今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
これは、コンビニやスーパーなどいろいろなお店で、たまに見かけることなんですが。
ある程度のお年の方が、レジなどで店員さんに、世間話のように話かけているのを見かけることがあります。
ご家族がいるのかどうかはわかりませんが、もしかしたら、寂しいのかなあと思うことがあります。
これは、私の独断と偏見ですが、人は誰でも、老若男女を問わず、自分の話をしたい、人様に話を聞いてもらいたいものだ、と思うのです。
家族がいない場合、また、家族がいても、あまり会話もなく、疎外感を感じている場合には、もしかしたら、話し相手を欲しているのではないのかなあ、と。
それが、ああした形に出ているのかもしれないと思うんです。
自分の偏見かもしれませんが。
声かけがあっても、肉体労働などのガテン系の方のように、アッサリとした会話で終わらないのがほとんどですし。
これは、何もご高齢の方に限らないことだとは思うのですが、人間は孤独感をどのように克服していったらいいのでしょうか?
私なんかは、ちょっと変わっているのか、一人の方が楽です。人様とかかわりをもつと、いろいろと気を遣って参ってしまうほうなので。
確か、美輪明宏さんが言っていたと思いますが、あまりベタベタしたり、干渉しすぎるのはよくなくて、腹 8 分目(か 6 分目かちょっと忘れました)くらいで、ある程度の距離感を保っている付き合いの方が、いいような。
なので、孤独感を孤高の趣味や楽しみに没頭することに変えて、そうして、自然発生的に生じてくる人間関係に委ねればいいのかな、とも思うし。
傾聴ボランティアという形もあるみたいですが、今の疾病(しっぺい)状況では、どうなっているんでしょうか。
それが可能だとしても、やはりご自分でメドをつけることには越したことはないと思われますので。
で、また、いつもの話にもっていってしまうんですが。
私達肉体人間は、一人のように見えても、後ろに守護の神霊さんが常についているそうです。
肉眼には見えなくても、孤独ではないそうなんですよ。
なので、世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行で、おまかせしてみたらどうでしょう?
ご先祖様の供養にもなるみたいですし。
唯物論で行き詰まったら、ご検討頂きたいと思いますので。
自力でなかなか難しい場合には、(それなりの努力の末に神様におまかせする)他力という行き方もあるということで。
先般、大型スーパーで、入口にアルコールスプレーがあり、その鉢合わせになったご高齢の女性が、すみませんね(私が遠慮して先を譲ったので)と話かけるだけではなく、何となく二言三言話しかけたいような雰囲気に感じたことがありましたので。
近所にも、ご主人を亡くされたご高齢のご婦人がいるのですが、元々話好きな方ではありましたが、話を聞くと、結構話される方もいますし。
今は、疾病状況もあって、あまり話をする機会はなくなりましたから、どうされているのかは、わかりませんが。
ただ、たまにお会いする度ごとに、徐々に体がきかなくなってきているのかもしれない、と思うこともありましたので。
こんなこともあり、勝手な憶測をしてしまいました。
失礼致しました。
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追記: 2024/04/07 17:59
〜訂正内容〜
本文を加筆・訂正しました。