おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

477_仏言葉ー011 ー 慎ましくして解脱を目指そう

第 1 章 世間のルールになじめない

11.慎みが肝心

まずは、はじめにお断りをしておく。

佐々木さんの本では、ここから後は、今までのように法句経(ダンマパダ)だけではなくて、スッタニパータ や サンユッタ・ニカーヤ など、他の古い初期の仏教経典も取り上げてある。

スッタニパータについては、やはり、今枝さんの訳した本があるのだが、内容は同じように思えても、経文の通し番号が異なるものがいくつかある。

なので、以下は、番号の相違には無関係に、今枝さんの本で、内容の一致すると思えるものを、経文として引用してやっていくことにする。

ご参考までに、今枝さんの、「新編 日常語訳 スッタニパータ ブッダの智恵の言葉 今枝由郎訳 トランスビュー 」のはじめに、において、今枝さんがお書きになっている部分を以下に部分的に引用する(改変あり)。

ダンマパダ(漢訳 法句経)は、恐らく一人の編纂者が、様々なテクストから、ブッダ(=お釈迦さんのこと)が発見した真理の言葉(パーリ語で真理はダンマ、言葉はパダ)だけを取り出し、簡潔な偈(げ。詩の形)にまとめたもので、ブッダの心髄集といえます。

一方のスッタニ・パータは、個々に伝承されていた様々なテクスト(パーリ語でスッタ)を集めて(パーリ語でニパータ)、五部に分類したもので、後の膨大な三蔵のうちの経蔵の原形といってもいいでしょう。

各スッタには、ブッダがどういう状況で、誰に対して、どういう教えを説いたかが、散文と詩を交えて簡潔に記されていて、物語性があり、読み物としても味わえます。

そこには、まさに、紀元前五世紀のインドで、多くの民衆にじかに接し、彼らの生活を導いた教師、苦しみを癒した医者としてのブッダの息吹きが感じられます。ー以下略。

では、やっていくことにする。

私は、身を慎み、言葉を慎み
食を節制している。
私は、真理によって(煩悩)を刈り取り
沈静によって(心を)軛から解き放つ。

(五三)

・軛~くびき~①車の轅(ながえ)の前端につけて牛馬のくびにあてる横木。
②(比喩的に)思考や行動の自由を束縛するもの。
ここでは、②の意。

佐々木さんによると、この経文は、欲望こそが苦しみの源だという考え方を象徴する一句だそうだ。

現代のように、もっと、もっと、と暮らし向きをはじめとして、飽くなき欲望にまみれた現代人の精神活動に対して仏教は批判的にあたるらしい。

この経文にある、「真理によって(煩悩)を刈り取り、沈静によって(心を)軛から解き放つ」とは、要は悟りを得る、解脱することを指しているのだろう。

そのためには、慎み深く生活することは必須である、ということなのでしょうね。

なお、この経文に関しては、以前に、中村さんのところで、似通った内容に触れたことがあるのだが、これは次回の内容そのものなので、ご興味のある方は、そちらをご覧下さい。

~~~~~

・編纂~へんさん~一定の方針のもとに、集めた材料を整理して書物をつくること。
(用例)市史の編纂。

・三蔵~さんぞう~仏教語~仏教の聖典を三種に分けた経蔵・律蔵・論蔵の総称。また、これらに通じた高僧。

・経蔵~きょうぞう~仏教語~①三蔵(経・律・論)の一つ。仏の説いた教えの集成。
②寺で、経文を納めておく蔵。
ここでは、①の意。