おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

599_ひしみー021

02 釈迦仏の誕生

・釈迦には数多くの過去世の生死があった

適当にまとめます。

大乗仏教では、お釈迦さんは、応身仏(おうじんぶつ)とされ、ひろさんによると、宇宙からやって来た如来だという。(*)

お釈迦さんは大いなる宇宙意思が人間の姿となった、大いなる宇宙意思が凝結して人間になったものだという。

ただし、いきなり、お釈迦さんになれたのではなくて、当時すでにあった小乗仏教と同じく、輪廻転生は前提とされるので、大いなる宇宙意思が凝結したのは、もっとはるか昔であり、それが輪廻転生を繰り返してお釈迦さんになったとすべきだろう、としている。

ただし、ひろさんはここで明言してはいないが、
小乗仏教では、大いなる宇宙意思が凝結してお釈迦さんの始まりの生命体として飛来して(?)、
それが輪廻転生を繰り返してお釈迦さんになったとは捉えずに、
普通に生まれた人間が、
あまたの輪廻転生を繰り返して、お釈迦さんとなった、
とする点が異なると考えているようだ。

小乗仏教のお釈迦さんには、紀元前 1 世紀頃に成立されたとされる、お釈迦さんの過去世の物語となる「ジャータカ」がある。

ひろさんは、これをお釈迦さんが善行を積んだ過去世を持つがゆえに、仏陀となったと考えて、お釈迦さんが亡くなった後に作られたものだとしている(ちなみに、このジャータカでは、お釈迦さんの転生には、人間や、兎(ウサギ)や猿や象といった動物や天人などがある。ジャータカについては前に書いたことがあるので、ここでは割愛する)。

ひろさんは、大乗仏教の作者は、インド人だから、小乗仏教だろうと、大乗仏教だろうと、お釈迦さんにたくさんの過去世、つまり、生まれ変わりを想定するのは、自然なことだ、両者で結論が似るのは、不思議ではなく、似てこない方がおかしい、としている。

つまり、
いきなり、
輪廻転生をしない
= 1 回コッキリで地球上の人間としての人生を卒業する予定となっている
=完成体の宇宙仏としてのお釈迦さんが生まれてきた、
のではなくて、
インド古来の様式にのっとり(?)、
あくまでも完成体としての輪廻転生の卒業は、
何回もの輪廻転生の後だと考える、
みたいですね。

何だかよくわからないが、悪いけど、もうどうでもいい気がしてくるよ。

古(いにしえ)の仏教の信奉者さん達には申し訳ないが、お釈迦さんの権威づけのために話を創作したり、そういうのやめてほしいの、個人的には。

私は、何の因果か、たまたま仏教について書いているけど、元々は大の勉強嫌いだったし、長くて難しい文章や複雑な論理(ロジック)も大嫌い。とにかく、やさしくわかるように、自分にも理解できるようにすれば、としながら書いてきました。

そうした立場から見ると、どうしても自我の延長として、いろいろと崇拝する人を脚色して祭り上げたい気持ちもわかるけれど、あくまでも夾雑物(きょうざつぶつ)なんだから、理解の妨げになる余計な部分はなるべくなら減らしてほしいのですよ。

失礼致しました。

ひろさんの言っているのは、
要は、
小乗仏教の肉体人間として仏陀観だろうと、
大乗仏教の宇宙仏としての仏陀観だろうと、
お釈迦さんの魂が、
輪廻転生を通して磨かれて
最終的に悟りを開いて、
小乗仏教なら阿羅漢仏陀
大乗仏教なら阿羅漢とは一線を画する特別仏陀として、
涅槃にいたり、輪廻転生を卒業した。

これさえわかればいいんでしょ?

ひろさんは明言していないけど、ここでわかることは、
神様の世界(ひろさんなら宇宙の真理)から
この世である現界=肉体人間の世界に降りて人生を歩み始めたら、
必ず何度もの輪廻転生を繰り返して、
霊性を向上させて、
輪廻転生を卒業していく、
ということがいえるんじゃないですか?

だって、輪廻転生を経ることと、霊性を向上させることには、お釈迦さんも、他の人達にも、区別なく同じことなんだから。

だったら、特別仏陀のような差別をしてわざわざ区別するのは、無理があるんじゃないですか?

お釈迦さんをどうしても特別仏陀に仕立てあげたいなら、輪廻転生はナシとした方が、個人的にはずっと説得力があるような気がするんですけどねえ。

まあ、仏教初心者の偏見です。

お許し願います。

~~~~~

(*)応仏身~おうじんぶつ~仏教語~応身の仏。釈迦はその一例。

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追記: 2021/11/21 23:38
〜訂正内容〜

注釈の誤記を訂正しました。