おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

202_原仏12ー15

Ⅱ 人生の指針
第一部 人生の指針
一 真理について
二 慈悲について
三 解脱について
四 幸福について

の、締めくくりです。

四 幸福について です。

なお、便宜上、
本でなされている内容及び解説を、(A) と記します。
また、私の文を (B) と記します。
あらかじめ、ご了承頂きますよう、お願い申し上げます(段落分けなどの改変あり)。

(A) こよなき幸せ

では具体的に人生の幸福はどういうところにあるのでしょうか。

これについてスッタニパータの中では、体系的ではありませんが、色々と説いています。その一つ一つの詩の文句が我々に教えるところが非常に大なのです。

「多くの神々と人間は、幸福を望み、幸せを思っています。
最上の幸福を説いてください。」

諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、
ー これがこよなき幸せである。

適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、みずからは正しい誓願を起こしていること、
ー これがこよなき幸せである。

(二五八 ー 二六〇)

(A) なし。

(B) また、神々が出てきた。

これは、露の団姫(つゆのまるこ)_団姫(まるこ)流_お釈迦さま物語_春秋社_に出ていた、お釈迦さんが最後の旅路でチュンダの供養でお腹を下して苦しんでいる時に、水を求めて行けども行けども、汚れた川ばかりで、まともに飲めるような水が中々手に入らず、アーナンダが苦労しているところ、諸天善神の恵みか、清らかな川の水にありつけて、喉を潤すことができた話、おそらく、中村さんの指摘していた霊験で出てきた神様の意味合いでしょうね。

諸天善神。

少なくとも、( 196_原仏12ー9 - おぶなより ) で触れた、スッタニパータの、

見よ、神々並びに世人は、非我なるものを我と思いなし、(名称と形態)(個体)に執著(しゅうじゃく)している。
「これこそ真理である」と考えている。

(七五六)

この神々ではありませんね。

(二五八) では、こうした肉体人間と大差ないような存在 (七五六) に出ている存在を、神々とはしていない、と読み取れます。

こうしたことがあるから、霊魂について曖昧にしておくのではなくて、「無記」にしておくのではなくて、軽くでもいいから、説明しておいてほしかったんですよ。

お釈迦様にはね。

幸福を望み、幸せを思っている・・・。

人々と神々(おそらく諸天善神)は、皆さんの幸福、穏やかで、暖かく、お互いが、慈しみ合い、愛し合い、尊重し合い、助け合うような、安穏な世の中を望んでいるという意味でしょう。

よき人々に親しみ、つまり、真善美に悖らない想いと行いの人々、神様の分霊の本質を多少なりともあらわしている人々に親しみ、そうでない、業想念にまみれた人々との接触をできるだけ避けて、しかも、それが可能であること。

これが幸せである、という意味でしょうね。

何故ならば、このようにしたくても、過去世からの因縁次第では、できない場合があるからです。

否応なしに、嫌いな人々と出会い、仕事をともにして、あるいは、家族や親戚になり、付き合いをしなければならない場合があるからです。

親しみたくたって、尊敬したくたって、それさえも叶わない厳しい境遇が(過去世の因縁次第では)あるかもしれない。

だから、自分の思うままに、よいと思う人々に親しめること、尊敬できること、これだけでも十分にありがたいことなんだよ、ということでしょうね。

誰しもそうだとは思うけど、恵まれて、様々な環境が備わり、これが当たり前だ、とすっかり慣れきっていると、中々、わからないんですよ。

突如、不幸のどん底に叩き落とされたり、元から厳しい境遇で苦労を重ねてきた人か、過去世からの様々な苦労を伴う経験や修行を修めている人でないと、平常時の、平穏さのありがたさが、中々、わからないのです。

(A) 適当な場所に住みというのは、今日、都市の喧騒の中に住まなければならない人、例えば、工場で始終機械の運転の音を耳にするとか、鉄道のそばで、列車の轟音を耳に聞きつけている人達は、自分の仕事に熱中することによって騒音を苦にしない、つまり正しい誓願を起こすことにより、克服することができるという意です。

(B) 申し訳ありませんが、どうもこのたとえはこじつけに見えます。経典を詳しく見ることができないので、何とも言えませんが。

修行者ではない場合、場所から場所へと渡り歩く必要はまずはないはずですから、ひとところにそれなりに安全を保ちながら住むことができる、生活を営むことができる、これだけでも十分にありがたいことだ、と言っているように思うのですが。

そして、過去世からも、現世(今生)でも、真善美に悖らない想いと行い、そして人様のために(無理をしない範囲で)尽くすこと、これが、功徳を積む意味合いだと思います。

正しい誓願も、これからすれば、同じことになりますね。このようにありたい、生きて行こう、と。

長くなりましたので、ここで区切らせて頂きます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

①追記: 2020/12/14 06:43
②追記: 2024/04/15 02:39
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。