おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

138_ポーズ?

妙なものを見つけてしまった。

蛙(かえる)化現象である。

これは、片思い中は相手のことが好きなのに、思いが通じた、両思いになった途端に相手に対して気持ちが冷める現象を言うそうです。

グリム童話の「蛙の王子様」から転用してきているらしい。

自己肯定感云々といろんな難しそうな理屈をつけていましたが、ホントにそうなんですか?

これなら、まだ、唯物論ながらも、女性の容姿を含めた価値史上主義のほうが、はるかにわかりやすいし、スッキリしているんじゃないですか?

つまり。

相手の男性の気持ちが確認できた

=自分の価値の裏付けは取れた

=彼のモノサシとしての役割は終了

=だから、用済みだ、と。

高まっていたかのような恋愛感情は、自分の価値が認められるまでの不安を持ちながらも、期待度からワクワクしていた高揚感がその実体じゃないのですか?

本当に、この人とともに生きたい、喜びも、悲しみも、苦しみも分かち合いたいと思っていたら、冷めるなんて考えられないんだけど。

だって、そこからが、始まり(スタート)なんだから。

開始(スタート)=終了(ゴール)?

不自然じゃないですか、これは?

結婚して、ある程度生活して、だんだんアラが出て、冷めてくるのならわかるんですけど。

自分なんかを好きになる彼を好きだったわけじゃない?

嫌悪感すら湧いてくる?

ずいぶん、ひどいことを言っています。

これは、私の独断と偏見ですが。

私も先の ( 126_懐疑 - おぶなより ) の彼の見方(女性は価値史上主義が実体)のように、彼女は自分なんか、とは思っていないと考えます。

心の深層、つまり、本音では。

一見、卑下して、ご自分を悪者にしてはいますが、そうすることによって・・・。

あれは、世をしのぐためのポーズなのではないか、とすら疑ってしまう。

悪いけど。

女の人は、本音と建前の使い分けが、ものすごく激しいからです。

なかなか、簡単には、本音を出してくれません。

美しい自己申告を鵜呑みにしていたら、その本音は読めないと思います。

女性は、その置かれてきた、歴史的、社会的境遇から致し方ないにしても、用意周到にすさまじく高度で緻密な保身をはかる。

その点では、天才的な賢さを備えているのが女性だ、と思うからです。

男性とは、次元が違うようにすら思えるほどに。

なぜこんなことを取り上げたかというと。

以前、ある婚活男性の話を見たからです。

その男性は、かなり年下の 40 才前後のきれいなエリート女性とめでたく会って、喫茶店で話まではできて、高価な演奏会を見る約束を取り付けたものの、後の反応が芳しくなく不安がつのり、数回の連絡の末、彼女から、しつこいです、もう会うのは無理だから連絡しないで、のメッセージが来たので、男性は詫びを入れてもう連絡はしないと返したそうです。

しかし、なんとその後、彼女はこんなメッセージを寄越したらしいのです。

そのままは書けないので、概要を書きます。

内容読めんか。

老眼鏡つけとけ。

連絡ゾッとするわ。

ク○老人。

などといった内容です。

びっくりしましたが、私は悲しかった。

この女性の霊性は、一体、どうなっているのか、と。

それなりの社会的地位につき、おそらくあか抜けた外見を持ち、おしゃれな会話も楽しめる大人の女性が、一皮むけば、こんな本音が噴出してくるなんて。

これも、本音と建前のすさまじいまでの乖離です。

これは、想像でしかありませんが。

彼女は、核家族の恵まれた家庭に育ち、身体が徐々に衰えていく、自由のきかなくなってくるお年寄りも間近で見ることもなく、重い病気その他の人生での不可抗力で味わう苦しみも経験して来なかったのではないでしょうか?

だから、他人の痛みや苦しみを思いはかることができないし、その恵まれた容姿や選民意識のために思い上がってしまっているように感じます。

そうでなければ、人様を思いはかり、同じ神様の分霊を宿した同胞である男性、断って落胆させた、少なくとも、自分よりもかなり年上のきちんとした男性を、間違ってもあのようには言えないし、そもそもそんなひどい言葉は出てこないはずです。

仮に、彼女が時期的に生理前後にあり、体調がすぐれなかったにしても、男性の女性心理の読解力が不足していたためにしても、です。

彼女は、あくまでも、一人の例外的な女性なのかもしれない。

しかし、もしも万が一そうではない、ある程度は、このような女性がいるとすると、何のための文化的生活なの?教養なの?おしゃれなの?と悲しくなってしまうんですよ。

おそらく、彼女も魂の学習をしないとそのあり方を変えるのは難しいかもしれない。

あまりにも、神性を取り巻く業想念が厚すぎて、唯物論にからめとられてしまっているように見えるからです。

せっかくの過去世での生き方により、それなりの容姿や才能や境遇に生まれついたのに、また、輪廻転生を経て降下して修行では、元の木阿弥ではないですか。

当然のことながら、世界平和の祈りもしたことがないだろうし、霊性のれの字も知らないのでしょうね。

・・・。

まあ、そんなことを言っても、仕方ないのでしょうか。

やっぱり、自分の市場価値云々としている間は、唯物論のしがらみは外せていないと思います。

非モテコミット異論でも書いたけど、やっぱり、恋愛なんかいつでもできる、何でもあるのが当たり前だ、と思っているのかなあ・・・。

とにかく。

唯物論で行き詰まったら、むなしさをおぼえたら、世界平和の祈り一念の生活による、霊性の開発をご検討下さい。

何とぞ、よろしくお願い申し上げます。

皆様のご健康を願っております。

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①追記: 2024/04/07 22:35
②追記: 2024/04/07 22:37
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。