おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

396_法悟28-15-1

第 3 週 賢者の道を歩む

1 智慧があれば人間らしく生きられる

学ぶことの少ない人は
牛のように老いる。
彼の肉体は肥えるが、
智慧は成長しない。

(一五二) (第11章 老い より)

また、適当にいきます。

社会を見渡すと、何がグルメなのか、服は何がよいか、どんなバッグがおしゃれか、という具合に、自らの体にまつわる情報を追い求める人々の姿が見えてくる。何をして、健康になるか、若返るか、自らを美しく見せることができるか、といったことばかり考えている。あたかも、現代人の知識は肉体のためだけに費やされているかのようだ。

もちろん、勉強はするのだが、最終的な目的が金を稼ぐことと、その使い道になってしまい、「次は、何を着ようか、食べようか」のような思考パターンに陥って、肉体のお世話にかまけるという、たった一つの目標に集約されてしまう。まるで、あたかもそれが人生哲学であるかのように。

「それなら、牛と大して変わらないよ」とブッダ(お釈迦さんのこと)は指摘する。牛には大それた人生哲学はない。牛の頭には「モー、何を食べようかなあ」があるぐらいである。

朝に食べ、午後にそれを戻して反芻(はんすう)して食べる。次の日も、また次の日も・・・。

従って、よく観察すると、人間の生き方も、牛のように惨めなものだと思えてくるのだ(?)。私達は何とかごまかしているだけで、結局は牛の一生と変わらないのではないか、と。

現代人は青魚が健康にいいとか、肉だけでなく野菜も採(と)れとか、様々な情報を集めては、偉そうに格好つけて他人に話している(?)。飽食の時代などと言っても、つまるところ「何を食べるか」だけの話だろう。

ブッダはそうした生き方を見て、「体重は増えるかも知れませんが、牛と似ていますよ」と言うのだ。苦労して、必死に働いて、高価な健康食品やブランド品を買い込み、何とか小さな家に住んでいる(ひどい)。そんな生活をしている人間(ひどい)と牛とにどんな違いがあるというのか(ひどい)。

智慧の眼差(まなざ)しで観(み)ると、人間は文化・知識・学問などと色々な分野で頑張っているようでいて、実は動物の生き方と何ら変わらないということが、ハッキリと観えてしまうのだ。

もちろん、牛たちは皆、そうした生き方を悪いとは思っていないだろう。他の動物も同様だろう。

これと同様に、人間もごく普通の生き方(?)をしても格好悪いとは思わない。しかし、ちょっと引いて離れて観察すれば、やっていることは、牛と同じなのだ。

従って、人間は物質的に豊かになっても智慧はそのまま。動物と同じ次元にとどまっているし、それを越えようとはしないのである。

人生に必要なのは、「何を食べるか」ではなく、「智慧の開発」なのだ。人間が肉体の維持ばかりにとらわれていて、まったく智慧の開発をしないのは危険なのだ。そのような生活をしていれば、極端に無知なまま人生が終わってしまうことになるのだ(?)。

肉体は中々死なないから(?)、脳細胞がどんどん先に死んでゆく。しかも、そのほとんどが使われないから、劣化が早い。

しかし、肉体は元気で 80 年以上持つのに、40 代、50 代から脳細胞が壊れてボケてしまうのだ(?)。そうなってしまったら、その後の 40 年間をどう過ごしたらよいと言うのか。

だから、人間は動物よりもはるかに恐ろしく、危ない橋を渡っていると言えるのだ。

私達は食事について、命を維持するために必要な量を把握することと、よく味わい美味しく頂くことの二つさえわかれば十分だ(と考える)。多くの人がやるように、食事に神経をすり減らして、人生の全精力をつぎ込む必要はないのだ。そんな生き方をしていては、幸せにはなれない、というのがブッダの警告なのである。

食べ物や肉体のことばかりにかまけて、人格を育てようとしない人は、些細なことでも緊張して怯(おび)えてしまう。体が少しでも不調になると、神経が壊れて、精力的にどん底に落ち込む。忍耐力がないから、すぐに怒ってケンカをする。財産を守るためなら、どんな悪いことでもする。強盗もするし、殺人もするし、戦争までをも、引き起こす。残念なことに、そうした動物以下の生き方に人類は慣れてしまっているのである。

人間以外の動物は、戦争なんか起こさない。自分の命だけを保てればいいと、ほどほどの欲を満たす限界のところで生きているからだ。彼らは決して他の生命に迷惑をかけることはしない(?)。

みなさんは牛に似ているとされて、侮辱されたと思われたかもしれないが、本当のところはもっとひどいのです(ええ?)。ブッダの時代ならば、「牛と同じ」で済みましたが、今はそのレベルよりももっと落ちています(えええ?)。人間は牛よりも他の動物よりも大変危険な状態にいるのです(えええ?)。

人類は自分達を破壊し破滅させるだけでなく、他の生命にも迷惑をかける生き方をしている。人間ならば(たるもの)もう少し違う道があるのではないか。

ブッダ智慧の大切さを説いている。生きるとは何か。自然の法則とは何か。(人間は)何のために生きているのか。生きることに意味があるのか。(生きることに)意味があるのならば、なぜ生きることはこんなに苦しいのか。

これらのテーマについて、私達はもっと(掘り下げて)考えるべきだ。そして、今の人間よりも優れた生き方を実践(するように)するのである。

智慧を成長させる道を歩むならば、あなたも牛呼ばわりされない優れた人間として生きられる(何とも言いようがない)。

心の優しい人になること、無常を観察すること、執着を捨てること、生きることは何かと探索して事実を発見すること・・・。これらにぜひチャレンジしてみて下さい。

とのこと。