おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

126_懐疑

これは、ある人(以下、彼とします)に聞いたちょっと変わった女性観です。

もちろん、かなりの異端な考えかもしれないし、何、わけのわからないこといってるんだ、とお感じになる方は多いと思いますが、せっかくブログを書かせて頂いていることもあるし、忘れてしまわないうちに書いておこうと思います。

女性は、様々な容姿の方がいます。とは言うものの、ご本人は自分の容姿は、良い、間違いなく良い、と心の底、深層では確信している。

そして、恋愛をすることが、かなりの意味合いをもっているようにも見える。男性とお付き合いをし、心も体も求め合い、一体感を味わい至福の時を過ごせると。

そして、この愛する人の子供を残したいと願う。(*)

しかし、本当にそうだろうか?

女性は、自分が中心に世界や地球や宇宙が回っていると、根本的には考えているところがあり、自分の容姿を含めた価値こそが、何よりも最大の関心事であり、男性の存在は、そのための指標(バロメーター)としての位置付けしかないのではないか。

だから、女性は自分のこの価値を試せる、測れると踏んだ男性には、その本当の姿を見せる。

なぜならば、自分の本当の姿こそが、間違いなく魅力的だと確信しているから。

そうすることで、自分の容姿を含めた価値がどの程度のものかを、測りたい、確信したいんですね。

本筋と思われていた恋愛は、実は副次的なものでしかなく、自分の容姿を含めた価値こそが、何よりも大事であり、すべてである、と。

まあ、この考え方は、かなり斜めに構えた捉え方ではあるし、神性の欠片(かけら)もない、唯物論に支配された動物的なものの見方でしかないんですが。

彼に言わせると、恋愛至上主義というのは、実は見せかけのものであって、あくまでも女性自身の、女性本人の価値至上主義が、その実体なのではないか?という懐疑を抱くことがあるというんですよ。

お相手の男性の、容姿を重視するのも、各種のスペックを重視するのも、結局はここにその根本要因が集約されてある、と。

神性からは、お話にならないし、おかしな話ではありますが、こんな考え方をする人もいたということでした。

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(*)ただ、容姿の優れた子供がほしいからと、お相手の男性に優れた容姿を求めるのは、終局的には唯物論ですよ。

愛する人の子が残せるなら、その幸せを願い、人生が少しでも優位に送れるように、という考えもあるのでしょう。

自分に加えて、さらに、子供の幸せを願って。

しかし、愛する人の子供が産めるならいかなる子でもありがたい。

神様から、愛する人の子供として命を預けて頂けたんだ、という考えにまではいたっていません。

せっかく、ご夫婦になられても、残念ながら、子宝に恵まれない方もおられます。

それを思えば、命を授かったということは、いかにありがたいことか。

はかり知れませんからね。

生理、妊娠、出産は、男性には、決して根元的には理解できないことですし、人類の女性としてのお役目も大変なことだと思います。

子育ての分担割合は別にしても、少なくとも、その前に生理をはじめとして大変な思いをする訳ですから、ついつい、苦労して出産したわが子を意のままにしたい、あたかも、占有あるいは所有物のように捉えてしまうことも、致し方のないことかもしれません。

しかし、授かり物という言葉にあるように、命を預かるということは、何物にも変えがたいものですし、貴重そのものです。

まして、人としての生命は、自分で生きているものではなく、神様から(他動的に)生かされているものですから、さらに加えて、わが子として、その大切な命を授かったということは、いかに意義深いかは、想像に難くないはずです。(**)

ですから、霊性の面から見た場合には、子供は神様から命をお預かりしたものとして、大切にしていく心構えが必要になってくるのではないでしょうか。

まあ、親子の縁でも、悲劇が起きるような、深刻な因縁の例もありますから、絶対とは言えないかもしれませんが、基本は命をお預かりする、大事に育てるということになると思います。

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(**)私達は、自分で生きたいと思っていても、寿命が来たら抗(あらが)えないと思います。

なぜならば、心臓も含めた五臓六腑も何もかも、自分の意思で動かしているものとは言えないからです。

心臓よ、動け、と言って、心臓が正確な鼓動を刻んでいるものではないように。

しかも、私達が寝ている間にも間断なく、休みなく生命活動が維持されています。

この力はどこから来るものか、と考えたら、神様しか考えられないんですよ。

ただ、肉体があるだけでは、人間としての生命体たり得ない。肉体に作用する何らかの力があるからこそ、有機的な生命体として、私達は存在することができる、と。

その何らかの力は、神様の分けられたお命=分霊(わけみたま)として、神様が与えて下さっている。

だから、私達は神様に生かされている、と思わざるを得ない訳です。

このように考えてくると、ただ良質な遺伝子(精子)さえ、得られればいい、と考えること、遺伝子さえもらえれば、あとは簡単に離婚しても構わない、綺麗な子が生まれたんだから、と考えることは、どのような意味をもってくるのか。

一考する価値はあるのではないでしょうか。

神様の分霊を本体とする私達は、動物そのものではないのだから。

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・懐疑~かいぎ~疑いをもつこと。

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追記: 2024/04/07 18:07
〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。