01 釈迦はいかなる存在か
今回から本題に入ります。
・天上天下唯我独尊 ー 釈迦の初声(産声?)
申し訳ないが、仏教好きな方にはかなり不愉快な思いをさせることを、あらかじめお断りしておく。
お許し頂きたい。
私は、ここに書かれている伝記は、逐一引用しない。
(唯物論で)普通に考えたら、あまりにも荒唐無稽であり、奇妙寄天烈であるからだ。
お釈迦様が女性(母親)の脇の下から生まれ、生まれ落ちた下にはあらかじめ蓮の花が咲き、おまけに生まれたての乳幼児がすくっと立って、決まった歩数を歩み、あまつさえ、右手は天を、左手は地を指して、「あめがうえ、あめがした、われにまされる聖者なし」とはっきりと宣言したというのだ。
率直に言って、これはまともな肉体人間の話ではない。
そうとしか、思えない。
生まれ方にしろ、すぐに立ち上がりしっかりと歩いて、こんな言葉を話す。
これは、普通の生まれ方ではないし、生まれてすぐにこんな立ち居振舞いをするのは、到底、まともな肉体人間の赤ちゃんの行動とは思えない。
それこそ、超人か、肉体人間ではない架空の肉体人間によく似た生物としか考えられないからだ。
私は、これは仏教の教祖であるお釈迦さんを明らかに過剰に祭り上げていると解釈する。
お釈迦さんを、肉体人間ではない超人であり、誰にも手が届かない存在であると位置付けるために作られた創作だと考える。
まずは、その1。
生まれ方だ。
お釈迦さんは超人だ。絶対不可侵の神聖なるお方だ。そのお方が、肉体人間の女性の産道である膣から生まれたということを避けたかった意図を感じる。
女性器のうち、内性器に含まれる膣は、産道であると同時に、性交(セックス)にかかわる重要な部分である。
これには、どうしても、性欲を連想させる、それだけで見ると不浄な印象(イメージ)がつくと考えた創作者が、その恐れを避けたのではないか、と考えられるのである。
性交を神様の分け命を頂いた男女の神聖なる愛情の交歓としての行為と捉えていれば、こうはならなかったはずである。
その2。
生まれてすぐの赤ちゃんは、まずは産声をあげる。首もすわらないし、立って歩くことなどできはしないし、目も開ききれていない場合もあるし、とにかく、歩くなど危険きわまりない。
泣くのが精一杯だし、それが健康の証。
どう考えても、この伝記はまともな肉体人間の有り様とは思えない。
これぞ、絶対不可侵の神聖なる超人。
誰にも(もちろん、他の宗教の教祖にも)手の届かぬ、気高いお方。
そうした人物像を描くための創作ではないか、と個人的には考える。
とりあえず、今日はここまでとさせて下さい。
何だかこれだけでひどく疲れてしまいました。
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以上は、あくまでも、私個人の勝手な意見に過ぎません。
繰り返しになりますが、お許し、ならびに、ご承知置き下さい。
お願い申し上げます。
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①追記: 2021/11/02 22:16
②追記: 2021/11/04 21:07
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。