( 039_またか - おぶなより ) で、X さん(あまり見目麗しくない女性)に天賦のものを活かしなよ、と書いたので、ついでに書き足します。
女性の中には、媚(こ)びる声と言ったら言い過ぎかもしれませんが、可愛らしい声を出す人、いかにも優しくしてあげたいような声を出す人がいますね、たまに。
私はあれを聞くと、もっと演出の角を取り、自然な話し方をすればいいのになあ、と思うんですよ。
どういう経緯(*1)で、彼女達があのような話し方を身につけたかは、わかりません。
人それぞれで、幼少期から成長過程までの現世だけでも、おそらく、それなりの理由があったものとは思います。
例えば、とある中高年とおぼしき女性の場合。
彼女の外見からすると、おそらくもっと若かりし時は、可憐で清楚を絵に描いたような、日本的なうりざね顔で小顔の美人だったんだろうな、と思います。
ただ、残念なことに、多少その全体的なバランスが崩れてきている。
あの話し方は、若い時は若気のいたりというか、ある面では仕方なかったのかもしれない。
若いから、まあ、ご愛嬌で仕方ないか、と。
しかし、その期間が過ぎても、まだその話し方をしているのは、ちょっとまずいのではないですか、と。
更に大きくバランスが崩れると、最近いうところの、いわゆる、痛い感じになりかねないのではないですか、と。(*2)
余計なお世話よ!と怒られることはわかっています。
ただ、女性には本来備わった天性の魅力がある。
外面ばかりにとらわれ、過度な演出をしていると、いつかは釣り合いが取れない時がやってくるはずです。
内面から磨いて、魂が喜ぶような生活をしていれば、自然に外面にも反映されてきて、誰からも好感を持たれる、自然な美しさがにじみ出るようになってきますよ。
ある女性性愛セラピスト(*3)(*4)さんによると、心身ともに充実した夫婦生活を営んでいる場合、人によってはだんだんと若返ってくることすらあるらしい。
私としては、世界平和の祈り一念の生活による霊性の開発をお願いしたいところですが、各人の因縁も千差万別ですから、そう簡単にはいかないでしょう。
各人の因縁があるということは、人によっては過去世からの業想念の堆積が凄すぎて?、現世中には、美しくなれない可能性がゼロとは断言できませんので。
が、女性という性別で神様がこの世に送り出されたということは、その本来の魅力を与えてよい、とご判断されたからこそだとは思いますけどね。
なので、この可能性を引き出していない女性には、気づいてもらいたいな、と。
これまでも、折に触れて唯物論のことを書いてきましたが、外面にこだわるのは、まさに唯物論そのものです。
外面を調(ととの)えるな、とはいいません。
今はそれなりにものがありますから、ある程度人様に不快感を与えないように、清潔感さえ基本的に保てば十分だと思います。
神様が外見にそれなりに手間をかける環境をお許しになられているとも考えることができますから、それぞれ各自が置かれた環境の下で、その範囲を逸脱しない程度に楽しむのは問題ないと考えられます。
簡単にいうと、霊性の開発をして、神性を出しましょうよ、霊光がにじみ出るようになりましょうよ、そうすれば、外面、態度、話し方がすべてそれに見合って、ととのってきますから、ということです。
お人によっては、固有の因縁のために、順風満帆(*5)には行かず、紆余曲折(*6)を経るかもしれませんが、基本的に目指す方向性は間違っていないので、来世以降への良き因縁の積み重ねにもなり、無駄にはなりませんから、霊性の開発をお願いしたいのです。
とは言うものの・・・。
まあ、私は赤の他人で、無関係だからこそ、第三者の視点で書きましたけれども、例えば、彼女の家族だったらどうするか、となるとかなり難しい問題に思えますね。
難題です。
自分が身近な者、得に伴侶だったらしたら、どうするかは。
この場合、多分直接は言いませんね。
その話し方をやめなよと諭す(*7)ようにしたり、最悪、一喝して強制的にやめさせようとはしないでしょう。
やはり、あのような話し方をするのは、それなりの深い背景があるように思うんですよ。
過去世の因縁がかかわっているか、あるいは現世の幼少期からの成長過程で醸成(*8)されてきた根深いものがあるのでしょう。
だから、意見や説得、はたまた、一喝では、まず、直せない。
下手にそんなことをしたら、新たな悪い因縁を作ることになってしまうでしょう。
傍らに寄り添った場合には、その話し方には触れず、ひたすら自らの信仰をを深めて、彼女の過去世の因縁なり、成長過程での背景要因が解消していくように、努めていくしかないのかなあ、と思います。
そして、彼女があの話し方を、自ら改める日が来るのを、辛抱強く待つしかないでしょうね。
気長で大変な作業になりますが、これが、最善だろうと思います。
さらに言えば、直すなどと意識せずに、世界平和の祈り一念の生活をしていたら、いつの間にか消え去って、自然な話し方に改まっていた、となれば一番いいんですけどね。
私達は、自己保存の本能を元にした肉体人間観が抜きがたくあるために、どうしても唯物論に振り回されてしまいます。
なので、五感(*9)で、認識できるモノだけを得て、最大化しようとして、表面的に限られた資源を争奪し合うことになるのです。
これと同様に、彼女達は、目に見え、耳に聞こえる、肉体人間にとって最もわかりやすい表現手段の話し方を演出して、特定の雰囲気を作り出すのが、彼女達自身の思惑(*10)に適った、有効なものだと、考えているのでしょう。
肉体とこれにまつわる五感の奥に、
想いの幽体がある、
霊体がある、
神体がある、
そして、
これらを貫く因縁因果の転回法則がある、
本当はこちらが元になっている、
とは考えていないと思われます。
いわば、どんなに深く行っても、現界、幽界、霊界の下層までの、表面的、表層的な対処しかしていない訳で、真の調和まで目指そうとしたら、更に奥からの元の世界から変えていかなければ、永遠のもの足りえないことが、わからない。
なので、般若心経のナイ、ナイ、ナイ、あるいは、五井先生のいう消えてゆく姿になり、永遠と調和が保てない。
もちろん、元から変えることができた場合でも、肉体人間の寿命には限りがありますから、永遠とはいかないでしょうが、周囲の人々の神性にも働きかけ、調和を旨とする自然な話し方こそが、本来、目指すべき話し方だとは、考えていないでしょう。
彼女達がこれができるようになればいいのになあ、と思うんですよ。
そうして、あの話し方を、消えてゆく姿の範疇内での対処改め、神性に基づく対処へと昇華(*11)させる。
そうすれば、ご自身の神性も輝くし、いいことずくめになるはずです。
それにしても・・・。
私達は、通常、自分のことだけで手一杯、信仰によって自らの因縁因果を好転させることすら、ままならないかもしれないのに、伴侶とはいえ、別人格を何とかするのは、大変なはずです。
やはり、深い愛情と誠意がないとなし得ないと思います。
もしかしたら、これが彼女達を愛した者の宿命になるんですね・・・。
こうして考えると、あの話し方を改善させるための最短距離は、自らの信仰を深めて、彼女達を自然に感化させ、最終的には彼女達にも世界平和の祈り一念の生活をしてもらうようになることだと思います。
地味で当たり前の結論になりますが、これが穏当(*12)だと思います。
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(*1)いきさつ~物事がそうなるまでの、細かな事情や経過。
(*2)もっと後になって、明らかにバランスがとりにくくなってきたら、どうされるのでしょうか。
あのまま、ずっと天寿をまっとうするまで、あの話し方を堅持(けんじ~思想や態度などを堅く守って、他と妥協しないこと)されるのでしょうか。
それとも、何か違うあり方を模索されるのでしょうか。
もし、そうなら霊性の開発も視野に入れて頂きたいのですが。
(*3)せいあい~性的な愛情。
(*4)セラピスト~専門の治療家。治療に熟練した人。
(*5)じゅんぷうまんぱん~( (ヨットなどの)帆に順風を一杯に受けて船が進むように)物事が非常に順調である様子。
(*6)うよきょくせつ~物事が込み入っていて、いろいろ変化すること。
(*7)さとす~よくわかるように、言い聞かせる。
(*8)じょうせい~ある雰囲気や気分、状況を徐々につくりだすこと。
(*9)ごかん~肉体を元にした、
視ること=視覚、
聴くこと=聴覚、
嗅ぐこと=嗅覚、
味わうこと=味覚、
触れること=触覚、
の5つの感覚。
(*10)おもわく~未来の出来事に対する、(いくらかの期待の込められた)見込みや予想。なお、思惑は当て字で、思わくが本来の正しい書き方。
(*11)しょうか~不純なものを捨て去り、純粋な状態に高めること。
なお、ここでの昇華の意味合いは、現界、幽界、霊界の下層までで、ぐるぐると回り、消え去る業想念の現れとしてのあの話し方ではなく、霊性の開発によって、神界そのままの光が反映されて現れた話し方に高められることを指します。
(*12)おんとう~穏やかで無理がないこと。また、そのさま。
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①追記: 2022/08/28 04:15
②追記: 2022/08/28 12:07
③追記: 2022/08/28 12:09
④追記: 2022/08/28 12:18
⑤追記: 2024/03/24 22:05
⑥追記: 2024/03/31 06:30
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。
日本人の名字に使われているとはつゆ知らず、ある名字を不適切に用いていたことに気がつきましたので、急遽これを削除して、X に置き換えました。
不勉強で、大変失礼致しました。
申し訳ございません。
お詫びとともに訂正させて頂きます。