめだ。

これについて書きたいのだが、とりあえず、今回はここまでとする。

ご了承頂きたい。

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①追記: 2022/11/03 20:55
②追記: 2023/05/14 22:43
 〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、表題と本文を加筆・訂正しました。
②について
09 梵天による懇請
の内容が始まる、
694_ひしみー115
から
714_ひしみー135
までの 21 個分の表題を
すべて間違えていたこと
に気づきましたので、
これらを訂正しました。
これに伴って本文中も
訂正すべき部分を訂正
することにしました。
この章の正しい表題は
09 梵天による懇請
でなければならないところを、ずっと
09 梵天の懇請
のままにしていました。
大変失礼致しました。
申し訳ございません。
お詫びとともに訂正させて頂きます。