第 4 週 人格の完成をめざす
7 人格者には敵もライバルもいない
( S さん訳)
愚か者は名誉・財産を得ても、
それは彼の一切の道徳を破壊し、
頭(智慧)までも切り落としてしまう。
(七二) (第5章 愚か者 より)
(今枝さん訳)
愚か者は、知識と名声を得ても
ついには自滅する。
彼はそれによって、自らの幸運をだめにし、
打ち砕かれる。
(七二) (第5章 愚か者 より)
気ままに書きます。
S さん( スリランカ仏教界のアルボムッレ・スマナサーラ長老 )の言われていることを、きわめておおざっぱにまとめると。
私達は、競争社会に置かれているために、知らず知らずのうちにその生き方を習慣づけられてしまっている。
それは、知識と財産と名誉を追い求める道だ。
そこでは、当然に、他人を蹴落(けお)とし、自らが這(は)い上がっていくという、弱肉強食を余儀なくされることになる。
無論、競争を勝ち抜いて、他人を蹴落としていくためには、怒りや憎しみを抱くようにもなり、いくら高い地位にたどり着くことができてかなりの成功者になったとしても、常に、足を引っ張られないか、攻撃されないか、と備えをしておかなければ潰されてしまうかもしれないし、精神的にも疑心暗鬼になり、心安らかな時はない。
これが、唯物論の世界であり、競争社会の帰結なのだ。
こうしたやり方をしている限り、やがては、すべての道徳は荒廃し、すべてが失われてしまうことになるだろう( S さんは、智慧に特に力を入れて力説しているが、ここでは深入りしない)。
法句経(ダンマパダ)の上記の経文は、こうしたことを意味している。
このような状況の下で成功するためには、一般的に幸福の条件と見られる、知識と財産と名誉を追い求める道を歩むことになり、世の中に争いをもたらし、不穏にしていくのを免れることはできない。
こうしたやり方は、いわば、幸せになりたくて、幸せから遠ざかるという、きわめて矛盾しものになってしまっているからだ。
ならば、これを解決するためには、どうすればいいのか?
それは、誰からも反感を買わない(買えない)ように、しかも、攻撃されないようにすることだ。
すなわち、知識と財産と名誉を追い求めると同時に、必ず人格の向上を必須としていくことだ。
自分のためにすることがみんなのためにもなり、みんなのためにすることが自分のためにもなる。
無為にして自然な形で人様に尽くすようにすれば、「情けは人のためならず」でそれは自らにも返ってくる。
今流に言うならば、ウィンウィン( Win - Win )の関係、が自ずと築かれていくようになるのである。
しかも、人格的には申し分がない訳だから、お互いに、優しく、思いやり、さらには、好ましい相互扶助の形が自然に築かれていくだろう。
残念なことに、現代の競争社会で、かなりの成功者になることができるのは、ごく一部に過ぎない。
このような形で社会が連綿として続いてきた以上、いかに人格を向上させて、様々なことに勤(いそ)しんでも、成功と破壊が表裏一体となっている今の社会の仕組みを、劇的に変えることはできないだろう。
だから、とりあえずは、敵を作らず、自らも攻撃しない、人格の向上という形で、あらゆる努力を押し進めていくものと、心に決めてしまうことだ。
そうしていけば、人格の伴った成功者の輪も拡大して、世の中もよい方向に向かうことになるだろう。
S さんの言いたいことを意訳すれば、大体、上記のようになると思います。
個人的な独断と偏見を書かせてもらえば。
残念なことに、既存の競争社会では、競争から生じる様々な軋轢は、避けて通ることができない。
やはり、段階的に少しずつ、徐々に徐々に、改善していくより他にない。
80対20の法則ということもあるし、この厳しい現実を打開していくのは、一気呵成という訳にはいかない。
急展開は不可能である。
しかも、唯物論では、エゴの生き方が浸透しているから、この改善はきわめて難しい。
どうしても、限界がある。
やはり、私達が神性に戻るしか、解決の道はない。
そして、手近なところから始めることになるが、もしうまく行けば、個人だけでも平安と安穏のままに、精進していく道が開かれる。
人格の向上をはかることは、究極的には、悟りを得ること=涅槃の境地に至ること、ではあるが、これは霊性の開発の段階がまだまだな場合には、あくまでも最終目標。
よって、とりあえずは、少しずつ段階的に霊性を向上させるようにしながら、各種の努力をしていくべき、となります。
なので。
世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行をお願い致します。
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・軋轢~あつれき~仲違(たが)いすること。不和。反目。
(用例)軋轢を生じる。
・一気呵成~いっきかせい~ひといきに物事を仕上げてしまうこと。
(用例)一気呵成に書き上げる。一気呵成に仕上げる。
・80:20の法則~「結果の80%は、たった20%の原因から生み出される」という考え方。
代表例としては
「売上の80%は、たった20%の顧客によってもたらされる」
「世界の富の80%は、たった20%の富裕層が所有している」
などがある。