第 1 章 世間のルールになじめない
5.しがらみは愛や嫌悪から(構成改変あり)
他人(ひと)との交わりにおいて
愛憎の念を抱くな。
愛しい人と別れるのは苦しく
憎い人に会うのも苦しい。
(二一〇) (第16章 愛しきもの より)
愛しい人への執着を持つな。
愛しい人を失うのはつらいから。
愛しい人、愛しくない人と、他人(ひと)を区別しない人には
しがらみがない。
(二一一) (第16章 愛しきもの より)
佐々木さんは、おおむね、お釈迦さんがあらゆることに執着しないようにすることで、しがらみから自由になることを説いたものだとしている。
上記の訳文は、今枝さんによるものだが、今枝さん本には、基本的に平易でわかりやすい訳文のみがある。
しかし、ありがたいことに、ほんのわずかだが、ところどころに注釈がある。
その数少ない注釈の内で、上記二句に関するものは、以下の通り(一部改変あり)。
この二句は、伝統的に言われる「四苦八苦」のうちの
「愛別離苦」(あいべつりく。愛しい人と別れる苦しみ)
と
「怨憎会苦」(おんぞうえく。怨み憎む人と会う苦しみ)
の二苦に相当する。
人は、愛しい人、快適なものにほぼ不可避的に執着し、そこから苦しみが生まれる。
ブッダ(=お釈迦さんのこと)の意図したことは、この愛しさという人間的な感情に内在する「執着」の危険性への警告である。
鴨長明(かものちょうめい)は、「方丈記」の跋(ばつ)で、
「仏の人を救へ給ふおもむきは、事にふれて執心なかれとなり」
と述べているが、まさに正鵠(せいこく)を得ている。
要は、悟りを得られていない肉体人間として抱いてしまう、愛憎などから生じるこだわりを解き放て、ということですね。
悟りを得なければ、できないことですけど。
それには、霊性を段階的に開発しながら、徐々にこうした境地に近づいていくしかないと思います。
一般的な私達は、まず一足飛びに悟りを得ることは無理なのだから。
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・愛別離苦~仏教語~八苦の一つ。親・兄弟・妻子など、愛する人と別れなければならない苦しみ。
・怨憎会苦~仏教語~八苦の一つ。怨み憎むものと会わなければならない苦しみ。
・跋~ばつ~書物の終わりに書く文。あとがき。
(用例)跋文。
・正鵠~せいこく~(鵠は弓の的の中央の黒点の意)物事のねらいどころ。要点。急所。
(用例)正鵠を射(い)る~物事の要点を正しく押さえる。正鵠を得る。