09 梵天による懇請
・苦行による悟りと中道による悟りの違い
前回( 708_ひしみー129 )の続きです。
前回に書いたように、ひろさんによると、お釈迦さんが悟りを開いた当時のインドの一般常識では、悟りを開いた人間は、すみやかに入滅することになっていたそうだ。
そして、その時のお釈迦さんの心中を以下のように推測している(改変あり)。
「ようやく悟りが得られたのだから、自分はこのまま入滅しよう」と常識的な思考をした、と。
(ここからも、ひろさんの創作と思われる)
だが、しかし、釈迦の内面にはもう一つの思考があった。
「この悟りの境地、静けさに至る道を、人々に教え示してみようか・・・」
そのような考えが自然に浮かんできた。
たぶん、そうであったと私(=ひろさんのこと)は推測する、と。
しかし、この考えは、(当時のインドの)世間の常識とは正反対だから、これを悪魔に託(かこ)つける訳にはいかない。
そこで、仏伝作者は、それを梵天という神に託つけたのであった、と。
では、なぜ釈迦は、世間の正反対の考え、すなわち、人々への伝道を考えたのであろうか・・・?
私(=ひろさんのこと)は、それは中道にあったと思う、としている。
今回は、ここまでとする。
~~~~~
・託つける~かこつける~直接関係のない他の事柄を口実にする。その物事のせいにする。ことによせる。
(用例)病気に託つけて欠席する。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
①追記: 2022/05/15 23:00
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、表題と本文を加筆・訂正しました。
①について
09 梵天による懇請
の内容が始まる、
694_ひしみー115
から
714_ひしみー135
までの 21 個分の表題を
すべて間違えていたこと
に気づきましたので、
これらを訂正しました。
これに伴って本文中も
訂正すべき部分を訂正
することにしました。
この章の正しい表題は
09 梵天による懇請
でなければならないところを、ずっと
09 梵天の懇請
のままにしていました。
大変失礼致しました。
申し訳ございません。
お詫びとともに訂正させて頂きます。