おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

489_仏言葉ー023 ー 他人を損ねてはならない

第 2 章 人間関係に気疲れする

23.他者を犠牲にしない

他人(ひと)を苦しめることにより
自分の快楽を求める人は
憎しみの絆にからまれ
憎しみから逃れられない。

(二九一) (第21章 さまざまなこと より)

佐々木さんによると、この経文は、他人の苦しみを栄養として手に入れた快楽は、本当の意味で幸せにはなれない、というお釈迦さんの言葉なのだそうだ(細かい言い回しは異なるが、書いてあるのはおおよそこんな感じ)。

他人を傷つける。

仮に、甲が乙を傷つけたとしよう。

これが、乙の過去世の因縁(=つまり、過去世において乙が甲を理由もなく勝手に傷つけていたということ)でない限り、乙はおそらく甲を許せないだろう。

納得なんかもっての他。

乙は甲に対して恨みを抱く。(*)

そして、乙は甲を傷つけるために、仕返しをするだろう。

つまり、やり返す訳だ。

これでは、両者が互いに傷つけ合う連鎖反応にまで発展する可能性すらある。

これが、上記経文の憎しみの絆にからまれ、憎しみから逃れられない、ということ。

そこそこの信仰をする人でも、否、かなりの信仰をする人でさえ、

ああ、これは過去世の自分の因縁なんだな、
過去世において自分がしたことが、今生の今現在、こうした形で返ってきているのだな、
神様(阿弥陀仏様)、私の悪しき因縁を消して、神様(仏様)の子として、
浄めて立派にして下さっているのだな、救いとって下さっているのだな、
ありがとうございます、南無阿弥陀仏(神様)、

とは、まずはならないはずだ。

これができるのは、妙好人のようなきわめて信仰が深い人のみ。

それに、そもそも、他人を貶めることが幸せ、優越感を感じるのが幸せというのは、間違っている。

肉体人間は、神様の光、神様の命が分かれ分かれになったものが本質だ。

一筋一筋の霊光が本体だ。

つまり、目に見える形は、個々に分かれていても、元はつながっている神様の子供としての兄弟姉妹であり同胞なのである。

他者を貶めるというのは、広い巨視的(マクロ的)な視野で見れば、自分で自分を貶めて傷つけているのと同じである。

神様には、真善美に悖る、そんなおかしなことはあってはならないので、こうしたものが生じた場合には、無かったものとなるように、修復するような形になる。

微視的(ミクロ的)に見れば、貶めて傷つけた人間は、その貶めて傷つけられた人間から逆に傷つけられる形となって、清算させられるはめになるのである。

そうして、プラスマイナスゼロとして、神様の世界にふさわしくないものは、時間をかけて(=輪廻転生を通して)でも、消し去られる宿命にあるのだ。

苦しめたことは、苦しめられることにより清算され、傷つけたことは、傷つけられることにより清算される。

苦しめることや傷つけることは、いずれも、真善美に悖る、想いと行いの業想念だ。

肉体人間として新たに作り出してしまった真善美に悖る想いと行いの業想念は、神様の世界(この世(現界)は神様のおつくりになった世界の一部。従って、広義の神様の世界に含まれると考えることができる)にはあるべからざるものとして、原則として輪廻転生を通して、必ず清算されなければならないのである(( 485_仏言葉ー019 ー 因果律の厳しさ )の、第二章 人間関係に気疲れする、の19.罪からは逃げられない、も同じ)。

優越感を感じるのは、見栄、高慢、傲慢にまでつながる業想念だ。

本当の幸せは、自他一体感を抱きつつ、身の回りをはじめとしたありとあらゆるものに感謝できる、すべてのものがありがたい、神様ありがとうございます、につながるありがたさがわかるもの。

従って、優越感はそうしたありがたさを理解していないもので、本当の幸せではないのである。

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(*)これは、乙がその過去世において、身勝手に甲を傷つけていた、という過去世での自分の犯した神様の子供としてのふさわしくない想いと行いの記憶がないために、今生での自分への不条理とも言える甲から受けた仕打ちの意味が理解できずに、わからないから。

つまり、今生に生まれ変わってきていても、過去世での自分の過ちの記憶が消し去られているから、なぜ、こんな目に遭わされるのか、その納得いく理由がわからない仕組みになっているから。

ごくわずかな例外的な場合を除き、ほとんどの人は輪廻転生を通しての生まれ変わりで、過去世(前世・・・)の記憶を消されて、この世に生まれてくる(幼少期にまで記憶がある場合があっても、いずれこの記憶はなくなるのが通例)ので、今生で損ねられる正当な理由がわからないのである。

逆に、今生で何も悪いことをされたことがある訳でもないのに、なんかアイツの顔を見ると腹が立つ、虫が好かないというのは、自分が過去世においてそのアイツに損ねられていた可能性がきわめて高い訳だ。

過去世の記憶が消されているといっても、被害者側は、何となく感じることがある、ということ。

あ、アイツは過去世で俺をひどい目に遭わせたヤツだ、と何となく感じる訳。

逆に、何となく好感を抱く場合は、この正反対のケースとなる。

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①追記: 2021/09/05 08:14
②追記: 2021/09/05 08:23
③追記: 2021/09/05 11:36
④追記: 2021/09/05 11:55
⑤追記: 2021/09/11 21:03
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文と表題を加筆・訂正しました。