おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

227_原仏13ー16

前回( 226_原仏13ー15 - おぶなより ) の続きです。

Ⅱ 人生の指針
第一部 人生の指針
第二章 真理のことば ー ダンマパダ
二 「ダンマパダ」のことば

になります。

なお、便宜上、本でなされている内容及び解説を、(A) と記します。また、私の文を (B) と記します。あらかじめ、ご了承頂きますよう、お願い申し上げます。

ー めざめた人 ー

(A) めざめた人(ブッダ)については、第 一四 章 にまとめられています。

人間として生をうけることはむずかしい。
死すべきものが生きることはむずかしい。
正しい教えは聴きがたいものであり、
もろもろのめざめた人の出現は得がたいことである。

(一八二)

(A) (一部改変短縮省略あり)「人身うけがたし、仏法聴きがたし」という言葉がよく引かれます。人間としての生命を受けたことが尊いのです。

また、「盲亀浮木に会う」(法華経 妙荘厳王本事品など仏典に多数出てきます)という言葉もあります。

それはガンジス河のような大きな河で、目の見えない亀が流されている。それがたまたま流されてきた木に出会って、そこに穴がある。その穴に身を潜めて救われる。こんな奇遇は滅多に起こらないことでしょうが、仏法を聞くのも、これと同様にありがたく尊いことである。

有り難(にく)い、ことだから、有り難(がた)い、となり、さらに、ありがたい、となる訳です。そうした例えに使われるのです。

考えてみると、本当に不思議なことです。人間の歴史を学者のいうことから想像すると、原始人はただ争っているだけなのです。傷つけたり殺すのは当たり前のことでした。ところがある時期に、人間の間に慈悲を説く教えが出てきて、そこで人間の考え方がすっかり変わった訳です。

生活も変わり、さらにそれを信じる人の容貌までも変わっていきます。これは大したことだと思います。ただ、その力がずっと続いているとはいえないので、今日でも相変わらず殺しあったり、争ったりしている訳で、それは原始人と一向に変わりませんし、のみならず動物以下じゃないか。むしろ策略を使う人間の方が下卑(げび)て劣等ではないか、人間の方が悪いのではないかとも思いますが、そこで慈悲の教えが説かれたのは当たり前まことに尊いことだと思います。

(B) なかなかないこと
→滅多にないこと
→あることが、むずかしいこと
→有り難い
→ありがたい、
となるのでしょうね。

ここで、中村さんの言われる慈悲の教えとは、仏法(仏教の旧称)=仏教を指しているのでしょうか?

私にはよくわかりません。

ただ、前後関係から仏教以外にはないでしょうね。

なぜ、はっきりとお書きにならなかったのでしょうか。

これまた、よくわかりませんが。

まあ、仏教以外の宗教を指しているのならば、残念ながら、これが何なのかは私にはまったくわかりません。

また、勝手に書きます。

私達肉体人間は、本来ならば神様の生命そのままをあらわすはずの万物の霊長の位置付けにいます。

神様の分霊(わけみたま)、分けられたお命が与えられている分、普通の動物とは違って、高度な知恵も働くし、創造もできる。

この点が動物と明らかに異なっているからです。

つまり、神様が肉体人間に分けられたお命を与えているということは、それなりの役割を期待していることになる。

これはおそらくこの物質世界、地球世界に神様の世界をあらわすこと、と考えられます。

それを踏まえずに、五感にまつわる各種の欲望ばかりを貪(むさぼ)り求めてばかりいる、すなわち、自分の快楽的な欲望ばかりを満たすために、環境として与えられている資源である自然や動物を、好き勝手し放題に破壊と収奪をしてしまったら、それこそ、動物以下の存在になってしまう可能性が出てくるのではありませんか。

動物より、知恵も働く分、明らかに悪い、ということにもなってしまう。

動物たちに比べて明らかに優れた能力を授けられているのに、周辺環境を犠牲にして、自分勝手なことばかりしているからです。

本体を同じく神様の分霊とする、肉体人間同士で傷つけあったり、殺したりなどやってはいけないことなど言わずもがな。

なので。

例えば、動物や魚を(もちろん、植物もそうですが)食べる時には、自分の命を生かすために栄養分として同化して、その生きていた命を捧げて下さっている。

少なくとも、こうしたものすべてに、感謝の気持ちを抱き、その天命がまっとうされることを祈ること、できうることならば、世界平和の祈りも併せてすることが、望ましいと考えられるんですよ。

食べ物の味に旨い、そうでない、は確かにあります。ただ、神様の命をあらわしていたところの、その体を捧げて下さっているのだから、こんなもの不味いや、食えるか、というのは、かなり具合が悪いような気がするんですよ。

そう考えてくると、食事前に頂きます、ということにも、やはりそれなりに意味があったのだな、ということになります。

命を捧げて下さった、動物さん、植物さん、ありがとうございます、と。

ー めざめた人 ー の途中ですが、ここで区切らせて頂きます。ご了承願います。

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・下卑る~げびる~品性がいやしくなる。下品に見える。
(用例)下卑たふるまい。

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追記: 2024/04/16 22:58
〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。