おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

255_原仏16ー1

今回から、
Ⅱ 人生の指針 第一部 人生の指針 の
第五章 ジャータカ物語 になります。

なお、便宜上、本でなされている内容及び解説を、(A) と記します。また、私の文を (B) と記します。あらかじめ、ご了承頂きますよう、お願い申し上げます(段落分けなどの改変あり)。
また、ここでも、本の小見出しに従って、見ていく形にしたいと思います。

一 「ジャータカ」の成立とその意義

ー「ジャータカ」の成立 ー

(A) (一部、改変・省略・訂正あり。以下、すべて同様)ジャータカとは、一言でいうと、釈尊の前世物語、過去世物語です。

つまり、「お釈迦様がこの世に生まれていらっしゃる前に、過去世にはこういうことがありました」とされる物語です。

実際は、仏教が発展していた時代に、民衆の間に一般的に行われて色々の物語とか説話、それを釈尊の過去世にかこつけて伝えているものです。

初めは割合に数も少なかったと思うのですが、段々発達して、現在の南方諸国に伝わっているパーリ語の仏教聖典では、 547 もあり、全体は大変分厚いものです。

それらの成立年代は、相当古いと考えられます。

古いジャータカ物語は、紀元前の 3 世紀から 2 世紀に伝えられたバールフットの彫刻によく表れているので、その頃かあるいはそれ以前に作られたものと思われます。

カルカッタの博物館に今保存されているバールフットの彫刻をみると、欄楯といって石垣みたいなものですが、そこにはジャータカ物語が浮き彫りにされています。元は中インドのガンジス河よりだいぶ南方の、バールフットの霊場にあったものです。

それをカルカッタの博物館に元にあったのと同じ形で元通りに並べて展観しています。

(B) なし。

としようとも思いましたが、やはり、ちょっと書いておくことにします。

内容を改めます。

まず、ここで述べられている内容の暗黙の前提として、以下のものをあげることができるはずです。

①肉体人間は霊魂をもつ存在であること。
②霊魂はこの世で肉体が死亡して滅んでも、また、ある程度の時を経て、違った形の肉体人間として、再び(解脱=輪廻転生の上がりまで何度も)この世に生まれてくること。
③霊魂はそのままでも、このような形で、男女の性別をはじめとして、あらゆる形を変えて、時を経て生まれ直してくる=生まれ変わること。
これが、輪廻転生であること。
④各自の数多(あまた)の過去世での様々な記憶は消されており、(特別な人を除いては)普通の表層意識(顕在意識)上ではまったくわからないこと。

これらを前提とした場合、当然に、肉体人間としてのお釈迦さんにも、数多の過去世があったことになります。

で、ここまで来ると、輪廻転生は、
いつから始まるのか、
いつまで続くのか、
それとも、永遠に続くものなのか、
が当然、問われることになります。

普通、仏教の入門書などを見ると、古代インドでは、肉体人間は輪廻転生を永遠にさまよい続ける存在とされるくらいしか書いていないし、そもそも、なぜ、輪廻転生が始まったのかもわからない。

なので。

とりあえず、いつもの書き方で書いておこうと思います。

まず、霊魂、動物も魂(こん)要素、魄(ぱく)要素があるので、これと区別する意味で、肉体人間の場合だけは、神様の分けられたお命を加えた霊魂魄が、霊魂に相当します。

つまり、動物も人間も通常は目には見えない一般的に魂と呼ばれる魄(ぱく)要素だけは共用されるために、動物と人間との生まれ変わりがあるように、混同された認識になってしまっている訳です。

肉体人間は、動物と同じく魄要素は使われても、神様の分けられたお命を霊として与えられているから、いわば、動物や植物とは異なる別格の存在=万物の霊長となっている訳です。

つまり、肉体人間だけが、その本質が神様だと。

だから、動物や植物とは一線を画した、知恵と創造力がある(=授かっている)。

この神様の分けられたお命、霊魂魄だけならば、真善美と愛に悖ることもなく、肉体人間に入ることもないし、そのままで完全なものであり、真善美に悖るところはない。

しかし、神様はこの地球さんの物質世界に神様の世界をあらわすために、その命=生命力である力を分けて肉体を作り、その肉体に宿る形で活動を始めた。

しかも、この物質世界に適合させるために開発途上に必要となる、本来はなかった本能を追加付与された。

それが、「自己保存の本能」と世代を引き継ぐための「生殖の本能」(「生殖の本能」も「自己保存の本能」に含まれると思われる)。

これらは、どうしても資源を横から奪う形で、いわば、資源の奪い合い=横取りの形で、あらわれてくることになる。

地球さんの開発途上では、ある程度、排他的な本能として、あらわれざるを得ないことになります。

しかし、こうした排他的な想いと行為は、元々の霊魂魄(霊=神体)にはありません。

従って、地球さんを開発しながら、本来ならば、なすべきではなかった、自己保存の本能や生殖の本能から生じた、自分の肉体本位の利害得失計算だけを最優先させた、真善美と愛に悖る想いと行為を為(な)してしまったら、その都度、その都度、正していく、矯正していかなければならないことになる。

この地球さんの物質世界に神様の世界をあらわすためには、神様の想いや行為としては、誤っているもの、ふさわしくないものは、最終的には残しておく訳にはいかない、存在が許されないからです。

地上天国ができあがったあかつきには、不適切なものは、すへて消し去られていなければならないと考えられるからです。

この真善美と愛に悖る想念と行為の矯正は、隔世を経た形として、つまり、輪廻転生を通した償い、あがないの形で、清算されていくようにあらわれてくる。

これが、この世での、過去世での真善美と愛に悖るところの想いと行為の償い、あがない、代償のあらわれとして、病気や争いごとや貧乏や苦労の、いわゆる、病、争、貧、苦といった形をとってくることになる。

だから、肉体だけを中心とした利害得失計算に明け暮れて、その満足ばかりしか考えずに、真善美と愛に悖る想いや行為をいつまでも続けてばかりいると、あがないによる清算は果てしなく続くことになってしまう。

最終的にすべての神様の分けられたお命を有する者は、その元の形に帰るために、どんなに時間がかかっても、輪廻転生を通した修行(下記の 3 つ)が避けられない存在だ、と考えられるからです。

なので、この世たる現界とあの世たる幽界(と霊界の下層)をぐるぐると永遠に(?。何万年?かかろうとも、いつかは守護霊さんが必ず助け出してくれると思うけど)巡り続けることになる。

あるいは、下手をすると、場合によっては、長い間(悠久???)この世に生まれてくることすらできないことにもなる。

その場合には、この世で真善美と愛に悖る想いと行為の償い、あがないの機会すら与えられずに、幽界で苦しみ続けることになる(先祖供養はこの意味合いも含むらしい。幽界などで迷っているご先祖様に神仏の光を及ぼして、少しでも救いあげる、または、輪廻転生に向かわせるなど。この点でも、世界平和の祈りは価値があるそうです)。

この悪循環の輪廻転生の過程から、もしくは幽界の中での悪い想いと行いの自己完結の悪循環の過程から抜け出すためには、真善美と愛に悖る想いと行為をなくして、元々の霊魂魄、神様の分けられたお命そのもののようになるように想いも体もきれいに浄(きよ)めていくようにしなければならない。

この世での、厳しい自力による「霊性の開発」の修行をするか、あがないによる清算をするか、神様の光を頂く祈りによる浄めによるか、いずれかの形で、真善美と愛に悖る想いと行いを浄め去らなければならない。

そうして、肉体を持ちながら、神様の分けられたお命そのままの想いと行為をあらわし得た人が、釈迦のような人であり、輪廻転生の循環過程から抜け出した、卒業した人、ということになる。

これが、解脱のことで、古(いにしえ)なら、自力の修行の末に解脱した、阿羅漢のような人が、これにあたる(従って、この世の欲にまみれたり、酒池肉林に溺れているような人に、解脱した人などいないことになる)。

で、お釈迦さんの場合には、どのような輪廻転生の遍歴を経て、肉体を持ちながら、神様の分けられたお命として完成した、仏として完成したかの前段階の物語が、ジャータカ物語となるのでしょう。

ただ。

中村さんはハッキリとは書いていませんが、その文章からはどうも懐疑的な雰囲気が感じられます。

それに。

紀元前 2、3 世紀といったら、明らかにお釈迦さんの生まれるずっと前じゃないですか。

生まれる前から、そんな物語があったなんておかしくないですか。

これから、しばらく後に、世の人々を導く聖なる人物があらわれるといった予告の形ならばともかく、まだ、生まれてもいない人の過去世物語がずっと前に既にあったなんて。

変じゃありませんか。

私の独断と偏見ですが、この中村さんの文章から感じるのは、お釈迦さんの誕生以前に古くからあった、ジャータカとして取り入れるものとして、好ましい民話や説話が取捨選択されて、作り上げられたものだ、とおっしゃっているように感じるんですよ。

釈尊の過去世にかこつけて伝えている」

この書き方からすると、真面目な中村さん(中村さんのお人柄はわかりません。ただ、お写真を拝見する限りでは、穏やかで真面目そうなお方に見えます)には、どうもあんまり好ましくないと感じられていたような気がするんですよ。

下記の中村さんの文章にもありますが、説話やわかりやすい物語にした方が、仏教の普及には都合が良かったことは確かでしょう。

しかし、万が一、都合のいい作りごと、もっと極端に言えば、捏造になってしまうのは、まずいのではありませんか。

これでは、ただでさえ霊的なことを信じない唯物論者に、突っ込む隙(すき)を与えてしまうからです。

いくら、お釈迦様さん自体を評価していても、万が一、作り上げられた物語がそえられたとなってしまった場合には、その信頼度が揺らぐことにはなりませんか。

神話、伝説、説話。

みんな、いいのでしょうが・・・。

肝心なのは、今現在の想いと行為なのではないですかね。

そんな気がするんですけれどねえ。

次です。

ー 具体をもって教化するジャータカ ー

(A) 仏教の教義は、経典や、哲学的な論書に述べられていますが、どうしても議論が抽象的です。

ところが、ジャータカは、具体的に話を展開して、人々にわかりやすい形で教えが述べられていますので、感化も非常に大きいのです。

そして、それは相当古い時代からたどることができると思うのです。

というのは、今伝わっている経典が成立する前は、最初期の仏教の教えが、九部教とか十二部教というようないくつかの文体やジャンルなどのようなものでまとめられていました。

その中にも「ジャータカ」があるのです。

ですから、非常に古くから存在したことになります。

そして内容がはっきりした話であったということは、バールフットの彫刻であるとか、その前にできたサンチーの彫刻にも、「ジャータカ」に由来する物語の場面が、少なくとも 5 つ出ていることからも知ることができます。

その他、ブッダガヤーであるとか、あるいは南インドのナーガールジュニーコーンダという仏教遺跡に、やはり、「ジャータカ」が彫刻として浮き彫りになって伝わっています。

このように非常に大きな文化的・宗教的な遺産であるといえると思うのです。

また、このジャータカは、非常に感化の広かったものです。

西洋へもずっと流れていって、その説話の中にも形を変えて伝えられています。
それから南アジア・東南アジアの国々、スリランカビルマ、タイ、インドネシア、あるいはカンボジア、ヴェトナムといったところでも、それらは「ジャータカ」としてずっと伝えられていて、今日まで民衆が愛好しているのです。

彫刻にも残っていますし、わが国にも伝えられています。

こういう感化が及んだからこそ、その社会的な基礎の上に仏教の教団とか、お寺とかが成立し得たと思うのです。

(B) なし。

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・前世~ぜんせ~仏教語~三世の一つ。この世に生まれる以前の世界。先の世。ぜんせい。

・三世~さんぜ~仏教語~①前世・現世・来世、または、過去・現在・未来の三つの世。
②親・子・孫の三代。
ここでは、①の意。

・過去世~字引載っておらず。

・説話~せつわ~語られた話。物語。特に、神話・伝説・民話など、人々の間に語り伝えられた話。

・かこつける~託ける~直接関係のない他の事柄を口実にする。その物事のせいにする。ことによせる。

聖典~せいてん~①その宗教で最も神聖とされる教義の根本が記された書物。
②聖人の書いた書物。
ここでは、①の意。

・欄楯~字引載っておらず。

・展観~てんかん~展示して広く一般に見せること。展覧。
(用例)秘宝を展観する。

・阿羅漢~あらかん~仏教語~小乗仏教の修行者の最高の地位。すべての煩悩を断ち、悟りを開いた人。羅漢。
既出済み。

・捏造~ねつぞう~実際にはないことを、あったかのように偽ってつくり上げること。でっち上げること。
(用例)データを捏造する。
(参考)もとの読みはでつぞう。ねつぞうは慣用読み。。

・感化~かんか~相手に影響を与え、考えや行動を変えさせること。
(用例)友人に感化される。

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①追記: 2021/01/27 05:00
②追記: 2021/01/27 12:27
③追記: 2021/01/27 23:38
④追記: 2024/04/21 01:30
⑤追記: 2024/04/21 01:33
⑥追記: 2024/04/21 01:36
⑦追記: 2024/04/21 01:45
⑧追記: 2024/04/21 01:51
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。