第 4 週 人格の完成をめざす
2 世にもまれなるチャンス
人間に生まれることは難しい。
また生きることも難しい。
真理を聴(き)く機会も得難い。
ブッダの出現は未曾有(みぞう)のこと。
(一八二) (第14章 ブッダ より)
一つ書き忘れていました。
この経文に、こうある。
ブッダの出現は未曾有(みぞう)のこと。
だと。
ということは、これはお釈迦さんご自身のお言葉ではないですね。
弟子筋の人か、後世の人かはわかりませんが、彼を崇拝し、祭り上げたい人が書いたものではありませんか。
他にもこうした類いの言葉もありますが、考えてもみて下さい。
霊性のきわめて高い人は、周りの人から隔絶された人格の高さを持っている。
ましてや、悟りを得た、お釈迦さんのような人ならなおさらのこと。
そして、こうした人は、一般的な人達の霊性の水準が、まだまだであることも、十二分にわかっているはずです。
従って、自らがこうした超絶した別格の特別な人間であるなどと、わざわざ自己顕示をするような、愚かしいマネをするはずがない。
なぜならば、霊性がまだまだの人からみれば、こんなことを宣言されたら、鼻白み、反感を買い、妬み、嫉みを受ける可能性が十分にあるからです。
だから、霊性のきわめて高い人は、むやみやたらに自慢をしたり、これ見よがしの自己顕示ともとられかねないおかしなことを言うはずがない、と考えられるんですよ。
霊性がきわめて高いのですから、当然のことながら、真善美にも悖(もと)らず、高慢、傲慢、尊大、傲岸とも無縁です。
従って、これはお釈迦さんご自身が言ったものとは考え難いんです。
宗教の本によくありますが、教祖さんを崇拝するあまり、祭り上げしすぎるようなきらいがある記述に遭遇することが、ままあります。
私のような霊性のきわめて低い愚かな人間からすると、こんなに、偉い人、凄い人なんだから、崇拝させたいと権威づけしているのではないか、のように見えてしまう場合があるんですよ。
そういう訳で、教祖さんを慕う気持ちもわかりますが、祭り上げもほどほどにしておかないと、ひいきの引き倒しになりかねない危惧を感じることがあるんです。
だから、人様を誉めるのも、一筋縄ではいかないので、それなりに注意を払う必要があると思います。
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①追記: 2021/06/27 12:46
②追記: 2021/06/28 22:35
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。