第 2 章 人間関係に気疲れする
22.争いをなくす方法
物事を正しく見るための道
それはこの道であり、他にはない。
この道を歩め。
これこそ悪魔を挫(くじ)く道である。
(二七四) (第20章 道 より)
ここで道とされるのは、八支の道(いわゆる八正道)のことを指している。
佐々木さんによると、ここでいうところの悪魔とは、世の中の様々な争い事を指しているのだそうだ。
これから逃れる唯一の方法は、「自己中心の考えを捨てて無我をさとる」ことだそうだ。
って、何言ってるのか、わからないよこれ。
また、中村さん、S さんに続いてケチつけ道中になっちゃうけどさ。
自己中心を捨てて無我をさとる?
たったこれだけ?
何ですかこれは?
あまりにも説明不足過ぎではないですか?
やっぱり、あんな内容を 200 字以下の文中、しかも、たった 1 文であらわすなんて乱暴過ぎます。
無理です。
これを読んだ仏教の入門者の人は、ほとんどわからないんじゃないの?
この本は、佐々木さんによると(はしがきに書いてある)「ブッダ(=お釈迦さんのこと)の教えが心にしみた」のような読者感想もあり、好評だったみたいだけど、本当にここ読んで理解できたんですかね?
私は理解できていないと思う。
試しに、私流にここを書くとかなり長くなる。
これは、後に別の回として書きます。
その回に、ご興味のない方は、飛ばして下さい。
とりあえず、このわからない 1 文を抜かして、佐々木さんの言っているのは、世の争い事をなくすために、八正道を歩みなさい、ということ。
この八正道だが、四つの真理(八支の道も四つの真理も今枝さんの訳。いわゆる、一般的に四諦(したい)と呼ばれるもの)にしても、本当にお釈迦さんがこんなにきっちり概念をわけて説いたのか? という疑問があるんですよ。
ひろさちやさんの本に詳しく出てますけどね。
私もひろさんと同じように思います。
ああいった、やり方には簡単には受け入れられないところがあるんですよ。
八正道がまずいというのではない。
お釈迦さん亡き後の経典あり方や仏教哲学のあり方が、どうなのか、という話。
困ったなあ。
これ書くとかなり長くなってしまう。
とにかく、これは別の回にします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
追記: 2021/09/11 21:02 〜訂正内容〜
表題を訂正しました。