おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

426_法悟28-26-2

第 4 週 人格の完成をめざす

5 真理に逆らわずに生きよう

(S さん訳)
豪華絢爛(ごうかけんらん)な王の車も朽(く)ちていく。
そのように人間の肉体も老い枯(か)れていく。
しかし、聖者によって語られた真理が老いることはない。
平安に達した人々はその真理を語る。

(一五一) (第11章 老い より)

(今枝さん訳)
いとも麗(うるわ)しい国王の乗り物も(いずれは)朽ち
身体もまた老いる。
しかし徳ある人が説く道理はすたれることなく
徳ある人はその道理を人々に説く。

(一五一) (第11章 老い より)

気ままに書きます。

S さん( スリランカ仏教界のアルボムッレ・スマナサーラ長老 )によると、この経文は、コーサラ国の国王、パセーナディ王が、亡くされた最愛の后マッリカー夫人を悼(いた)み、悲しみにくれている場面で、供養に訪れたブッダ(お釈迦さんのこと)が、移ろいゆくこの世の無常さを諭(さと)すかのように説いて聞かせた時の描写となっている。

これは、前に中村元さんの原始仏典のところに出てきた、尼僧(にそう)の告白のお話( 180_原仏11ー2 )とよく似ていますね。

お釈迦さんのお弟子さんの告白の女性版、キサー・ゴータミーさんのお話です。

再度、引用します。

彼女はサーヴァッティー市(舎衛城)の貧しい家に生まれ、痩(や)せていました。それで、名前が、キサーは痩せたという意味、ゴータミーはゴータマ姓の女性という意味、から、そのように呼ばれていたとされています。

彼女はわが子の遺体を抱いて、「ああ、私の子を失ってしまった。私の子を返して下さい。私の子に薬を下さい」と泣きながら町を歩き回っていた時に、釈迦に「いまだかつて死人を出したことのない家から芥子(けし)の粒をもらってきなさい」と言われます。

彼女は家々を回りましたが、どこに行っても、「死人を出したことのない家」などないことを知り、人生の無常に気づいて出家したとされています。

となっている。

やはり、ここでも、お釈迦さんは、頭ごなしに、概念的に諸行無常を説くのではなくて、キサー・ゴータミーさんの自身の身をもって、諸行無常を気づかせるように仕向け、自然に納得させるような形に導いています。

これらから感じられるのは、やはり、お釈迦さんの目からすると、普通の人は、まだまだ、人間=肉体人間であるとの肉体人間観が根強く抜けないことがよくわかっていて、他人様と自分とを同じように、何かコトが起こっても、わがコトのように感じることができない、自他一体感をなかなか抱くことができないことを踏まえた上で、できる限り自分自身の身をもってわからせるような形をとりながら、自他一体感を少しでも抱かせることによって、体感的にわからせていく。

納得するように仕向けていく。

そうしたやり方をしているように見えます。

中村さんや S さんは、世の中の理(ことわり)を悟るのは、お釈迦さんの説いた真理や智慧の賜物だ、とすることが多いように思いますが、どうなんでしょうかね?

これら2つ(パセーナディ王とキサー・ゴータミーさん)のケースでは、お釈迦さんが、ただ言葉を尽くすだけではなくて、この2人に対して、悲しいかな、この世では、こうした肉体人間の死は免れないものなのだよ、ということをできる限り身をもってわからせる、体感・体験させるように計らっているように感じるんですよ。

様々な艱難辛苦を乗り越え、魂が磨かれて、霊性が極度に開発されている人(悟りにかなり近いような人)なら、自他一体感も強く、概念的な話や理屈を聞いただけでも、パッとすぐに理解できるでしょうが、ある程度信仰深いものの、まだそこまでには至らない人の場合には、体感させることでわからせよう、としていると。

見聞だけの智慧だけではない、身をもってわからせること。

何故に、お釈迦さんがこのような諭(さと)す形をとったのか?

そう考えると、肉体人間観からくる、智慧の理解力の限界を踏まえた上で、身をもって体感・体験させることが必要だとご判断されたのではないですかね?

だから、しっかりと体感・体験させた。

そう思うんですけどね。

S さんは、渇愛や愛着を引き合いに出していましたが、一言で言えば、執着(仏教的に言えば、執著(しゅうじゃく))のことだと思います。

この世もかの世も、神様のみ心以外は、すべて諸行無常、万物流転。

変わらないものはない。

S さんによると、お釈迦さんは、真理だけは変わらないとしていたが、このことではないですかね。

個人的には、そんな気がします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

追記: 2021/07/05 13:30 〜訂正内容〜

本文を訂正しました。