おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

418_法悟28-23-4

第 4 週 人格の完成をめざす

2 世にもまれなるチャンス

人間に生まれることは難しい。
また生きることも難しい。
真理を聴(き)く機会も得難い。
ブッダの出現は未曾有(みぞう)のこと。

(一八二) (第14章 ブッダ より)

すみません。前回( 417_法悟28-23-3 )の補足を少しさせて下さい。

私が言いたいことの一つは、S さんのすすめる、「ウソを一切つくな」や「真理の探求をして解脱せよ」は、そう簡単にできることではない、ということです。

五井先生が懇意(こんい)にされていた方に、合気道の開祖 植芝盛平という人がいます。残念ながら、私は文章と写真でしか知らないのですが、この植芝先生は、とてつもない人だったらしい。

お弟子さん筋にも群雄割拠で個性的な人も何人か出たようですが、やはり、植芝先生が一番だったらしい。

この植芝先生にしても、やはり、過去世でそれなりの道をきわめる生き方を何回もして、積み重ねがあったからこそ、神通力を発揮するような武道家になれたはずです。

だいぶ前に、説話のようなお釈迦さんの過去世の物語のジャータカ(本生譚)物語に触れましたが、この世で道をきわめきる人、悟りを得る人は、過去世でそれなりの積み重ねという実績が裏付けになけれはならず、一足飛びに飛躍して、この世で完成を見るものではない、と考えられるのです。

ですから、今、今生(こんじょう)で、S さんのお話を読み、思い立ってすぐに今の人生内で悟ろうとしても、まず、無理だと思うんですよ。

今現在、悟りを得るほどの過去世での、良き想いと行いとそれなりの修行を積み重ねた裏付けのある人が、そんなにたくさんいるとは、到底、思えないからです。

まあ、こうしたことは、宿命通(他人の過去世を読む能力)や神通力を持つような、特別な人にしかわからないので、断定はできませんけどね。

ただ、今の唯物論全盛の世の中で、ああでもない、こうでもない、と真善美に悖る想いと行いの業想念が、幅を利かせているのを見ると、否定的な見方をせざるを得ないんですよ。

今生をあきらめる、といっては言い過ぎかもしれませんが、まったく予想もつかない来世以降にはなるけれど、輪廻転生を通した良き想いと行いの積み重ねという貯金をしておくことは、いつの世にか悟るためには、必須であるし、意義のあることは確かです。

非常に地味で、派手さはない話になってしまいましたが、良き想いと行いと共に、霊性を開発しておけば、今生でもある程度は難を逃れやすくなる場面も出てくるだろうし、来世以降にも良い影響をもたらします。

神様にこの世に出されてしまった以上、各人各様でどのような経緯をたどろうと、いつかは霊性の開発をして、輪廻転生を卒業していくようにしなければならないのが、私達肉体人間の定めなのかもしれません。