祭り上げ。
なぜそんなことをするのだろう?
なぜ、美談が強調されるのだろう?
やはり、人間の行動だけに、自我が関与していると考えられる。
なぜ、褒(ほ)め称(たた)えるのか?
その本人の自己を滅却した上での行為とは考えられない、ということです。
つまり、自己を重ね合わせて、何らかの形で同化させている。
意識的、無意識的問わず。
非常に語弊のある言い方をすれば、祭り上げた対象を権威付け、称賛し、自らもその恩恵にあずかろうとしていると思われるのだ。(*1)
これが暴走すると、ひいきの引き倒しとなる。
あまり、具体的に書くと、業想念を巻き起こしかねないので控えるが、祭り上げ対象に過度な思い入れ、肩入れには、このような側面があると思うのだ。
だから、誉めるのも大変なこと。
誉めすぎないように、しかも、正鵠(せいこく)を射て、過度に行き過ぎない評価が望まれる。(*2)
宗教やスポーツで感じた雑感です。
~~~~~
(*1)・語弊~ごへい~言葉の使い方が適切でないために相手なの与える、誤解や不快感などの弊害。
(*2)・正鵠(せいこく)を射(い)る~物事の要点を正しく押さえる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
追記: 2024/04/07 19:38
〜訂正内容〜
本文を加筆・訂正しました。