おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

476_仏言葉ー010 ー 堅固な縛り

第 1 章 世間のルールになじめない

10.私達を縛るもの

鉄や木材や麻紐でつくられた枷
思慮ある人は、それを堅固な束縛とは呼ばない。
宝石や装飾品や妻子への愛着
思慮ある人は、それを堅固な束縛と呼ぶ。

それは緩いようで
解き放ち難い。
出家修行者は、それを断ち切り、何も求めず
感覚的快楽を捨てて遊行する。

(三四五・三四六) (第24章 激しい愛着 より)

佐々木さんは、この「思慮ある人」を、賢者と訳している。

遊行をするのだから、出家修行者のことを指しているのだろう。

枷は物理的には破壊が可能だ。

いかに固かろうとも、壊せる条件が整えば、壊すことができる。

しかし、肉体人間の抱く想い、中でも、思い入れのある宝飾品などの物や、近しい肉親などに対するこだわりの気持ち(=想い)である執着(仏教では執著(しゅうじゃく))は、中々、思い通りにはならない。

想いだから、簡単になくせるかというと、そうはいかないのだ。

かなり霊性の開発が進んだ出家修行者か、よほどの意志強固な人間でないと、想いによる執着は、取る、なくすことがきわめて難しいのだ。

この世の肉体人間は、自らの想いをそう簡単には制御することができないのである。

また、臆病や小心などで、あまたの輪廻転生を通した、過去世からの想いのクセが形としてあらわれているような場合には、これは一朝一夕には直せない。

自分の意志で今現在の性格を変えようとしても、簡単にはできないのは、こうした理由による。

簡単に性格を直せる因縁の機が、たまたま熟するという好条件が整っていない限り、自分の意志で簡単に性格を直すことはできないのだ。

祈りと感謝行によるお浄めか、厳しい自力修行でなければ、過去世からたまっている恐れる想いなどの業想念(=輪廻転生を通して積み重ねられた想いのクセ)をなくすことができないからだ。

上記の経文にある、宝石や装飾品や妻子への愛着という堅固な束縛が、緩いようで解き放ち難い、というのは、こうした内容を指している。

輪廻転生を通して積み重ねた想いのクセ、すなわち、物へのこだわりや肉親へのこだわりは、簡単になくすことができないからだ。

本質は神様の分け命、分霊、つまり、神様ではあっても、自己保存の本能を与えられ、肉体人間となって生きていく場合には、肉体人間の想いを整える、浄めることが、いかに難しい問題であるか、ということ。

人間=肉体人間だ、との肉体人間観に伴う、自己とごく近しい者を中心とする利害得失計算に浮き身をやつすことがほとんどで、五感にまつわる欲望達成にこだわるのが、私達の一般的な習性だからである。

上記の経文にある、感覚的快楽とは、こうした五感にまつわる欲望達成のことを指している。

そうして、肉体人間として抱く執着の想いを解き放ち、想いを清らかに保つために、お釈迦さんのお弟子さん達は、遊行をして、厳しい戒律を守り、自力修行を続けていた、ということなのだろう。

肉体人間の想いは、輪廻転生を通して、自らのその時々の人生に多大な影響を及ぼすものであり、本来ならば、このように、常時、整えておくことがより好ましいと言える。

従って。

現代で言えば、世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行によって、霊性の開発をしていくことが、望ましいと考えられます。

世の中が戦国時代のような形で部分対立となり、疑心暗鬼になって相対的に相争うのも、一極集中のような恐怖の独裁支配のようになって、社会階層がわかれて断裂が起きるのも、元をただせば、すべては、人間=肉体人間の肉体人間観に起因している。

血縁だろうが、何だろうが、形のわかれた別個の人間となってしまうと、自己保存の本能もあり、なかなか、神様の分け命を頂いた同胞であるとの、自他一体感を抱くことができない。

せいぜいが、戦国時代のように、濃い血縁関係で支配階層を固めるくらいしか、やりようがないことになる。

この、人間=肉体人間であるとの肉体人間観を何とかしないと、あらゆる面において神様のみ心をあらわしていくことはできない。

そのように考えられます。

ゆえに、私達の本質が何であるかを感得するためにも、霊性の開発が必須だと思うのですよ。

この肉体人間の想いが、神様のみ心に沿った自由自在なもの(五感にまつわる肉体人間の自分勝手な願望のための自由自在ではない)になること。

肉体人間の想いが、整って、清らかになること。

お釈迦さんがどのようにお考えだったのかはわかりませんが、悟りを得ることや、心を清らかにすることは、こうした意味合いもあったのではないか、と思います。

つまり、お釈迦さんは、個人個人が悟りを得て輪廻転生から解脱するだけではなくて、肉体人間で構成された社会が、神様のみ心をあらわしたものになることも、視野に入れていたのではないか。

輪廻転生を卒業して上がりとなり、天命を果たした上で、霊界や神界のしかるべきところに行くだけではなくて、この世の残される社会も、神様のみ心をあらわすべく完成されたものとするために。

そんなふうに個人的には考えます。

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・枷~かせ~①罪人の首や手足にはめて自由を奪う刑具。桎梏(しっこく)。
②行動の自由を束縛するもの。
(用例)子が枷となる。
ここでは、②の意。

・堅固~けんご~①守りがしっかりしていて、簡単には破られたりしないこと。また、そのさま。
(用例)堅固な城。
②意志が強く、心が動かないさま。
(用例)志操堅固。
③健康で丈夫であるさま。
(用例)堅固に暮らす。
ここでは、①の意。

・思慮~しりょ~深く考え巡らすこと。また、その考え。慮(おもんぱか)り。
(用例)思慮分別。思慮に欠ける。

・束縛~そくばく~制限や条件を加えて、行動の自由を奪うこと。
(用例)束縛を受ける。自由を束縛する。

・愛着~あいちゃく~その物事に心がひかれ、離れがたく思うこと。また、その気持ち。愛着(あいじゃく)。
(用例)今の仕事に愛着がある。愛着をもつ。

・愛着~あいじゃく~①仏教語~欲望にとらわれて人や物に執着すること。また、男女の愛に執着すること。愛執(あいしゅう)。
②→あいちゃく。

・遊行~ゆぎょう~各地を巡り歩いて修行すること。