おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

425_法悟28-26-1

第 4 週 人格の完成をめざす

5 真理に逆らわずに生きよう

豪華絢爛(ごうかけんらん)な王の車も朽(く)ちていく。
そのように人間の肉体も老い枯(か)れていく。
しかし、聖者によって語られた真理が老いることはない。
平安に達した人々はその真理を語る。

(一五一) (第11章 老い より)

適当に。

まずは、その前に。

S さん( スリランカ仏教界のアルボムッレ・スマナサーラ長老 )の訳した上記の経文の 3 つ目で、「真理が老いる」というのは、あまり当てはまるような感じがしないし、「老いる」ことを絶対真理のようにお書きになっている割には、何となく感じのよろしくない表現(よくなくなる、劣化することを老いるとしていると感じる。絶対真理ならば、老いる現象にもそれなりの敬意を払い、劣化という意味合いに使うのはふさわしくない気がした。あくまでも個人的な勝手な感想だけど)のような感じがしたので、別の訳もあげておきます。

いとも麗(うるわ)しい国王の乗り物も(いずれは)朽ち
身体もまた老いる。
しかし徳ある人が説く道理はすたれることなく
徳ある人はその道理を人々に説く。

(一五一) (第11章 老い より)

はじめに、S さんの訳を見た時に、これは日本語では、すたれるではないか、と思って、法句経(ダンマパダ)を構成する章の内容を書く時に参考にした本(ダンマパダ ブッダの真理の言葉 今枝由郎訳 トランスビュー)を見たら、やはり「すたれる」となっていたのでこちらを参照してみました。

では。

その昔、北インドを二分する大国があった。その名をコーサラ国と言った。国王のパセーナディ王は、熱心なブッダ(お釈迦さんのこと)の在家信者として知られていた。彼の最愛の后(きさき)マッリカー夫人もまた、熱心な仏教徒であった。

マッリカー夫人は、パセーナディ王に先立って亡くなってしまい、王は悲しみにくれていた。一週間が過ぎ、彼はブッダを宮殿に招き、夫人の供養をすることにした。彼はブッダを王宮の中に招き入れようとしたが、ブッダは王車が保管してある駐車場に向かう。

王車は、当時の最高権力者の乗り物で、特注品、特別に豪華絢爛で頑丈な作りになっていた。その駐車場には、歴代の国王の王車がズラリと並んで置いてある。

王は、ブッダ一行の席を設けて、食事の準備をした。そして、最高の后を亡くした悲しみを切々と語った。

すると、ブッダは王車を指差し、「この車は誰のものですか」と尋ねた。これに対して国王は、「これは自分の父王の車です。こちらは祖父王の、あちらは曾祖父王の・・・」と答えていった。王車は、どれも傷(いた)みが激しく、とても使える状態ではなかった。しかし、これらは、歴代の国王の大切な持ち物。無下(むげ)には壊す訳にはいかないために、保管されていた。

ブッダが次々と尋ねて、最後に指差した王車の持ち主を「この車は誰のものですか」と尋ねると、王は「それは私の車ですよ」と答えた。

この冒頭の偈(げ。詩文。この経文のこと)は、ブッダがこれらのやり取りに続けて、パセーナディ王に対して、この世の真理を語ったもの、と注釈書には記(しる)されている。

王車は、最高の材料で作られ、金銀財宝で豪華な装飾が施されていた。しかし、持ち主の国王が亡くなってしまえば、その国王一代きりで、使えなくなる。

このように、私達は、家を建て、作品などを作ると、それが末永く持つように期待するものだ。一つの思考パターンとして、「壊れてしまわないように、ずうっと長持ちするように」という考えがあるからだ。

しかし、真理は人間の都合で変えることはできない。すべては壊れゆく。これは基本的な宇宙の法則である。

ブッダは他の経典の中で「この太陽さぇも壊れます、この地球もやがて壊れます、この宇宙もやがて壊れます」と宇宙の崩壊にまでも言及している。あらゆるものが、一切、とどまることなく壊れて変わっていくことこそが、宇宙の真理なのである。

私達はその真理に合わせて生きなければならないところを、逆の方向に努力する。偉大な宇宙の法則に逆らおうと挑んでいくのだ。しかし、その結果はうまくいかずに失敗してしまう。壁にぶつかり困難に見舞われる。そうして、確実に失望を味わう羽目になるのである。

人の心の中には「変わってほしくない」という論理、いや、論理でない、屁理屈や真理でない考え方、ウソの概念が住み着いている。生命にこの気持ちがある限り、幸福にはなれないし、否応なしに苦しみに出遭(あ)ってしまい、失望することになる。世の中がうつろい変化するに従って、ひどい悲しみを味わうことになってしまうのである。

人間には、悲しみ、苦しみ、悩み、失望が絶えないのは、当たり前の事実に逆らおうとしているからだ。

なぜに、そんな逆らおうと無謀なことをするのか。冷静になれば、無知だとわかる振る舞いであり、それは誰しもが頭ではわかっていると言う。

しかし、気持ちの面では、誰しも歳をとりたくないし、死にたくはないし、子供にも独立してほしくない、手元に置いておきたい・・・といったことを望むものなのである。

これらは、人生においてごく自然に起きてくることばかりだ。しかし、どんな変化も人に苦しみや悩みを与えずにはおかない。

しかし、真理の世界(?)には人間を苦しませてやろう、悩ませてやろう、とする気持ち(?)はまったく存在存在しないのだ。人間が勝手に苦しむだけなのである。

例えば、家が火事になったら、自然の法則に従って家屋は燃えていく。もちろん、炎には住人をとことん苦しませてやるぞ、という気持ちはない。単なる自然法則で燃えているだけで、悲しむのは人間の勝手である。

なぜ悲しむのか、と言えば、家が燃えてほしくない、壊れてほしくない、という思いがあるからだ。

しかし、何の力もない生命が、巨大な宇宙の法則に逆らおうとしても無駄だ(?)。これは成立しない。逆らおうとするその人自身が、法則の一部なのだから。

人間を一滴の海水に例えるなら、それが大海原に向かって反抗するようなものだ。こうした反抗は無意味そのものなのである。

私達はいい加減に目を覚ますべきだ。どんな人であれ、自らは特別な存在なのだ、と思わない方がいい。

自分だけは特別だという妄想は無知から生じてくるものだ。あらゆるものが、自分の希望通りにいくと思っている。この途方もない無知がすべての生命にとって大問題なのである。

そこで、ブッダは「すべては壊れていく。しかし壊れないものが一つある。真理だけは壊れない」と説いているのである。真理とは、ありのまま、そのままの事実だということだ。

ブッダの教えは、その法則を説明してあげることなのだ。

ブッダが発見した真理だけは事実だから、これは誰にも変えることはできないし、変わることもないし、古くなることもない。

しかし、真理以外のものはすべて古くなって老いて壊れていくのである。

ブッダといっても、かなり昔の人だ。現代から見れば、かなりの時間が経(た)っているし、教えさえも古いのではないか、と疑問に思う人がいるかもしれない。

しかし、ブッダは法則を発見したのだ。法則はどこかに存在する訳ではない。

例えば、地球が太陽の周りを回っているということは、一つの法則だ。地球がある限り、太陽の周りを回っているのである。この法則は古くならない。

これと同じように、ブッダの説いた教えは、いくら時代が変わっても揺るがない。人間の気持ちは毎日のように移り変わるが、真理はあくまでも真理であって、どんなに時代が変わろうとも絶対に変わらないのである。

なので、本当は真理に従って生きる方が楽なのである。逆らうことは無駄な努力だ。やってはならないことに精魂傾けているのは、極端な無知に支配されているのである。

ブッダは、これほどまでに無知ではない人々に向かって、「これが真理ですよ」と発見した法則を説いてきたのだ。そして、ブッダの教えに耳を傾け、その内容を理解した人々は、心の安穏(あんのん)と平和をたちまち手にすることができたのである。

こうした事実を客観的に見ていけば、私達は法則には逆らえないし、逆らおうとすること自体がバカらしくなる。

問題は法則に逆らおうとする気持ちだ。その気持ちが消えたなら、もう悟りの境地なのである。

しかし、頭では理解していても、気持ちは伴わない。消えない。「そうは言っても・・・」と、何とか言い訳をして法則に逆らおうとするのである。

真理に目覚めることは、すなわち、悟りだ。普通の人々は、わかってはいても、好きなものの変化を受け入れることができないのだ。

そこで、「渇愛」という問題が出てくる。わかりやすい言葉で言えば、愛着だ。なぜ、変化に逆らいたいのかといえば、愛着があるからだ。他のものは変わっても、これだけは変わってほしくないとすがるのだ。

例えば、他人の子供は病気などで亡くなっても、わが子だけは死んでほしくない、生きていてほしい、とする親心などがそうだ。

法則に逆らう人に対して、ただ、「愛着を捨てなさい」と言っても通じない。だから、ブッダは対話を通して、「すべてのものは変わるのだ。愛着に値しないのだ」と理解できるように、人々を教え導いたのである。

自ら事実を調べさせて、「どんなものも愛着に値しない」ことを納得させたのである。

パセーナディ王もまた、「歴代の王が永続を願って特注した王車も、今は何の役に立たない。人間の肉体もそうやって壊れていく。その事実は認めるしかない」と納得できたからこそ、深い悲しみから立ち直ることができたのだ。

とのこと。

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①追記: 2021/07/05 00:22
②追記: 2021/07/05 00:33
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。