予言は嫌いである。
明るく希望に満ちたものなら、大歓迎だけど。
というのは、時代状況、殊に今の時代状況を考えたら、悪い予言は有害な面が大きいからだ。
悪い予言は成就させてはならず、そのためにこそ本当の宗教信仰があるとさえ思っている。
予言とは違うが、在野は広いもので、唯物論ながらも、すこぶる頭脳明晰な人がいて、鋭利な分析をしていた。(*)
しかし、彼らの優秀さには敬服しながらも、大きな矛盾を感じずにはいられなかった。
彼らの分析は、迫真ゆえに内容があまりにも厳しく、とても希望など見い出せなかったからだ。
絶望感に打ちひしがれる中で、一体どうすればいいと言うのか・・・。
私には、どうしようもない厭世感しか感じられなかった(彼らの先、宗教まで範囲を広げると更に深刻になるが)。
絶望から始めよったって、理詰めで考えたら、それこそ、ペンペン草も生えそうもないのである。
彼らに限らず、神様を否定する唯物論者は大勢いるだろう。
神様を信じていても、祈りを明確につかんでいなかったり、唯物論者と大差なく裁きまくる人も多いと思われる。
だが、唯物論にこだわって対抗しようとする限り(つまり、悪を認める限り)、残念ながら物理的にも念力的にもまったく敵(かな)わないだろう。
経済的にも、物理的にも圧倒的優位にあり、知恵も幾世代にわたって長期的で、とても尋常とは思えないからだ。
唯物論でさえ、突き詰めた厳しい見方が提示され、不安を抱き恐怖に苛(さいな)まれるのだ。
飛び道工よろしく、これを更に超えた霊感の予言で、なおさら暗い気分を抱かせることなど、頂けないに決まっているのである。
現実的にさしたる希望の持てる処方箋を微塵も示せず、結果的に、聞いたり、読んだりした人を脅すことにしかならないような予言をしてはならないことが、なぜわからないのだろうか。
ただただ、陰ながら、黙しながら、世を少しでも良くするための努力をするしかないのである。
特別な力を授かっているなら、それは良い方に使ってもらいたいのだ。
人々の想念を乱すことは、社会の混乱の種を蒔くことに他ならないのだから( 想念 → 行為 → 行為の集積と総和 → 世の流れ、となるから)。
よく読むと、神頼みをしていない先の唯物論者である彼らでさえ、最後にはきっとお天道様=神様が、味方してくれる、救ってくれる、と無意識で思っている節(ふし)が感じられた。
彼らが、単に冷徹で精緻な分析をするためだけ、分析力自慢のためだけ、自己満足のためだけ、悪魔的存在に対する許せない感情だけ、あるいは、ヤケクソの人類の滅亡を願って発信し続けたとは、どうしても読み取れなかったのである。
明言こそしていないが、いつかどこかで状況の反転があり、必ず希望の地平にたどり着ける、と思っている節が感じられたのだ。
その中で、自らの投じた一石が、何らかの影響を及ぼすことができれば、望外の喜びになると考えていたのだろう。
つまり、彼らは彼らなりに、皆の共生の世を、良くしたいと強く願っている、と感じたのだ。
ただ、そのやり方に、どれ程の効果があるかについてだけは、ほとんど自省、分析がなされていないように見えた。
そこが、とても残念だった。
私は、彼らがそこから唯物論を振り捨てて、霊性の開発に進んでほしいと思っていたからだ。
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(*)私の理解力及び読解力不足のためだが、それにしても、彼らの文章は読みにくいことが多かった。
文章量が特に多いという訳ではない(むしろ、少な目で、表現も短めだった)のだが、彼らが切れ者過ぎるためか、とにかく、取っつきにくかったり、(私から見ると)論理の飛躍があったり、仄(ほの)めかしてお茶を濁して終わらせたり、と読むのに四苦八苦することも、しばしばだった。
な?わかるだろ?ってな感じで書かれても、こっちは読み取れないんだよ。
アンタたちみたいに、思考回路が明晰、優秀じゃないから、理解が追い付かないんだよ。
ワカラナイ!
手取り足取り教えろ、とまでは言わない。
夏目漱石張りの、素晴らしく明瞭明快な文章を書いてくれ、とまでも言わない。
だが、せめてもう少し噛み砕いて、わかりやすくしてくれよ、としばしば思わされたことは確かだ。
これは市販の書物にもまた違った形で言える傾向だと思う(通信料はかかるが、何せ彼らのように基本無料で読ませてくれた力作とは異なり、結構なお値段のする、それなりの大層なご本(鬼塚さんの本など)です。少し位文句を言わせてもらわないと、とても割に合いませんよ)。
博識であるのみならず、文章も流れもスッキリしていて、読みやすかったのは、太田竜さんくらいかな。
太田竜さんは、お若い頃はバリバリだった?ようだけど、晩年のお写真を拝見すると、上品な大学教授という感じですね(追及が厳しいので、失礼ながらもっとデップりと太って脂ぎったギトギトのご仁を想像してました。反して、お写真は、そこはかとなく教養を感じさせる、知性的で上品な佇(たたず)まいに見えました。独学でも並みいる大学教授も敵わないであろう、真剣な研鑽を積むとああなるのかなと思いましたけど)。
あとの人は、二、三例を挙げると、鬼塚英昭さんとか、高橋五郎さんとかも、相当に読みにくい。
正直、かなり参った。
自分の熱意と能力不足を割引いても、もう少し書き方を工夫して下さいよ、と思わずにはいられなかった。
まず、鬼塚さん。
内容の読み取りにくさの割に、分量が半端でない大著である上に、要旨がつかみ難い。
大事なことが書いてあっても、配置が悪いので、下手をすると読み落としかねない場合がある。
内容の性質上、明瞭に書くのを憚(はばか)られたのかもしれないが、あまりにも余分に引きずり回されるのが長いと、集中力が欠けてしまうのだ。
もう一つ。
ある著書で鬼塚さんはかなり宗教的な内容に言及していたのに、田中角栄さん批判の本では、唯物批判一辺倒。
ヨイショ本とは違う、と鬼塚さんは書いていたが、それにしても内容が偏り過ぎに感じられ、今までの他著での重厚な論調や、ある著書での宗教への造詣の深さが活かされていないようで、非常に残念だった。
あれだけ田中さんのみを単なる守銭奴として一方的に、しかも平面的に叩きまくるということは、逆に言えば、すべての田中さん以外の者を暗に持ち上げることを意味する、ととられても仕方ないのではないか。
まして、今のこの時代に・・・。
鬼塚さんほどの人が、これしきのことがわからないはずがない。
鬼塚さんの過去の鋭い他の詰問調の著作と比べても何か重厚さが足りず、大変失礼ながら軽い印象を持ってしまった。
あの書を見る限り、戦争の最前線から戻りそして這(は)い上がった、田中さんの言外には決して出さない気持ちを、推測する欠片(かけら)も感じられない。
向こう(中国)の要人には腹の底ではバカにされ、田中さんは何も深く考えない、ただの守銭奴としか、読み取れなかったのである。
もちろん、田中さんは歴史認識に多少甘いところはあるし、原発の初期導入にも関わっているし、自然を克服すべき対象として軽視したきらいはある。
それでも・・・。
鬼塚さん、本当にそれでいいのですか?という感想を持った。
次、高橋さん。
文脈の入り方や展開が唐突で、内容が突然飛んで流れを追いにくい。
個々の文体にも変わった書き方を用い、ガタツキや揺れがあるため、意味内容がこれまた鬼塚さんと違った意味でつかみ難い。
頭のいい人なら、また始まったか、ま、対して深淵もないからこう読み取るんだな、とスイスイとわかるだろうが、私のような鈍才には読みにくくてどうしようもない。
やっと、少し流れが出てきたかな、と思うとすぐに話が飛んだり、わかりにくい表現が思わせ振りに断定調で出てきたりする。
一体、どうしたらこんなまどろっこしい、ジグザグな書き方ができるのか?
これが趣味なのか、それとも逼迫(ひっぱく)した事情でもあって、内容をボカした書き方を余儀なくされているのかは知らないが、とにかく、読みにくく内容を整理しにくくて、どうしようもなかったのである。
といった風で、結構閉口させられた(正直、未だに内容がわからないところがいくつもある)。
もしかしたら、別の意図があったのかも知れないが、やはり、わかりやすいに越したことはないのではないか(鬼塚さんの最近の著作は、ズバズバと言い切り口調になり、それまでとは趣が変わったように感じた。それなりの事情があったのかもしれない)。
残念ながら、私はトロいタイプに生まれついてしまったので、訳のわからない横文字を使ったり、難解な語句を引っ張り出されるのさえ、嫌なんですよ。
まあ、著作を発表する思惑や都合は、人それぞれだろうし、ある意味で仕方のないことかもしれないが、動機の中に少しでも純粋なものがあるなら、それに呼応する読者はそれなりにいるはずです。
真実が知りたい(近づきたい)、意味不明の建前論はイヤだ、etc・・・。
かりそめにも伝達をする以上は、内容の難易度の如何にかかわらず、万人共通に理解しやすい表現をしてもらいたいのです。
伝えたい、伝えるんだ、の初心に謙虚になれば、自ずと方法は絞られてくるし、整ってくるはずです。
回りくどい書き方や、変わった表現方法に凝るような、理に適わないことも、自然に減ってくるでしょう。
何も金太郎飴になれ、という訳ではないのです。
ある程度、わかりやすさが整理されても、各人に与えられた個性は必ず残り、自ずと文体に反映されていくはずですから。
バッハさんのような気持ち???で取り組めば、あとは神様が良しなにとり計らって下さるのではないでしょうか。
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①追記: 2024/03/20 06:12
②追記: 2024/03/20 07:18
③追記: 2024/03/29 03:31
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。