おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

207_原仏12ー20

前回の ( 206_原仏12ー19 - おぶなより ) は、私見から、因縁因果について補足したい内容を書いて、話をそらしましたので、前々回 ( 205_原仏12ー18 - おぶなより ) からの続きになります。

Ⅱ 人生の指針 第一部 人生の指針
一 真理について
二 慈悲について
三 解脱について
四 幸福について

四 幸福について の続きになります。

なお、便宜上、
本でなされている内容及び解説を、(A) と記します。
また、私の文を (B) と記します。
あらかじめ、ご了承頂きますよう、お願い申し上げます。

尊敬と謙遜(けんそん)と満足と感謝と適当な時に教えを聞くこと、
ー これがこよなき幸せである。

(二六五)

(A) これは精神的な面での心がけを述べているのだといえましょう。感謝は、元の言葉では「カタンニュター」といい、漢訳ではしばしば知恩(恩を知ること)と訳されます。そしてこのことはお互いに精神的な喜びを与え合うことです。
感謝の気持ちは、どこの国の人でも共通ですが、日本人は「ありがとうございます」、朝鮮の人は「カムサ(カムサーハムニーダ)」といい、これは感謝の朝鮮音です。またベトナムの人は「カムオン」と発音し、これを漢字にあてると、感恩でやはりありがとうございますという意味になります。

(B) ちょっと、単語の羅列で、文章が簡潔過ぎて、言いたいことが、ハッキリとはわからないのですが、とりあえず、字引を片っ端から引いてみます。

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・尊敬~他人の人格・行為などを尊(たっと)び敬(うやま)うこと。
(用例)尊敬の念をいだく。私の尊敬する人。

・尊ぶ→とうとぶ。
・尊ぶ~①尊いものとして崇(あが)める。敬う。
②(価値あるものとして)大切にする。尊重する。

・崇める~あがめる~

尊い~①地位などが高い。
(用例)尊いお方。
②手に入れにくく価値がある。大切だ。貴重だ。
(用例)尊い体験。尊い意見。

尊いと貴い ー

尊いは、卑の対。
大切なものとして敬い尊ぶべきであるの意で、「尊い神」「尊い犠牲を払う」「平和の尊さを学ぶ」などと使われる。

貴いは、賤(せん)の対。
それ自身の持つ価値や身分が高くて尊ぶべきであるの意で、「貴い体験」「貴い資料」などと使われる。

・敬う~相手を尊んで礼を尽くす。(用例)師を敬う。

・謙遜~相手にへりくだり控えめな言動をすること。また、そのさま。謙譲。
(用例)謙譲して言う。

・へりくだる~相手を敬って自分を卑下する。謙遜する。
(用例)へりくだった態度をとる。

・満足~①望みが満たされること。また、そのため不平・不満のないさま。
(用例)現状に満足する。
②条件や規格を十分に満たしていること。足りないところのないさま。
(用例)教育も満足に受けていない。

・感謝~自分が受けた厚意や親切を、ありがたく感じること。また、その気持ちを表して礼を言うこと。
(用例)感謝の意を表す。ご厚意に感謝します。感謝の念。

・厚意~こうい~思いやりの深い心。厚情。

ー 好意と厚意 ー

好意は、ある人に対して抱く、好感・親近感・愛情などの気持ちの意で、「好意を表す」「好意を抱く」「好意を寄せる」などと使われる。

厚意は、深い思いやりの心、情に厚い心、親切な心配り意で、「厚意を受ける」「厚意を喜ぶ」などと使われる。

意味の共通する部分もあるが、「好意」が自分の他人に対する気持ちにも、他人に対する気持ちにも使われるのに対して、「厚意」は普通自分の気持ちには使わない。

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こうしたものを見てくると、みんなが穏やかな気持ちで満たされて、なおかつ、お互いに気を配り、良いところを見つけて尊重し合う、好ましい人間関係が築かれている様子が、想像できます。

その上で、お釈迦さんの教えやダルマを聞くことができるのは、なかなかない、有り難い、ありがたい、ことだから、幸せなんですね。

( 204_原仏12ー17 - おぶなより ) の贈り物について書いたのと同様に、こうした教えを学ぶのに格好な、好ましい、ふさわしい環境が整っている。

だから、ありがたいことであるし、幸せだとしているように、読むことができます。

次です。

耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、諸々の ー 道の人 ー 、ー哲人ー に会うこと、適当な時に理法についての教えを聞くこと、
ー これがこよなき幸せである。

(二六六)

(A) 自分を常に反省していれば、何かの折には理法についての教えを聞く、ということにもなりましょう。また今日のような時代ですと、じっくりと腰を落ち着けて書物を読み、考えてみるということも精神としては通ずることになります。

(B) 耐え忍ぶことの解説が全然ないですよ。

こんなのちっぽけな問題だから、どうでもいいのですか?完全無視ですか?中村さん。

私のように過去世の悪い因縁で苦しんでも、ただひたすら我慢するしかない人間のことを書いたのか、それとも、修行に打ち込んでいる人々やこれと交流のある帰依する人々の修養の厳しさに対する態度を言ったのか、それぐらいは解説して下さらないと、まったくわかりませんよ。

すっ飛ばさないで欲しかったです。

次、言葉のやさしいこと。

これは、言霊に通じますね。

ことだま。言葉を神霊視した言い方で、言葉のもつ不思議な霊力。

業想念を巻き起こすとまずいので、ここにはあげませんが、1、2 つだけでも、きれいな言葉、やさしい言葉、と、汚い言葉、攻撃的な言葉を対比させてみるとわかります。

汚い、攻撃的な言葉の方は、不穏な響きの悪い感じがしますから。

汚い、攻撃的な言葉は、その発する前には想念、想いがありますから、これは業想念そのものだ、となりますね。

従って、真善美に悖らない、神様のみ心に沿った、優しく、美しい、穏やかな言葉が好ましいし、望ましい、となります。

道の人や哲人というのは、少しでも人としてのよきあり方をしたい、そうした道を求めたい、そのために、日々、修養や思索にいそしんでいる人達のことなんでしょうね。

おそらく、この時代状況からすると、主に、釈迦とその弟子達を指しているのでしょう。

そうした人達に、理法について、ダルマについて、生き方について、修養について、話を聞くことは、日々襟(えり)をただし、自らを省みるきっかけにもなるから、貴重だったのでしょうね、よき生き方の先達として。

大体、そんな意味合いではないでしょうか。

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①追記: 2020/12/14 06:58
②追記: 2024/04/15 22:46
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。