おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

272_原仏18ー2

前回 ( 271_原仏18ー1 - おぶなより ) の続きです。

Ⅱ 人生の指針 の
第二部 後世における発展 の
第七章 ギリシャ思想との対決 ー 「ミリンダ王の問い」 です。

なお、便宜上、本でなされている内容及び解説を (A) として、私の文を (B) と記します。内容は本の小見出しに従って、見ていく形にします。

一 「ミリンダ王の問い」の成立とその意義

ミリンダ王と仏教 ー

(B) 前回、アショーカ王没後、インド全体が分裂して、ギリシャの王達が入り込んできたことを書いています。

(A) (一部、改変・省略・訂正あり。以下、すべて同様)これら多くのギリシャ人の王達の中で最も有名だったのが、メナンドロス(パーリ語ミリンダ)です。

大体、紀元前 160 年から 140 年頃に、バクトリアからカブールの地方を統治していたと考えられています。彼はそこからインドに侵入しました。

彼は最も有力な王で、アフガニスタンから中部インドまでをも支配しました。従って、彼の作った貨幣が今日まで多く残っています。

中には、はるか海を越え、イギリスのウェールズ地方で見つかったものまであります。貨幣には彼の肖像が刻印され、ギリシャ文字で彼の名前が記されています。

時期によって多少異なりますが、彼の肖像は、なかなか精悍(せいかん)な、英知に輝く人物であったと思われます(と中村さんは書いています)。

また、貨幣にはギリシャの神々が載っていることもあります。なので、彼らはインドやアフガニスタンにいながらも、公にはギリシャの昔ながらの民族的な神々を奉じていたように見えます。

しかし、どうも実質的な心の中では、仏教を信じていたようなのです。

というのも、近年、ミリンダ王が奉納した旨を刻んだ舎利器(遺骨を納める器)が発見されています。また、彼が亡くなった時に、インドの地方の 8 つの都市が、彼の徳を慕って、その遺骨をそれぞれに分けて、彼の遺骨を祀り記念碑を立てています。これは、釈迦の涅槃の伝説に倣ったものであると考えられるのです。

彼はパキスタン北部のシャーカラを首都としてインドを統治しました。その勢力はガンジス川流域にまで及びました。

(B) なし。

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①追記: 2021/02/14 06:25
②追記: 2021/02/16 00:10
③追記: 2024/04/21 18:00
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。

271_原仏18ー1

Ⅱ 人生の指針 の
第二部 後世における発展 の
第七章 ギリシャ思想との対決 ー 「ミリンダ王の問い」 です。

なお、便宜上、本でなされている内容及び解説を (A) として、私の文を (B) と記します(段落分けなどの改変あり)。
また、内容は本の小見出しに従って、見ていく形にします。

一「ミリンダ王の問い」の成立とその意義

ー ミリンダ王登場の背景 ー

(A) (一部、改変・省略・訂正あり。以下、すべて同様)本章では、ギリシャ思想との対決を取り上げます。

具体的には、ミリンダ王の問いという書物がパーリ語で伝わっています。

東西の思想が対決した記録という意味では、これほど重要な典籍はおそらくまたとないと思われます。ここでは、インド発の仏教思想とギリシャ思想が対決し、交流しているのです。

双方の文化交流は、かなり古い時代からたどれますが、そのきっかけは紀元前 327 年にアレクサンドロス大王ペルシャの方を征服し、その余勢を買ってインダス川流域に侵入してきた時代から始まります。

その後、インドのチャンドラグプタが、ギリシャ人の勢力を一掃してマウリヤ王朝を建設、ここにインド全体がその史上初めての空前の大国家が成立しました。

前章で出ましたが、チャンドラグプタ王の孫、アショーカ王は、紀元前3世紀にさらに領土を広げ、マウリヤ王朝は栄えました。仏教が急速に広まったのもこの頃からです。

当時、ギリシャとの交流が非常に盛んだったためか、ギリシャ人が仏典にもよく出ています。色々な交渉があり、インドに入ってきたギリシャ人の支配者達や商人達の間にも、いつの間にか仏教信仰が段々と広まるようになりました。

そして、ギリシャ人達は、仏教の霊場や寺院に色々なものを寄進するようになりました。例えば、立派な彫刻の施されている窟院や、そこにつくった貯水地や、ストゥーパの部分を寄進するなどをギリシャ人がしていたと多くの碑文に出ています。

マウリヤ王朝は、アショーカ王没後は次第に衰え、紀元前 180 年頃にプシヤミトラという将軍に滅ぼされました。すると、インド全体は以前と同様に、分裂状態になってしまいました。ギリシャ人の諸王達が、勢力が弱まったところにつけこみ、インド西北の地方(現在のパキスタン北部)から北インドにかけて相次いで侵入してきたのです。そして、いくつかの王朝を成立させました。

多数のギリシャ人国王の系譜はよくわかりませんが、彼らはそれぞれに通貨をつくり、発行しています。また、碑文にも彼らの名が載っているので、それらを合わせ考えると、少なくとも 40 人以上のギリシャ人の王達が、パキスタン北部(いわゆるガンダーラと呼ばれる地方)からインドの北部に向かう形で、それぞれに王朝を成立させて、支配していました。

(B) なし。

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追記: 2024/04/21 17:52
〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。

270_説教

ちょっと、次の章(第 七 章 ギリシャ思想との対決ー「ミリンダ王の問い」))を個人的にもて余しているというか、まだまだ考えているので、また、息抜きします。

ハートカフェやパウラちゃんねるに対して、やや否定的なことを書いたかもしれないので、私も違った角度から、人様からの見聞などを元にしながら女性について書きます。

女性は何で恋をしなければならないのかな。

別にしなくたっていいじゃん。

恋愛が性欲の昇華したものが本質だとしても、相手はそれなりに吟味しなよ。

だからといって、別に金や権力のことだけを言ってるんじゃないよ。

彼氏を誰でもいいから欲しいなどと焦ったりすれば、それこそ、やることばかりを目的とした男達の餌食になるのがオチです。

彼らが、女性に優しく、上手にエスコートできるのは、生まれつきの特別な人を除いては、みんな後天的な努力で獲得したものに過ぎないからですよ。

そう。

明確な目的を持っているからこそ、身につけた技術なんだ。

目的の完遂のためになら努力を惜しまないんだよ、彼らは。

普通の男は、こんなものなんか持ちあわせていないさ。

しかし、こうした普通の男が女性を大切にしたくないのかというと、そうじゃないんだ。

女性の遅い歩みに合わせず、どんどん歩いていってしまうような男の方が普通なんだよ。

こうした男の方が実は家族思いだったりするんだ。

それを知らない女性や女性ライターさんが世の中にはずいぶん多いな、と感じましたね。

女性も恋愛は上書きが基本みたいだけど、ひどい人もいるからな。

恋人らしき(?)男性と一緒にいても、平気で他の男に色目を使う女性がいる。

あなた、その一緒にいる男性は彼氏じゃないの? そんな態度とったら彼氏の面目丸つぶれじゃないか、ひでえなあ、というような女性だ。

それも、一人や二人じゃない。例外的事例ではなく、かなりいるんじゃないかな、こんな女性。

そんな態度をとるくらいなら、今一緒にいる男性を彼氏として同伴しなさんな。

そんな扱いではその彼氏にも失礼きわまりないよ。

その程度の恋愛関係(?)なら、そもそも、お付き合いなんかしなさんな、と思いますね。

容姿も性格も財力もひっくるめて相手を選ぶにしても、恋人関係にしろ、夫婦関係にしろ、苦楽をともにする覚悟ができたお相手(男性)とだけ、お付き合いしなさいよ。

楽しませてくれ、じゃないんです。

苦労もともにしていく人を選ぶんですよ。

私はこの人となら、苦労を厭わない、苦難をも乗り越えて見せると心底惚れた人とだけ、深く付き合うようにするんですよ。

結婚は、私はこの人(男性)の子供を産みたい、この人の子孫をこの世に遺したい、と思う人とだけにしなさいよ。

托卵なんてもっての他です。

まあ、托卵が過去世の因縁によるものでない限り、この狡い計算と行為は、輪廻転生を通してすべてひっくり返されて、来世以降に自分に返ってくる訳だから、所詮は愚かしい浅知恵にしか過ぎないんだけどね。

だから、動物、動物と人間が神様の分霊を本質とすることを、否定することしかできないような主張(動物行動学が代表的)なんて、相手にしなければいいんだ。

そして、それなりに、尊重できるお相手以外とお付き合いしなさんな。

一時的な体裁のため、性欲の間に合わせのために、男性を確保するのはおやめなさい。(*)

これはお相手の男性のためでもある。

お相手の男性を一個人として尊重できないなら、お付き合いや恋愛は断念する。

これぐらいの気位というか、矜持を持って恋愛に臨みなさい。

そうすれば、男性も女性に対する見方を変えますよ。

男性自身も一個人として尊重されるべき人間になろうと、真摯な努力も厭わなくなるはずです。

あなた方の脇が甘いから、女性をなめたようなひどい扱いをする男性がいるんですよ。

偉ぶってお相手の男性に様々な条件を突きつけることよりも、まずはご自身が一人の女性として男性から尊重される人間におなりなさい。

・・・。

まあ。

説教は無効なんですが、私的に説教するとこんな風になりますかね。

ハートカフェやパウラちゃんねる に書いた否定的なことというのは、批判や説教が無効であることと、それだけでなく、真善美に悖る想いと行為、いわゆる、業想念を巻き起こすことが、ひいては因縁因果を悪化させることにつながってしまうので、悪口や批判には肯定的になることはできないんですよ。

悪口も批判も、これを聞いた女性達の行いが改まることはない、現状を改善することはない、悪口のための悪口、批判のための批判にしかならないから、肯定できないんですよ。

因縁因果として、よいものにならない。

因縁因果の唯一の改善方法は、祈りと守護の神霊さんのお浄めで、因果を修正してもらうことしかないんですよ。

だから、世界平和の祈りと守護の神霊さんへの感謝行をすすめているんです。

~~~~~

(*)一時的な体裁のために男性を確保するとは、彼氏不在の体裁が嫌だから、彼氏に対する普段の要求水準を下げ、マッチングアプリでも、ナンパに応えてでも、とりあえず、彼氏らしきものを確保するという意味です。

性欲の間に合わせのために男性を確保するとは、性的な要求不満を解消するために、男友達でも、知人の男性でも、行きずりの男性でも、とにかく、当座をしのぐ(=要求不満を解消する)ために彼氏らしきものを確保するという意味です。

この行きずりについては、いわゆる、ワンナイトラブとか言われているものですが、これだって、スリルは擬態(カモフラージュ)で、実質は要求不満解消じゃないですか?

女性は本音を隠すことにかけては、男性が足下にも及ばないほどの超天才ですから。

しかし、厳しいようですが、これらは霊性の観点から見たらすべて外れていますね。

神様とはどういうものか、その分け命を頂く私達肉体人間は、本来どのようであるべきかを、お考えになって下さい。

どういう意味を持つかはお考えになればおわかりになるはずです。

具体的に言うと、セックスという行為が、ただ快楽のために、快楽をむさぼるためだけにあるのか、それとも他に快楽をも含めた意味があるのか、ということです。

ただ、過去世の因縁でこれらの行いをする、あるいは、何となくわかっていながらも、欲求に屈してしまうこともあるかもしれません。

その場合には、事後的な処置になってしまいますが、世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行があることを、覚えておいて頂きたいと切望致します。

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①追記: 2021/02/11 16:31
②追記: 2021/02/17 06:40
③追記: 2021/04/26 12:38
④追記: 2021/05/19 18:03
⑤追記: 2021/07/09 12:21
⑥追記: 2021/07/12 22:41
⑦追記: 2024/04/21 16:07
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、表題および本文を加筆・訂正しました。

269_容姿

肉体人間は、やっぱり神様の分けられたお命、すなわち、分霊(わけみたま)が本体だな。

美しいもの、快いものを見ている方が、気持ちがいいし、好ましい。

これは自然な感情だからだ。

真善美に悖(もと)らない(=反しない)、そうしたものが、美しい、快い、と自然に感じるのも、本体がそうだから、映し身の肉体としても、美しいものが、より近いものとなるために、当然の帰結ということになるのだろう。

なぜにこんなことを書いたかというと、とある vtuber(バーチャルyoutuber。架空の個性を持つ人物などの存在を使ってYouTubeの配信を行っている人)のチャンネルの登場人物の外観が、突如として変えられたから。

そのチャンネル (ハートカフェ) は、同じような内容を扱うチャンネル (パウラちゃんねる) とともに、世の中の男女の実態をあれこれと、あげつらっているものだ。

この ハートカフェ の扱う内容は従来通りなのだが、最近、登場人物としての男女の外観が突如として、あまり美形とは言えない、はっきり言ってしまうと、世に一般的に言うところの不細工なものに変えられてしまったからだ。

あれ? 一体どうしたんだ、これ?

ただ、内容的には今までとは変わらなくても、見ていて、やはり、あんまりいい気持ちはしない。

前は、ごく普通に描かれていた、美しい、あるいは無難に描かれた個性を持った漫画(アニメーション)の登場人物(以下、キャラクターとする)を何気なく見ていたので、何も感じないというか、わからなかったのだが、いきなり、不細工な容姿に格下げされて気づいたのだ。

何だかあんまり気持ちがよくないなと。

やっぱり、肉体人間は、神様の分霊を本体とするために、自然な感情として、無難、それも美しく描かれた外観を持つ人物を好んでしまうものなのだな、と。

仮に、それが単なるアニメーションのキャラクターに過ぎない存在であったとしても。

以前見た男女関係、ことに恋愛関係内容のサイトにもこの傾向は反映されていたな。

そこにでている写真のモデルさん達の、何と、まあ、若くて美しいこと。

どういう訳か、外人さんが圧倒的に多かったけどね。

やはり、若くて美しい外人さんは、内面は知らないが、とりあえずの外観は映(は)えるからなんだろうな。

この外観なんだけど。

今まで、素人ながらも霊性を研究してきたのだが、やはり、輪廻転生を通した生き方が反映されているものだと考えざるを得ないんだな。

今、この現世、今回の人生である今生では、どんなにデタラメの限りを尽くしても、その罰(バチ)が当たることはまずない。

すぐにはないのが大半だ。

場合によっては、今生内で時間差を経てあらわれてくる場合もあるが、かなり間(ま)が空くことが多いので、なかなかわからない。

ましてや、来世以降に、真善美と愛に悖った想いや行いの償いを、否応なしにしなければならなくなることなど、考えてもいないのが普通だろう。

だから、
因果応報などないだの、
天罰など当たらないだの、
神様なんかいないだの、
と何も知らずに、
やりたい放題にする人が出てくる
のかもしれないな。

まあ、過去世の因縁を果たすためにしている人もいるのかもしれないが。

アラサー(30才前後の人)で酷い人(女性)になると、若さを保つためにセフレを作るのが当たり前のように書いてあったからな。

経験人数ウン十人。

ただ、これは付き合う相手にはとてもまともには申告できない(=引かれてしまう)ので、かなりサバを読む(わずか数人だそう)ともされていた。

経験人数が数十人からわずか数人、下手をすると、十分の一近くまでごまかす。

彼女達は、輪廻転生を通して、時間差を経て、すなわち、隔世を経て、真善美と愛に悖る想いと行為の償いがあらわれてくること、しかも場合(行ってしまった言動)によっては、容姿に影響が出てくることは、まず、知らないんだろうな。

真善美と愛に悖る想いと行い(自分で考えればわかるよ)は、想いである幽体にすべて記録され、いずれは、輪廻転生を通してすべて「償わなければならなくなる」から、どんなに唯物論的に隠しても、どうしようもないこと。

別に男性や他の女性達に自己申告しなくても、想いの体である潜在意識=幽体にすべて記録されてしまうために。

償いの救済部分があるとすれば、その真善美に悖った想いと行いを、世界平和の祈りと守護の神霊さんへの感謝行をすることで、お浄めをして頂いて、少しでも消していくことしかないからね。

彼女達は、そんなことはまったく知らないだろうし、教えてくれる人もまわりにはいそうもない感じでしたね。

彼女達は、実地(=実際にセックスをすること)がないと若さが保てないと考えているようだが、何も無理に(いや、むしろ好んでか?)やらなくても、気持ちだけでもある程度若さは維持できるはずだよ。

気持ちの上だけでも、恋心を抱いていると明らかに違うと。

私はそう確信している。

ただ、恋愛を完全に諦めてしまうと、ちょっとまずいけどね。

ハートカフェさんや、パウラちゃんねるさんだけど、言いたいことはわかるし、指摘している点もほぼ的を射ていると思う。

しかし、どんなに、やいのやいの言ってもだめなんだよ。

アクセス数を稼ぐためか、彼女達に改心してほしいためなのか(それとも、両方か?)はわからないが。

彼女達の行動が改まることはまずない。

説教は無効なんです(批判は結果として説教と同じですから)。

だから、もし、彼女達の改心を願うのであれば、まずは、世界平和の祈りを始めることをすすめたい。

祈りを始めることによって、もしかしたら、いずれはチャンネルのあり方が大幅に変わる、あるいは、しばらくしてチャンネルそれ自体が自然な形で終了に導かれることになるかもしれない。

それは、神様(守護の神霊様=守護霊様と守護神様)のお導き次第。

しかし、彼女達の改善(=彼女達の霊性の向上)を真に優先するなら、致し方のないこと。それが本当に大事だと考えたら、仕方ないことだと思うしかありません。

特に パウラちゃんねる は、締めに笑いを使っている。

あれは明らかによくないのですよ。

登場人物(架空の パウラという少女)の表情、笑い方(声)が、明らかに対象となる女性達を蔑(さげす)んでいる。

つまり、あの笑いは、あざ笑う、嘲笑に通じるものがあるのだ。

嘲笑がなぜまずい想いと行いであるのかは、以前書いたことがあるので、詳しくは書かないし、書きたくない。

ずっと前に書いたのだが、輪廻転生の上で、ゴブチ(傲慢・侮蔑・嘲笑の頭文字をとってこのように略した)という想いと行為は、甚大な意味をもつのですよ。

どうしても知りたかったら、ジナサーミナラという人が書いた「転生の秘密」という本を読んでくれ。

そこにヒントが書いてあるから。

ただ、私個人としては、あまり読んでほしくない、知ってほしくない内容なのだが。

あとは パウラちゃんねる の作者さんのご判断に任せるしかない。

世界人類が平和でありますように

それともうひとつ。

美しい容姿を獲得したかったら、世界平和の祈りをおすすめする。

今生では、成果があらわれないかもしれないが、決して損にはならないから。

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①追記: 2021/02/10 00:50
②追記: 2021/02/10 17:30
③追記: 2021/02/10 17:43
④追記: 2021/04/20 21:32
⑤追記: 2021/04/27 12:31
⑥追記: 2021/07/09 12:18
⑦追記: 2021/07/12 22:39
⑧追記: 2021/07/12 23:35
⑨追記: 2024/04/21 15:57
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、表題および本文を加筆・訂正しました。

268_原仏17ー7

前回 ( 267_原仏17ー6 - おぶなより ) の続きです。

Ⅱ 人生の指針 の
第二部 後世における発展 の
第六章 アショーカ王のことば ー 「岩石詔勅」の
アショーカ王のことば です。

なお、便宜上、本でなされている内容及び解説を (A) として、私の文を (B) と記します(段落分けなどの改変あり)。
また、内容は本の小見出しに従って、見ていく形にします。

ー すべての宗教の承認 ー

(A) (一部、改変・省略・訂正あり。以下、すべて同様)さらに、アショーカ王は、一切の宗教の存在意義を認めました。彼はすべての宗教の本質を増大するようにということを目指し、それを岩石詔勅 第 十二 章で説いています。

これは今後の世界の進みゆく方向づけとして非常に重要な意義をもっています。次に、その全文を紹介しましょう。

(B) なし。

続きです。

神々に愛せられた温容ある王は、
出家者と在家者との一切の宗教を施与によって崇敬し、
また種々の崇敬をもって崇敬する。

しかし神々に愛せられたる王が思うに、すべての宗派の本質を増大せしめようとすることのように、
かくも優れた施与または崇敬は他に存在しない。

すべての宗派の本質の増大は多種の方法によって起こるけれども、
その根本となるものは、
言語を慎むこと、
すなわち不適当の機会において専ら自己の宗派を賞揚し、
または他の宗派を非難してはならぬこと、
或いはそれぞれの機会において温和なるべきことである。

さればこそ各自は互いにそれぞれのしかたによって他の宗教を尊敬すべきである。

もしも互いにこのように為すならば、自らの宗教を増進せしめるとともに、他の宗教をも助けるのである。

このようにしないときは自らの宗教を害(そこな)い同時に他の宗教を害する。

何となれば、全くみずからの宗教に対する熱烈な信仰により、
「願わくは自己の宗教を輝かしめよう」
と念じて、
自らの宗教をのみ賞揚し、
或いは他の宗教を非難する者は、
こうするために、却(かえ)って一層みずからの宗教を害うのである。

故に専(もっぱ)ら互いに法を聴き合い、またそれを敬信するためにすべて一致して和合することこそ善である。

けだし神々に愛される王の希望することは、
願わくはすべての宗教が博学でその教義の善きものとなかれし、
ということだからである。

それぞれの宗教を信じている人々には、次のように告げなければならない。

神々に愛せられたる王は思うのであるが、ひとえに一切の宗教の本質を増進せしめるほどの施与あるいは崇敬は世に存在しない。

そうしてこのような目的のために、多くの教法大官・婦人を監督する大官・飼獣苑官ならびに他の部局の人々が事をつかさどっているのである。

こういう訳で、それの結果は、各自の宗教の栄えること、また法の輝くことである。

(岩石詔勅 第 十二 章)

(A) アショーカ王は、仏教信仰に燃えていましたが、決して他の宗排斥するようなことはありませんでした。

他の宗教に対しても同様に援助していました。例えば、特別に宗教事項を扱うための教法大官という役人をつくっています。そしてあらゆる宗教が仲良く栄えるようにと願っているのです。

右の詔勅文でも、各宗教、各宗派は争ってはいけない。互いに法を聴き合い、また、それを敬い信じるために、すべて和合することこそ善である、と和合という言葉を使って表現しています。

こうした態度を示したことは、仏教信仰の念においては弱かったのではないかという懸念や、批判も出てくるのですが、しかし、最初期の原始仏教聖典に出ている仏教の教えは、他の宗教、宗派を自分と対立させようとは思っていないのです。

すべてを客観的に見て、なぜそのような教えが出てきたかを、よく見て冷静に評価して、それぞれを生かす、そこに仏教の本質があると見ていました。

このことからもアショーカ王が、初期の仏教の精神を生かしているといえましょう。

(B) なし。

というか・・・。

以下に書くことは、身の程知らずの未熟者の戯れ言として、あらかじめ、平にお許し願います。

無茶苦茶を書きますので。

春雨サラダ様ごめんなさい。

以下はお読み頂かない方がよろしいかと存じますので。

本当に申し訳ございません。

ただ、私は誰にでもわかりやすく、広く理解すべき内容を書きたいと、至らぬながらも力を尽くして来たつもりです。

その立場からすると、あれはちょっとひどい。

アショーカ王は、確かに画期的な王様だし、偉いと思う。

やること(戦争と征服)はやってしまっても、懺悔をしないより、した方がはるかにマシだし、とにかく、人に物に動物にと、様々に尽くした行動は、わざわざ石碑に遺すまでもなく、記念碑的だとさえ言える。

しかし、あの文章は、もう少し何とかなりませんか?

あれでは、子供がまともに読めないし、学習が嫌いな根気のない者が見たら、投げてしまいますよ(私は自分がそうだったからよくわかるんです)。

通読した時には、いい加減にしたけど、やっぱり、まともに読むとなると、もう、どうにもならない。

(下記にもある通り)偉い学者さんが、各国語に翻訳して広めたいと頑張っていたんでしょう?

しかし、あの文章をまともに読んで、本当に何とも思わなかったんですか?

崇高で立派な理念が含まれているから、広く読んでもらいたいんでしょう?

だったら、せめて意訳するなり、簡にして要を尽くした、別の要約文書を添えるべきです。

残念なことに、肉体人間には寿命があり、この世にいる時間が限られているんですよ。

無駄なことに時間を費やすべきではないんです。

内容が大事で、遊興事じゃないんだから。

あえて言わせてもらえば、博学云々なんてどうでもいいんです。

エスが何と言った、お釈迦さんが何と言った、お弟子さん達がどこで何をしたかさえどうでもいい。

小難しい仏教の用語、理論、理屈・・・。

やりたい人は、どうぞ、高尚な趣味として、遺憾なく楽しんで下さい。

どうでもいいんだ、もう。

そんな幅広い知識が、いかに広く深くとも、実際の想いと行いに反映されなければ、活かされなければ、絵にかいた餅で、何にもならなくなってしまうからです。

残念ながら、あそこに書いてあることは、理想にも見える。

すべての宗教を互いに尊重し合い、かつ、それが深まって、一つの理想的な形に融合していくかのようなことは、まずあり得ないと思います。

そもそも、他宗を排斥しない宗教が今までどれだけあったのでしょうか。

現に、仏教は、13 世紀に本国インドでイスラム教という他宗教に実質的に滅ぼされた。

まるで掃討のような形で。

そういうことをする宗教=イスラム教が他に厳然としてあるんですよ。

だから、仏教徒はあんな無惨な目に遭(あ)った。

ただし、無抵抗という意味では、他とは異なり寛容であることを証明した形にはなりましたが。

仏教それ自体でさえも、世の中の流れから、修行生活による霊性の開発が難しくなり、考え方も分かれて、宗派が様々に分かれている。

だから、お釈迦さんの考え方や生き方を参考に、私達が生きていくよりどころとしていくためには、わかりやすいこと、短く、簡潔なことは不可欠だと思うのですよ。

従って、長いもの、わかりにくいもの、は適当だとは考えられないんですよ。

もちろん、想いや行いができていれば、その上で、宗教的な知識や説話や参考になる話はいくら知っていても、構わないと思いますけど。

で。

具体的にいきます。

訳の問題だか、何だかわかりませんが、もう少し、明快にわかりやすく、かつ、すっきりとした文章というか、文体にはできなかったのでしょうか。

お世辞にも読みやすい文章とは思えないし、冗長である上に、何が書いてあるのかきわめてわかりにくい。

わかりませんよ。

もう、本当に、勘弁して下さいという文章です。

まず、のっけから、崇敬、崇敬、崇敬と 3 回も不必要に重複しているように見える。

施与によって崇敬する?

崇敬をもって崇敬する?

何言ってんだか、訳わからないよ。

勘弁してほしい。

せめて、逐条解釈のように、中村さんに解説してもらわないと、理解できませんよ。

すべての宗派の本質の増大は多種の方法によって起こるって何ですか?

さらに。

その根本となるものは、言語をつつしむこと、すなわち不適当の機会において専ら自己の宗派を賞揚し、または他の宗派を非難してはならぬこと、或(ある)いはそれぞれの機会において温和なるべきことであるって・・・。

宗教の宗派の本質を増大するだとか、施与によって崇敬するだとか、意味不明とまでは言わないが、あまりにもわかりにくすぎます。

元のインド語では、もしかしたら、もっとすっきりして明解な文章だったのかもしれない。

しかし、あれでは・・・。

中村さんも、下記にあるように、きわめて高い評価をしているのだから、あのわかりにくく、漫然とした文章には、明らかに手を加えるか、もっとわかりやすい解説をつけるべきでした。

非常に残念です。

次です。

ー 現代における意義 ー

(A) また、これは今から 2300 年も前に説かれた教え、思想ではありますが、ある意味で非常に現代的な意味をもっていると思います。

今後、世界が一つになり、人々が協力しあって生きていかなければならない、その時に、宗教が違うといって争ったり、あるいは、イデオロギーが違うといって争っていたのでは、世界の平和は永遠にきません。

この点で、哲学者の中に注目すべき人がいます。国際哲学学会の名誉会長であるクリバンスキーという人は、ユネスコの援助を得て、アショーカ王詔勅文を世界中の言語に翻訳する努力をしています。

つまり、いろんな学者に頼んでアショーカ王詔勅文を十数ヵ国語に翻訳しているのです。このことは、今までの世界の支配者、帝王の中で、将来人類の必要とする寛容の精神を具現しているという点において、アショーカ王に及ぶ人はいない、これをこそ生かすべきであるという考えからでした。そこで、ユネスコの当局者の協力を得たのです。

これは、アショーカ帝国の国際的性格と表裏の関係にあります。すなわち、アショーカ王の当時にも、やはり、国際的に、あちらこちらに詔勅を徹底させる必要があったのです。

ことに、アショーカ王は、ヘレニズム世界に使者を送っています。その証拠として、先に触れた、最近アフガニスタンで見つかった、ギリシャ語とアラメア語で書かれたアショーカ王詔勅文があります。それ以前までに見つかっていたのは、インドの言語で書かれたものだけでした。ところが、このギリシャ語とアラメア語の二つの言語で書かれた詔勅文の破片が見つかったのです。

ということは、当時の国際語であったギリシャ語とアラメア語を使って、アショーカ王は自らの理想を広めようとしていたことがわかるのです。そこには、それぞれの国にもいろんな事情があるかもしれないが、高い法の下(もと)に一つになろうではないか、という呼び掛けが書いてありました。

アショーカ王の時代には、うまくいかなかったのかもしれませんが、こうした試みがなされて、うまく成功するかどうかは今後の問題です。これは、是非、実現されねばならないことでしょう。

(B) なし。

以上で、
Ⅱ 人生の指針 の
第二部 後世における発展 の
第六章 アショーカ王のことばー「岩石詔勅」 までを終わります。

次回、息抜きをはさんだ後は、
第七章 ギリシャ思想との対決 ー 「ミリンダ王の問い」 からになります。

~~~~~

・温容~おんよう~おだやかでやさしい顔つき・ようす。温顔。
(用例)師の温容に接する。

・施与~せよ~人に品物を恵み与えること。また、その品物。

・崇敬~すうけい~あがめうやまうこと。
(用例)崇敬の念。

・宗派~しゅうは~①同じ宗教の中での分派。
②流派。流儀。

・賞揚~しょうよう~ほめたたえること。ほめあげること。
(用例)善行を賞揚する。

・温和~おんわ~①性質がやさしくおとなしいさま。
(用例)温和な人柄。
②暑さ・寒さが厳しくなく気候のおだやかなさま。
(用例)温和な気候。
(参考)
・温良~おんりょう~人柄などがおだやかで素直なさま。
(用例)温良な性質。

・願わくは~願うことには。どうか。願わくば。
(用例)願わくはお許し頂きたい。
(語源)文語動詞「ねがふ」のク語法+係助詞「は」

・敬信~字引載っておらず。

・和合~わごう~仲良くすること。
(用例)夫婦和合。

・博学~はくがく~広く学問に通じていること。また、そのさま。
(用例)博学多識。博学な人。

・苑~えん~①その。草木を植えた庭。
(用例)御苑(ぎょえん)。禁宛。廃宛。
②囲いを設け、鳥獣を飼う所。
(用例)鹿宛(ろくえん)。
③物事の集まる所。文学者・芸術家の仲間・社会。
(用例)芸宛。文宛。

・部局~ぶきょく~①官公庁や会社などで、事務を分担してそれぞれ取り扱う所。局・部・課などの総称。
②一部分。局部。

・なかれし~字引載っておらず。

・戯れ言~ざれごと~ふざけて言う言葉。冗談。
(参考)・戯れ事~ざれごと~ふざけてする事柄。冗談事。

・懺悔~ざんげ~自分の過去の罪悪を悔い改め、神仏や人に告白すること。
(参考)仏教では「さんげ」と言う。

・遊興~ゆうきょう~遊び楽しみこと。特に、酒色に興じること。
(用例)遊興費。遊興にふける。

・掃討~そうとう~敵や賊などをすっかり打ち払うこと。すっかり払い除くこと。
(用例)掃討作戦。

~~~~~

追伸

あんなに散々文句ばかり言って、じゃあ、それならお前はどう解釈するんだ? ときかれた時のために、拙(つたな)いながらも、自分の理解し得た範囲であの文章を翻訳というか、意訳しておきます。

〈意訳文〉

一国を治める君主または王としてあるべき者は、仏教などの人の道を求める出家信者と在家信者を、可能な限り援助して、尊重すべきである。

私(アショーカ王)としては、これ以上の人としての道を求める宗教信者(信仰者)への援助はないと考えている。

すべての道を求める宗教信者は、様々な方法によってその勢力拡大をはかるが、その基本姿勢は以下のようにあるべきである。

①他宗を批判し、責め裁くような言動は厳に慎むこと。

②自らの宗教の自画自賛をして、高慢にならないようにすること。

③各宗教の話し合いや交流には、つとめて温和な態度を貫くこと。

以上によってこそ、それぞれの宗教は互いに自らを高く評価できるであろう。

そうすることが、それぞれの宗教の教えの拡大や発展にも寄与し、さらには互いに影響し合い発展することにもなるであろう。

また、自らの宗教を熱心に信奉するのはよいが、そのあまり、他の宗教を批判し、責め裁き、排斥することは、自らの宗教をかえって損なうことになると強く自覚すべきである。

それぞれの宗教をあがめるすべての人々が、一致して、しかも調和することが望ましいことであり、善なのであるから、私(アショーカ王)は、それぞれの宗教の便宜をはかり、各種の地位や身分の保証制度を設けて、整えているのである。

こうしたことこそが、それぞれの宗教が栄え、法となる人の正しい生き方を求める宗教のあり方が、輝く道であるのだ。

私が、あのわかりにくい文章を、勝手に意訳して、改竄すると、大体、以上のようになります。

お見苦しい文章で、大変失礼致しました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

追記: 2024/04/21 15:43
〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。

267_原仏17ー6

前回 ( 266_原仏17ー5 - おぶなより ) の続きです。

Ⅱ 人生の指針 の
第二部 後世における発展 の
第六章 アショーカ王のことば ー 「岩石詔勅」の
アショーカ王のことば です。

なお、便宜上、本でなされている内容及び解説を (A) として、私の文を (B) と記します(段落分けなどの改変あり)。
また、内容は本の小見出しに従って、見ていく形にします。

ー 遍(あまね)きものへの慈悲 ー

(A) (一部、改変・省略・訂正あり。以下、すべて同様)やがて、人々のための病院のみならず、家畜のための病院がつくられ、さらに薬草を栽培するようになりました。

これらのことが「岩石詔勅」第 二 章に説かれています。

(B) こんな昔に家畜のためとはいえ、動物の病院をつくるとは驚きです。すごい福利厚生です。

続きです。

神々に愛せられた温容ある王の
領土のうちでは至るところに、
またチョーダ人、パンディヤ人、サーティヤプタ王、ケーララプタ王、タンバパンニに至るまで、
アンティヤカと称せられるヨーナ王、
およびそのアンティヤカ王に隣接している他の諸王の国内の至るところに、
神々に愛せられた温容ある王の二種の療病院が建てられた。
すなわち、人々のための療病院と家畜のための療病院とである。

(A) チョーダ人、パンディヤ人、サーティヤプタ王、ケーララプタ王、これらはみんな南インドの氏族か、王の名前であり、厳密な意味ではアショーカ王の領土には入っていなかったようですが、アショーカ王の支配の影響は受けていました。

二種の療病院がこのように制度かしてつくられたことは、人類史上、画期的なことです。

西洋では、社会的な意味をもつ奉仕的な病院がつくられたといわれていますが、その起こりは非常に遅く、5 世紀頃に、西洋のキリスト教教会の付属物として、人々のためにつくられました。

しかし、それ以前にはなかったと西洋の学者は書いています。

これは、キリスト教以前のギリシャ・ローマ社会は奴隷経済制で、奴隷が病気になっても、看病するなどということはなかったからです。

そうした時代に、インドにおいては、アショーカ王が病院をつくり、広く人々をはじめとして病気治療を確立しようとしたのです。おそらく、人類の歴史においては最初ではないかと思います。

あるいは、貴族のための治療施設はあったかもしれませんが、いかなる人々に対しても慈悲を及ぼすという精神で病院がつくられたのは、アショーカ王が最初であると思います。

この、人間のみならず家畜のための病院は、その後インドでは伝統として続いています。つまり、中国から法顕三蔵や玄奘三蔵がインドへ行った時の旅行記に、それ(人々のみならず獣の病院があったこと)が記してあるのです。

今日でも、獣のための病院があります。例えば、霊場であるリシケーシには、役に立たなくなった牛を収用する病院があります。また、デリー中央にレッド・フォート(赤い城)がありますが、その正面にジャイナ教の寺院であるレッド・テンプル(赤い寺)があり、その中には小鳥の病院があるのです。これらの例を見てもわかるように、アショーカ王以来の伝統なのです。

(B) なし。

続きです。

そうして、人々に効(ききめ)があり、獣に効があるいかなる薬草もすべて、それの存在しないところは、どこであろうとも、そこへそれらを輸送し栽培させた。また路の傍らには井戸を掘らせ、樹木を植えさせた。ーそれは家畜や人々が愛用するためである。

(以上、岩石詔勅 第 二 章)

(A) この精神が、わが国では聖徳太子以来、実現されています。

特に、インドは日本よりも土地が荒れているため樹木が少ないのです。だから、樹木を植えさせることが、よけいに意味を持つのです。

(B) なし。

~~~~~

・温容~おんよう~おだやかでやさしい顔つき・ようす。温顔。
(用例)師の温容に接する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

①追記: 2021/02/07 11:23
②追記: 2024/04/21 15:25
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。

266_原仏17ー5

前回 ( 265_原仏17ー4 - おぶなより ) の続きです。

Ⅱ 人生の指針 の
第二部 後世における発展 の
第六章 アショーカ王のことば ー 「岩石詔勅」の
アショーカ王のことば  です。

なお、便宜上、本でなされている内容及び解説を(A) として、私の文を (B) と記します(段落分けなどの改変あり)。また、内容は本の小見出しに従って、見ていく形にします。

ー 法による勝利 ー

(A) (一部、改変・省略・訂正あり。以下、すべて同様)そこ(アショーカ王がカリンガ国を征服したことにより結果として多数の人間を殺傷、隷属させるなどして不幸をもたらしてしまったことを深く悔いたこと)から彼は仏教の信仰に入っていきました。

(B) なし。

続きです。

そこで、
たとい他人がわれに害を加えることがあろうとも、
神々に愛せられたる王にとって忍ぶべきものと考えられるもので
忍び得るものは、
すべてこれを忍ぶべきである。

(A) 忍ぶということを、この帝王は実践しました。

(B) なし。というか、これだけでは漠然としすぎて内容がサッパリわかりません。

続きです。

故に
神々に愛せられたる王の領土の中に存する林住種族すら、
この王はこれを愛撫し反省せしめる。
しかもかれがみずから愧(は)じ、
さらに刑殺せられないようにするために、
たとい神々に愛せられたる王の悔恨をきたそうとも、
なおこの王の有する権力について彼らに知らせる。
何となれば神々に愛せられたる王は、
一切の生きとし生けるものに対して、
障害をなさず、克己(こっき)あり、
心が平静で柔和なることを願うからである。

(A) 林住民族は、特殊な少数民族です。だから、彼らに配慮するという訳です。
少数民族の中には、色々と紛争を起こしたり、反抗したり、攻めてきたり、と平和を乱す者がいますが、彼らについても出来る限りは罰することのないようにしたい、というのです。

ここに、人間の持つべき基本的な徳としての「障害をなさず」「克己あり(自分を自ら制する)」「心が平静(カッとしない)で柔和なること」をあげています。

これは個人の生活においても尊ぶべきことですが、それを統治(政治)の場面でも実現させたい、というのがアショーカ王の悲願でした。

(B) なし。人格者として対峙するのも結構ですが、祈りがないと、いずれは対処に限界が出ます。

限界が来ないに越したことはありませんけどね。

そう感じますね。

続きです。

さて神々に愛せられたる王が思うに、
法による勝利なるものこそ
最上の勝利であると考えられる。
そうしてこの勝利は、
ここ、
すなわち神々に愛せられたる王の領土においても、
また六百ヨージャナに至るまでのすべての辺境の人々の間においても
ー そこにはアンティヨーガという名のヨーナ人の王がいる。
さらにそのアンティヨーガ王を越えたところにトウラマヤ王とアンテーキナ王とマカー王とアリキャシュダラ王という四人の王がいる。
南方にはチョーダ人たちとパンディヤ人たちとがいて、タンバパンニ人に至るまで、そのように法による勝利を得ている。

(A) ヨージャナは、古代インドの里程で、軍隊の 1 日の行程です。現在の十数キロにあたります。

また、色々と王の名前が出ていますが、アンティヨーガをギリシャ名でいうと、アンティオコス、トウラマヤはプトレマイオス、アリキャシュダラはアレキサンドロスです。

タンバパンニ人は、今日のスリランカに住んでいた人達のことです。

法による勝利なるものこそ最上の勝利とは、武力による勝利ではなく、人間の本当の道筋を実現すること、それが法による勝利であり、これが最も大切だと(アショーカ)王は考えました。

(B) なし。法による勝利は、神様の愛を遍万させることと比べてどのような位置付けになるんですかね。

続きです。

ここアショーカ王の領土においても、
ヨーナ人、カンボージャ人の間においても、
ナーバカ人、ナーババンティ人の間においても、
ボージャ人、ピティニキヤ人の間においても、
アンドラ人、パーリンダ人の間においても、
至るところ、神々に愛せられたる王アショーカの法の教誡に従いつつある。
さらに、
神々に愛せられたる王アショーカの使節の未だ赴かないところにあっても、
人々は、神々に愛せられたる王の法の実行と規定と法の教えを聞いて法に随順しつつあり、
また将来にも法に随順するであろう。

(A) カンボージャ人は、パキスタンからアフガニスタンに住んでいた人達、アンドラ人は南インドの中央に住んでいた人達をそれぞれ指しています。

頻繁に出ている法は、インドにいうダルマです。仏法という時の法で、人間の守るべきところの道筋、理法です。これは、道徳とも訳せますし、宗教をも意味し得るのです。

インド並びにその周辺諸国では、西洋のリリジョンに相当する言葉がありません。そのため西洋文明を採り入れた時には、宗教をダルマと表現します。

例えば、キリスト教をクリスティ・ダルマと呼んでいるように、です。

これはいかなる場所でも、いかなる人でも、守るべきところの道筋です。特殊な宗教に偏(かたよ)って、その宗教の人以外においては、信じられないようなことを強制するものであってはならないことは当然として、本当の人間の理(ことわり)(理法)は、遍(あまね)きものであるのです。

従って、民族の垣根を超えてギリシャ人の間でさえも実現すべきものである、と彼(アショーカ王)は考えていたのです。

(B) なし。というか、神様の愛しかないんじゃないですか。

続きです。

このようなことによって得られた勝利は、全面的な勝利である。
そうして全面的な勝利は喜びの感情をひき起こす。
いまや法による勝利において喜びが得られたのである。
しかしその喜びも実は軽いものにすぎない。
彼岸に関することこそ大いなる果報をもたらすものである、
と神々に愛せられたる王は考える。

(A) 正しい行いを実現することにより、必ず良い結果が得られる。それは現世に実現されることもあれば、さらに目に見えないところに働きを及ぼすこともある。それを彼(アショーカ王)は、彼岸に関する大いなる勝利と呼んでいるのです。

(B) なし。というか、敗北、正しい結果が得られなかったら、どうしていくのでしょうか。

中村さんは、一言も触れられていませんけど。

続きです。

そうしてこの法の詔勅は、
このような目的のために、
すなわち、
願わくはわれの諸皇子や諸皇孫が新たな勝利を得なければならないと考えることのないように、
と願って、
またたとい勝利が自然に得られるとしても忍容と刑罰の軽いことを喜ぶように、と願って、
さらに法による勝利なるもののみが真の勝利であると考えるように、
と願って、刻せられたのである。

(A) すなわち、後の帝王達が、戦争をして領土を獲得しようとなどと思わないように、そして、ひとりでに他の国がなついてくるのが望ましいが、その場合でも、支配者が苦難に堪え忍び、刑罰を軽くするように、と願ったのです。

仏教の広がったところには、刑罰を軽くする傾向が見られます。

自分が岩石に刻ませるこの文字は、この精神が後々まで伝えられて実現されるように願っている、というのです。

(B) なし。というか、岩盤に刻んで遺(のこ)す。

形あるものとして残したい気持ちもやまやまでしょうが、お釈迦さんのような素晴らしい行いによって、人々の間にその存在を残す、という昇華の道もあったかもしれませんね。

続きです。

この法による勝利は、
この世に関する果報をもたらし、
またかなたの世に関する果報をもたらすのである。
ひとの愛し楽しむことは、
法に対する愛楽であれかし。
それは実にこの世に関する果報をもたらし、
またかの世に関する果報をもたらすものであるからである。

(以上、岩石詔勅 第 十三 章)

(A) 非常に宗教的な真情がここに表明されています。こうした崇高な真情から具体的に人々を慈しむ、人々のみならず、生きとし生けるものに愛情を及ぼす、という政策が実行されるようになりました。

(B) なし。

その愛情や慈しみの精神から、人々のための病院その他と続いて行きますが、ここで区切ります。

~~~~~

・隷属~れいぞく~他の支配下にあって相手の意のままになること。従属。
(用例)大国に隷属する。

・実効~じっこう~実際の効力。効き目。
(用例)実効をあげる。

・帝王~ていおう~①君主国の元首。皇帝。
②(比喩的に)ある部分や世界で、絶対的な力をもって支配するもの。
(用例)音楽界の帝王。

帝王学~ていおうがく~君主など、人の上に立つ者が身につけるべき教養・見識・タイトなどの修養。

・帝王神権説~ていおうしんけんせつ~帝王の権力は国民によるのではなく神から与えられたものであるという学説。王権神授説。

帝王切開~ていおうせっかい~自然な出産が困難なとき、妊婦の腹壁および子宮壁を切開して胎児を取り出す手術。

・林住~字引載っておらず。

・愛撫~あいぶ~なでさすってかわいがること。また、なでさするようにしてかわいがること。
(用例)やさしく愛撫する。

・克己~こっき~自分の欲望や怠け心に打ち勝つこと。
(用例)克己心が強い。克己復礼(=自制して礼儀を守ること)。

・柔和~にゅうわ~性質や表情がやさしくおだやかなこと。また、そのさま。
(用例)柔和な顔つき。

・悲願~ひがん~①ぜひとも成し遂げたいと思っている願い。悲壮な願い。
(用例)悲願を達成する。
②(仏教語)仏が衆生を救おうとして立てた誓願。慈悲の本願。
(用例)弥陀の悲願。
ここでは、①の意。

・彼岸~ひがん~①(仏教語)(彼(か)の岸の意)煩悩を超越した悟りの境地。涅槃。←→此岸(しがん)。
春分秋分の日を中日(ちゅうにち)とする前後七日間。
(用例)暑さ寒さも彼岸まで。
③彼岸会(ひがんえ)の略。
ここでは、①の意。

・感化~かんか~相手に影響を与え、考えや行いを変えさせること。
(用例)友人に感化される。

・感化院~かんかいん~教護院(きょうごいん)(現在は児童自立支援施設)の旧称。

・里程~りてい~道のり。里数。

・教誡~きょうかい~教戒のこと。

・教戒~きょうかい~教え戒めること。

・随順~ずいじゅん~相手の言うことに逆らわずに従うこと。
(用例)命令に随順する。

・普く・遍く~あまねく~及ばぬところなく。広い範囲に。くまなく。
(用例)あまねく知れ渡る。

自然法~しぜんほう~①(哲学語)自然界を支配するとみられる人為的でない法則。
②人間の本性に基づいて時代の新旧・場所(国)の違いを問わずに存立する普遍的な法。←→実定法。
ここでは、②の意。

・忍容~字引載っておらず。

・果報~①(仏教語)前世での行いによって受ける現世での報い。
②幸せ。幸運。
(用例)果報者。
ここでは、①と②、ともに使われている。

・愛楽~字引載っておらず。

・有れかし~あれかし~願望する事柄の成就を望む気持ちを表す。あってほしいものだ。
(用例)かくあれかしと祈る。
(語源)文語ヲ変動詞「あり」の命令形「あれ」に、念を押し意味を強める終助詞「かし」のついたもの。

・真情~しんじょう~①真心。いつわりのない心。
(用例)真情を吐露する。
②実際の状態。実情。
(用例)真情を知る。
ここでは、①の意。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

①追記: 2021/02/07 05:50
②追記: 2024/04/21 15:15
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。